第29話  『冷たい牢獄の中で』

 鉄格子の隙間から射し込む太陽の光の眩しさにニールセンは目を細める。


「……気絶していたのね」


 捕縛されてから三日、毎日のように続く拷問の中で気絶をしてしまっていた。暴行を受けた部位は腫れ上がり、内出血して蒼白く染まっている。石壁に固定された鎖には手枷が装備され、両腕を背後に伸ばす形で身動きを封じられている。両足も同様の形で足枷を付けられており、姿勢を整えることすらもままならない状態だ。それでも慌てる様子もなく現状を冷静に把握できるのは何もこれが初めてではないからだ。


 魔女になる前からニールセンという女は拷問を受けるような苛酷な人生を過ごしてきた。それは魔女になってからも一緒である。


「こんなドジ、ここ何年も踏んでいなかったのに……。やっぱり慣れないことをするべきじゃないわね」


 慣れないこととはベヨネッタを見習いとして保護したことだ。世間から距離を取ることが常識とされる魔女の世界で見習いを取ることは珍しい。ましてそれが子供となれば役に立つことよりも足手まといになることの方が多くなることは容易に想像できる。


「さて、と。反省はこの程度にして、ここから脱出する方法を考えないとね」


 反省を自己完結させて、思考を脱出方法だけに働かせる。まずは体を縛る枷を外す必要があるのだが、牢獄からの脱出に置いてここが一番の難関だ。常識的に自力で枷を外す方法などない。奥歯やメガネに仕込んでおいた針金を使って脱出するシーンなどあるが、はっきり言ってそんな都合よく脱獄用の準備をしている者などいない。たとえ準備していたとしても器用に操って枷を外すなど相当の訓練を積んでおかなければ出来ない芸当だ。だからこそ牢獄の門番が少数でも成り立つ。


「あの子のことだから無茶を通しても助けにきそうだから急がないと」


 先生と慕うベヨネッタの性格から自分を助けに乗り込んでくる可能性が極めて高い。必死に逃走する後ろ姿を見届けた限りでは連行されていく後を追跡する余裕はないはず。ならば投獄先を探索することから始まるわけだが、土地勘のないベヨネッタがこの場所を探し当てるのは奇跡に等しい。


 ならば、と別の方法に思考を働かせたニールセンは一つの予想に到達した。それは助けを求めるといったもの。それは最も手っ取り早く、その反面で足を掬われる危険性を秘めた手段でもある。


「確か無領域地帯には……」


 廃城と化した魔王城があることを思い出す。時折、魔族のメカニズムを研究する為に侵入していたが、ある時期から修繕の手が入ったことで近寄らなくなった。この土地で助けを求められる相手がいるとすれば魔王城の他に選択肢がない。人間が魔族に助けを求めるなど普通なら考えられないことだが、まだ年端もいかないベヨネッタにはそこまで考えられるだけの余裕はないはずだ。ただ魔王城の城主が手を差し伸べるかまではニールセンもさすがに分からない。


「ますます脱出を急がないといけませんね」


 決意を新たに脱出する方法を再思考しようとしたところに声をかけられた。項垂れていた頭を上げたニールセンの双眸が映したのは金髪の優男だ。純白の軍服に身を包んだ優男の胸元には複数の勲章が見せびらかすように付けられている。


「魔女がどんな者か見にきてみれば、佳き女ではないか。ブツブツと独り言を声にする癖はどうかと思うがな」


 軽薄な笑みを浮かべながら優男は覗き込むようにニールセンの顔を眺める。


「よもや脱走を考えてなどおらぬだろうな?」


 ニールセンの思考を読んだかのように暴いていく。


「もし考えていると言ったらどうしますか?」


 ここで弱気になればつけ入られる隙になる。


「それもまた一興と笑いの種にするだけさ」


 くつくつと喉を鳴らしながら笑う優男にニールセンは内心で焦る。軽薄な態度とは裏腹に腹の中が読めない。だてに勲章を授与されてはいないようだ。


「……ところで私を捕まえた訳を教えてはもらえないのですか?」


 話題を変えて自分に悪い流れを変えようとする。


「露骨に話を変えてきたか。なんだい? 随分と余裕がなさそうだが、それも戦略の内というやつかい? ――おい、お前。椅子を持ってこい」


 牢獄の外で待機していた門番に椅子を持ってこさせると、背の部分を前にして腰を下ろした。


「時間はいくらでもあるからさ。色々と話をしようじゃないか」


 軽薄な笑みから一変、人懐っこい子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。今この場を支配するのは完全にこの優男である。


「その前に私の質問に答えてもらえないですか?」


 主導権は握られながらもニールセンの一切揺るがない胆力には舌を巻く。


「せっかちだね。それも悪くはないけど、答えが分かっている質問は時間の無駄だと思うけど?」


 ニールセンは押し黙る。それは優男が言うように捕縛された理由を分かっているから。否、そもそも魔女を捕縛する理由など一つしかない。


「まあ、それを聞かないと話ができないというのなら教えるよ」


 優男は椅子の背もたれから乗り出す形で姿勢を取る。


「君を捕まえたのは魔導器を確保するため。ただし欲しているのはそこらの魔女が持つただの魔導器じゃない」


指先をニールセンの胸元に突きつけた。


「欲しいのは君の心臓に埋め込められている魔導器。確か“原初の焔”だったかな?」


 答え合わせをするように小首を傾げた優男の瞳は獲物を捉えた蛇のように鋭いものだった。

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