第38話 『意思を持つ焔』
あの日、原初の焔をこの身に宿したあの日からニールセンは語り掛けられている。
沼に引き摺りこまれそうな濁った暗き声だ。
――ヨコセ。ヨコセ。
様々な感情が波のように押し寄せてくる。
それは憎悪。
それは執念。
それは憤怒。
それは悲哀。
人間ならば誰しもが一度は抱いたことのある感情が混ざった形で脳に直接語り掛けてくる。夜は眠れず、食事は喉が通らなくなり、吐き気すら覚えた。日に日に衰弱していく自身の体を鏡で確認するたびに死を覚悟した。
その覚悟も一ヵ月程度で無駄となってしまう。
非日常に慣れてしまったのだ。毎日のように恨み辛みの声も耳にしていればそれは鳥の囀りと何一つ変わらない日常のBGMだ。日常となってしまえば普段通りの生活リズムを取り戻すのは簡単で、正常な体へと戻るのにさして時間は必要としなかった。
それでも毎日のように語り掛けてくる声に嫌気は差す。
――ヨコセ。ソノカラダヲヨコセ。スベテワレノモノダ。
これまでは聞き流すこともできた言葉が頭から離れない。それは身柄を拘束された理由と直結するからだろう。
意識を声から外に向ければ白衣を羽織る研究者とユリウスが顔を合わせながら意見を交わしている。剣呑な空気を漂わせながら口論するのは原初の焔の抽出の失敗が続いているからだ。
「理論的にも設備的にも問題はないはずです!」
「だが抽出できていないのが実情だ。それはどう説明するつもりだ?」
口論は激化していく。ユリウスからすれば当てが大きく外れた状態だ。そもそもニールセンの拉致は原初の焔を抽出できることを前提に実行された作戦である。そこには研究者の絶対的な自信を信頼があった。しかし、いざ蓋を開けてみれば抽出失敗という結果。ユリウスの怒りは当然だと言える。
「だから無駄なことだと言ったのです」
連行時に抽出実験をするだけ無駄だとニールセンは言い続けた。ユリウスからすれば力を失いたくない一心からの出任せだと思っていたが、事実彼女の言う通りの結果が言葉の真実性を確立させた。
ユリウスはニールセンの傍に寄る。
「どうして抽出できないと分かった?」
純粋な疑問だった。ユリウスの国、グラチア皇国は領土こそ帝国や王国と比べれば小さいが、独自に発展させた技術の水準はひとつ頭が抜けている状態だ。その技術を屈指してもままならない現実に直面した。
「理論や設備、これはそういう問題ではありません。それらは所詮、人中の理でしかない」
どれだけ優れた技術も人の範疇で築かれた知恵である。そこに神々の力に干渉できる道理があるはずもない。神々が持つ権能の一つとされた原初の焔はそれ単体で人理より高みにあるのだ。
「ならば何故、貴様はその力をその身に宿すことができたというのだ」
彼女の言葉を真実とするならば人の手では持て余す力であるはず。だがニールセンはその力を制御しながら単身に宿し続けている。
「それは矛盾だ」
本来ならばニールセンの体は焼き尽くされていなければならない。そうでなければ彼女の発言も実験が失敗した事実も全てが嘘になってしまう。
「制御できているのかは微妙なところではあるのだけど、この身が五体満足なのは原初の焔がそれを求めているからです」
「……認めているではなくてか?」
「えぇ。求めているからです」
お互いが大切だと思う部分の言葉を切り取る形で強調する。
「まるで原初の焔に意思があるような物言いじゃないか」
「ありますよ」
傍も当然のようにユリウスの言葉を認めた。神々の力を兵器と利用することを目的としていたユリウスにとって寝耳に水である。
「毎日のようにこの体を寄越せと言ってくるぐらいに自己主張が強いです」
隙あらば体を乗っ取ろうとしてくるので当人からすればいい加減諦めてほしいところだが、その執念は恐るべき粘質性を持つ。そうでなければこの身に宿した時から毎日のように語り掛けてくるようなことはしないだろう。
「つまり私の身を焼き尽くしてしまうと依代を失って自由になれる方法も失ってしまうわけです」
一通り説明を聞き終えたユリウスは顎に手を添えて思考に入る。より原初の焔の知識を手に入れたことを踏まえて新たな策を練っているところだ。
「ならば変わりに依代となる生贄を用意すれば或いは……」
抽出できないのなら自らニールセンの体を捨てて表に出てくれる方法を取る他に術はない。つまりニールセンよりも優れた器を提供すれば乗り移るのではないかと考えたのだ。
「確か一昨日に新たな自動人形が送られてきたはずだったな」
確認された研究者は頷き返した。
「今すぐ用意しろ。それと並行して制御できる準備もするように」
成功するかは半々だが、試す価値はあると結論したユリウスは研究者たちに指示を出す。研究者たちもそれに従って動き始めた。その様子をニールセンは眺めながら心の内で大きく溜め息を吐く。
――無意味だとは思いますが……。
それでも覚悟をしておく必要はある。初めての事態だけにどういう形で制御が利かなくなるのか予想がつかない、もし奪われるようなことがあればその時は自決する心づもりでニールセンはユリウスたちの作業を見届けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます