第35話 『願わくば僕は……』
痛みを感じないことをカドックは不便に思うことはなかった。
勝利という結果こそが自分に与えられた使命。それを忠実に且つ確実に熟すには痛覚がないこの自動人形の体は都合が良い。定期的にメンテナンスを受けなければならない手間はあるが、ひと手間で不具合なく十全に実力を発揮できるのなら面倒に思うこともない。
機械の体なら体調に左右されることもなく、常に万全の状態で任務に熟せる。ユリウスが自分を副官に抜擢したのもその辺りの便利性を買ったからである。
ただこの頃になって疑問に思うことがある。
――自分はいつから自動人形だったのだろうか?
本来なら疑問にもならない案件だ。自動人形は人の手によって造られた絡繰り。そこに過去など存在するはずもない。
それでもメンテナンスでスリープ状態になるたびに夢を見る。
幼い自分の姿を。幸福とはかけ離れた過酷な人生を。優しい女性の笑顔を。それに喜ぶ自分の顔を。
夢を見る機能など備えているはずもないのに関わらずだ。
もしかすれば欠陥かもしれない。本来なら研究者に報告して緊急メンテナンスをしてもらうべきところだが、カドックは報告しなかった。それは定期メンテナンスで発見されなかった結果と夢の記憶を消したくないという我侭な感情を優先したからである。
――その選択は間違っていませんでした。
夢とは即ち生命の活力。そこに馳せる想いがあるから人は未来を描ける。未来を描けるから明日の生に執着する。
「だからこその成長! その為に私は貴方をここで殺します!」
魂の叫びが乗った大剣の一振りが魔剣と衝突する。身の奥底から湧き上がる熱を晴らすように衝撃波を生む。
「未来への渇望。まるで人だな」
人より人らしいと呼べるかもしれない。生に慣れた今を生きる人間にはないものをカドックは持っている。それが人の手によって造られた存在に芽生えたのは皮肉な話だ。
「だが諦めろ。お前は人にはなれない」
アデルは冷酷に伝える。そこに思惑は一切なく、ただただ現実を突き付けた言葉だ。人がこれだけの激情を露わにすれば火事場の馬鹿力のような数値では表すことのできない底力を見せるのが相場だ。
残念ながらカドックにはその兆しがない。それどころか刻々と過ぎていく時間に連れて動きが鈍くなっている。それが顕著に現れたのは二打、三打、と振るわれた大剣の衝撃だった。
「機械のお前には設定された力以上のものは出せない」
遂には魔剣を片手で持っても簡単に受け止められるだけの威力に落ちた。
「そんはずは……そんなはずはありません!」
型も何もない、ただ左右に大剣を振るう。次第にはそれすらも難しくなり、大剣の重たさに姿勢を崩されて転倒してしまう始末だ。
「私はまだ……まだ――⁉」
四つん這いになりながらも諦めずに足掻こうとするカドックの体をアデルは蹴り飛ばして仰向けにさせた。そして魔剣で胸を貫いた。いくつもの電線が切断されていく鈍い音が鳴り響く。カドックは魔剣の刀身を両手で掴んで引き抜こうとするも意思とは裏腹に両腕に力が入らない。
「無駄だ。自動人形になり下がってしまったお前にこの逆境を乗り越えられる力はない」
「……な、なにを?」
「いくら成長を求められる自動人形でもお前が持つ感情の昂りは異常だ」
人と同じく成長が約束された自動人形だったとしても機械という枠組みから外れることはない。人間と触れ合うことで感情が育つ構造にはあるが、それにも限界がある。その限界も表情を微かに変化させる程度のもので、カドックのような変化は事例がない。
そこからアデルは一つの推測を立てた。
「元々、お前は人間だった」
人間から自動人形として成長していったのであれば筋は通る。カドックは感情に芽生えたのではない。消去しきれていない感情が表面化しただけである。
「私が人間……? そんなはずは……」
夢を思い出す。あれは人間だった頃の記憶ではないのか?
疑問を思い出す。あるはずもない自分の過去が気になったのは人間の記憶を夢見たからではないのか?
自問自答を繰り返す。いくら繰り返しても答えにはたどり着かない。答えは既に消去されているのだから決着がつくはずもない。それでも疑問や疑惑を晴らすようにピ
ースが嵌っていく。
「私は………………違う、僕は!」
力を求めた。弱者であることを嫌った。自分を虐めた連中に一泡を吹かせたかった。何より弱き者を守れる強い人間になりたかった。だが当時の自分は幼くて得られる力など限りが知れていた。
「そうか……。僕は自分から……」
自動人形になることを求めてしまった。力を渇望するあまり手っ取り早い方法を選択してしまった。機械の力を得ることが成長の近道だと自分に言い聞かせて肉体の成長を放棄してしまったのである。
「あは、あはは……あはははは!」
乾いた笑い声を漏らす。
「人間に恋い焦がれた人形は実は人間だった。なんて滑稽な話だ……」
乾いた声が次第に濡れていく。それは涙粒の形を取って現れた。
「……涙、か。少しは人間らしさを取り戻せたのかな」
溢れて止まない涙粒を拭うことはせずに垂れ流し続ける。
「……可能であればお名前を教えてくれるかい?」
己の過去を取り戻したことでカドックの口調は砕けたものになっていく。
「アデル=フィーニス。こうして姓まで教えたのは人間で君が初めてだ」
「それは光栄だな……。うん、とても光栄なことだ」
まるで自分だけの辞書に記録するようにカドックは言葉を刻む。
「人生と呼ぶにはあまりにも情けない」
失われつつある命を噛みしめるように味わいながら一句一句を声に出す。
「人生と呼ぶにはあまりにも浅い」
走馬灯を見るようなことはない。それは人生を悔いなくしっかりと歩んできた者だけに許された特権だ。
「だけど、まあ、死に際は悪くないかな」
腹に突き刺さる魔剣を愛おしいように撫でる。
「魔王に挑んで命を散らす。まるで冒険譚に出てくる登場人物のようだ」
できれば勝利して魔王を討伐した功労者であればよかったと思うのは我侭だろう。
「結局、痛みは思い出せなかったけど涙は流せた」
視界にノイズが走る。機械の体が停止しようとしている。
「自動人形になり下がった自分も来世があるかは分からないけど、願わくば人でありたいな」
天を焼き尽くそうと空にまで手を伸ばす炎の海の隙間から空に視線を送り、手を伸ばす。
「今度こそ僕は人として生きるんだ…………」
空に伸ばした腕が地面に落ちた。涙は止まり、双眸は閉じられる。
カドック=ルニャークは完全に機能停止した。
アデルは魔剣を引き抜いて鞘に納めて歩き出す。最後の最後に本当の自分を取り戻せたカドックの言葉を聞き届けた彼は一瞥することもなく炎の海から姿を消すのだった。
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