第47話 『復讐は無用です』

 グラチア皇国に属する小国“オルタナティナ”。


 それが、ニールセンが誕生した国の名前だ。小国ながらも海に接する立地から海運業で発展した海都である。世界各地から人が集まることで独自の文化を築き、他には流通しない嗜好品や装飾品は献上品になるほどの価値がある。ニールセンの両親は皇族と商人の間を取り持つことで献上品を優先して斡旋してくれるように尽力すると、その功績が認められて優遇された。


「その先に待ち受けている未来は汚い大人たちを見てきた貴方なら容易に想像がつくでしょう」


 妬みと僻み。自分より優遇される人物を快く思える者など少ない。それは上級階級に身を置く人間ほど色濃く、下手に地位を得たからこその恐怖が付き纏う。


 誰だってどん底を見たくはない。一度の失敗で無一文になる人物などこのご時世にはごまんといた。


 それはニールセンの一家も例外ではない。皇族との関係と地位を持っているからこそ敵も多く、罠は卑劣にて周到である。暗殺者や賊徒を雇うことで自らの手を汚さないのはもちろん、暗殺が成功すれば雇った者たちも皆殺しにして証拠をなくす。仕打ちが残酷だと非難を浴びたとしても、暗殺された人物の弔いと野放しになっている犯罪者集団を討伐したという大義名分が黒幕を守る。


 そんな悪意がひしめく渦中でニールセンの一家を襲った魔の手は従来の方法とは少し毛色が違うものだった。


 献上品を横流ししたというデマ。皇族へと献上するはずの品の一部を闇商人に流すことで不当の利益を得たというものだ。これがただの横流しであればどこにでもある話だと糾弾の声も落ち着きを見せるのだが、不当な利益を得た罪よりも皇族に対して不敬を働いたことが問題なのだ。


 糾弾の声は次第に過激さを増していく。それは国民へと伝播することで収拾がつかない。皇族から懇意にされていた一家だけに救いの手を出すかと思われた皇族からのコンタクトもなく、事は首謀者の目論見通りに進んでいった。


 収拾のつかない程に過激化した糾弾の声は一家を処刑しろと訴えるものとなった。無実だと訴え続けた声など意味はなさず、せめて娘であるニールセンの命だけは救ってほしいという懇願も認められなかった。


「本来なら私もその場で命を失うはずだったし、両親と一緒に死ねるのならばそれを願った」


 幼いニールセンにとって一人で生き延びることよりも両親と一緒にいることを願った。それは親と子ならではの相違だ。そして幼子には親に逆らえるだけ心が成熟していない。


 両親は疑いをかけられながらも信じ続けてくれた家臣にニールセンの身を任せた。日が落ちた夜中に城を出て家を後にする。


「それは今でも記憶から消えない」


 眼に焼き付いた光景が色褪せることはなかった。そして止めを刺すように様々な記憶と光景は脱出した後もニールセンを襲った。


 一つは逃走した二人を始末するべく派遣された追手からニールセンを守るために囮となった家臣が命を落としたこと。


 そしてもう一つは見せしめのように処刑された両親の首が世間に晒された光景だ。


 涙は出なかった。家臣を失って本当に一人となってしまった彼女は毎日を泣き明かしたことで涙が枯れてしまっていた。


 代わりにニールセンを支配したのは憎悪と復讐心だ。


 己が欲望と野心のために無実の人間を陥れた者への復讐を誓う。

 掌を返したように糾弾の声をあげた領土民への復讐を誓う。

 困ったことがあれば助けるなどと甘い言葉を送っておきながらも救いの手を差し伸べることのなかった皇族へ復讐を誓う。


 あれほどに優しく育ったニールセンの心はどす黒いものへと変化した。


「だから私は力を求めました。魔女になったのも魔導器という力を手にするため。そして手っ取り早く力を手にいれる方法を見つけたのです」


 それが神々の叡智と称された原初の焔だ。それを我が身に手にしたニールセンは世界を滅ぼすことも可能な力の奔流を感じた。だがそれとは別に力を求めて自滅した数多の負の念が押し寄せてきた。


「もし原初の焔がただの力の結晶だったら私は復讐を成し遂げていたでしょうね」


 押し寄せてくる負の念がニールセンを改心させた。否、復讐などに憑りつかれた存在の虚しさに気付いたと言うべきか。


 無実の両親と罪人の首謀者という違いはあるが、それでも結果は変わらない。結局は自分の勝手な感情で完結させてしまうのだから。


「復讐は何も生まない。恨みも辛みも知らない誰かが言った安い言葉だと思っていたけど、そうでもなかったみたいね」


 その身をもって実感したニールセンは教え子に伝えていく。ベヨネッタは誰かを恨んで魔女に堕ちたわけではないが、今から尊敬する先生を失うかもしれない。それは幼い彼女の心を大きく変化させることに十分繫がるだろう。


 ニールセンはベヨネッタの頬を手で触れる。


「何があっても貴方は復讐しようとは思わないで。それはきっと逝った人が誰も望んでいないことだから」


「……先生、……もですか?」


「えぇ、もちろんよ。貴方には幸せに生きてほしい。そこに復讐は無用です」


「……善処します」


「ふふ、お願いしますね」


 納得しろというのは酷な話。それでも善処すると言ってくれたベヨネッタの言葉にニールセンは微笑むのだった。

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