第33話 『カドック=ルニャーク』

 カドック=ルニャークという男の素性は謎に満ちている。


 早くに両親を失ったカドックは幼少時代に孤児院に入るも僅か一年で退所すると、その後は消息不明の一途をたどる。傭兵として各地を転々とした噂もあれば、スラム街の悪童として名を馳せたなど。そこに明確な記録はなく、ただ憶測の域を超えない噂が独り歩きしている状態だ。


 再びカドックが表に姿を現したのはユリウスが副官に任命したからである。どこで知り合い、どこでスカウトしたのか、全ての経緯が不明で、その頃からカドックは全身を鎧で覆い隠していた。故にユリウスを除いた誰もが素顔を見たことのない謎多き人物として認識されている。その側面では面倒見の良い性格から部下に慕われている姿もあった。


 ユリウスの命令でアデルの足止めをするべく炎の海の中で仁王立ちする。それと対面する形でアデルもまた自然体の姿勢で構える。他の者たちは熱さに耐えられず安全地帯に避難するなか、二人だけは苦しむ素振りすら見せない。


「イーヴァル。ユミルたちと合流してユリウスの後を追え」


「アデル様はどうなされるおつもりですか?」


「俺はこの男を足止めする。その間に早く行け!」


「承知いたしました」


 隣に立つミリアと顔を合わせて頷き合い、ユミルと合流するべく駆けだした。その動きを把握してカドックもまた部下たちに指示を出す。


「隊を二つに分けて対処しなさい」


 カドックの命令を十全に汲み取った部下たちは隊を二つに分けると、片方はイーヴァルたちを追わせ、片方はユリウスと合流するべく動いた。具体的に命令を出さなくとも確実に動ける辺り相当の訓練を熟してきたのだと分かる。


「随分と優秀な部下をお持ちのようだ」


「自分には過ぎたるものです。それに彼らを鍛えたのは私ではなくユリウス様のお力ですから」


 謙遜する姿にアデルは好感すら持てた。行き過ぎた謙遜は受け取り方次第では嫌味にも聞こえるが、カドックからはそれを感じられなかったからだ。


「ですが少々、厳しくもありそうですね」


 イーヴァルたちを追いかけた部下たちの方向に視線を送りながら不安に駆られる。優秀だからといって実力が伴っているとは限らない。指揮系統を乱さずに上官の命令を汲み取り熟すのは兵士として優秀ではあるが、あくまで隊を組んで実行する連携力が求められる。そこに個々の実力は求められておらず、そこで実力が伴った者たちが肩書きを得て将軍や副官といった席に着くのだ。


「なので早々に決着をつけさせてもらうとします」


 上段に持ち上げた大剣を中段まで下げる。両手でしっかりと柄を握り締めて刃を縦にし、少し腕を前に垂らして大剣の角度を傾けた。太陽の陽射しが逆光となって剣先を鋭く光らせた。


 大剣の型として基本の構えだ。片手でも振るえる片手剣や細剣と違って大剣は両手持ちが一般的。そのことから構えも必然的に限られてくる。そのなかでもカドックの中央に大剣を構える姿はメジャーだ。それだけシンプルで扱いやすく、その反面、特筆すべき部分もないデメリットも持つ。だがそれを極めれば話は変わってくる。どんな凡庸な型でも極めれば昇華するというものだ。


 カドックはまさにその域にまで至った達人である。それは対面するアデルが一番に肌身で感じた。それとは別に違和感もあった。


 ――強者の匂いがしない。


 匂いとはあくまで比喩ではあるが、常人とは違う特有の空気や雰囲気と考えてもえればいい。帝国軍のルシアやシルヴィにもそれはあったが、同格であるはずカドックからは感じられないことがアデルにはどうしても腑に落ちなかった。


「どうしましたか? よもやここにきて怖気つきましたか」


 一向に構えないアデルを不審に思ったカドックは挑発する。挑発でいちいち気を荒げるアデルではないが、今だけは乗る形で違和感を振り払う。


 刀剣に魔力を流し込んで魔剣と変化させる。大地を焼き払う業火と違って静かな炎が刀身を纏い、それは魔力反応を起こして紫色へと変色していった。


「――決着を急ぐことには同意しよう」


 範囲を拡大させていく炎の海を視界に納める。時間稼ぎが裏目となってアデル自身を追い込んでいく。


「こうやって言葉を交わす猶予もなくなってきましたか」


 僅かな会話の合間にも炎の手は広がると、先程まであった脱出口すらも閉ざした。渦のように二人を囲むと、炎の壁を作る。鳥かごに閉じ込められたかのように二人は炎の中に取り残された。


「ですが、ご安心を。炎に焼き尽くされる前に貴方の命は我が大剣で奪ってあげますので」


「それは有り難い。自分の炎で焼死など魔王としてあまりにも情けない」


 後世に語り継がれる魔王の記録として最も恥ずかしい死になるだろう。魔王の使命を果たせずに命を落とすことが一番恥ずべきことではあるが、死に様としては自滅が一番だろう。


「もし俺が負けるようであれば是非ともそのように扱ってもらいたい」


 これは決死の覚悟ではない。絶念の遺言でもない。ただの戯言である。常に余裕を保ち毅然とした態度を崩すわけにはいかない魔王としての使命感がこの言葉を生んだ。


「心得ました。ではその命、丁重に頂戴する!」


 カドックは気力も上乗せした勢いのまま大剣を振り下ろした。

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