第27話 『魔王城』

 ベヨネッタは後ろを振り返らずに一心不乱に雪道を走った。底を尽きかけている体力に比例して足元が覚束ない。つま先が雪に深く潜り込んでは躓きそうになりながらもどうにか耐えては姿勢を整えて当てもない逃走を続ける。


 息は切れて、顎は上がり、肩で呼吸をする。疲労はピークを達して、遂にベヨネッタの足を止めた。両膝に手を付けて酸素を取り入れようと忙しなく呼吸を繰り返し、額からは流れる汗が雪上に落ちてはその熱で溶かす。指一つ動かすことも億劫に感じてしまう程の疲弊を体が訴えながらも背後から追い駆けてきているかもしれない兵士たちの恐怖が上回って振り返る。


 誰もいない。その事実がベヨネッタを安堵させるも、今度は別の形で焦りを見せ始める。それは身代わりとなって兵士を惹きつけたニールセンの安否と自分が今どこにいるのか分からない状況に対してだ。土地勘もないまま無我夢中で走り続けた結果がこれである。


「ど、ど、どどどどどうしよう!」


 慌てるあまり呂律が上手く回らない。こんなとき頼れる相手でもいれば助けを呼ぶ考えにすぐ至るのだが、家族や友人を捨てて魔女見習いとなった彼女には無理な話だ。それでも何かしらのアクションを起こさなければニールセンを救うことはできない。


「ベヨネッタ……。脳をフル回転させろ、ベヨネッタ……」


 呪文のようにぶつぶつとニールセンからの訓えを繰り返す。ここで思考を停止させてしまったらニールセンを見捨てることになってしまう。天涯孤独の立場にある魔女ニールセンを救えるのは自分で、それは生徒である自分の役目だ。


 ――自分に何ができる?


 あらゆる分野に精通していない素人が出来ることがあるとすれば知恵を振り絞ることだけ。それが必ずしも成功すると約束されているわけではないが、大切なのは動いたという事実。そこから可能性が枝のように広がっていく。


「とりあえずここから動かないと」


 一箇所に留まることは危険だと判断して重たい足を動かすため、両膝から手を離して上半身を持ち上げる。一面が白だった視界に空と森林の色が混ざっていく。焦りが落ち着き、思考する余裕を得たことで視界が広がったのを実感する。


 そんな正常を取り戻したからこそ森林の奥に佇む建物に気付けた。


「あれは……城?」


 広がる森林に遮られて建物の全貌は窺えないが、視界に捉えた尖塔のような屋根はベヨネッタが何度も目にしたことがある城を彷彿とさせるものだった。


「でもどうしてこんな場所に……」


 お世辞にも開拓された土地ではない辺鄙な場所に城を建てた目的が分からない。先程の兵士たちの拠点としている基地という可能性も否めないことから立ち寄ることを憚られるが、今は藁にも縋りたい気持ちが強い。


「当たって砕けろよ!」


 気合を入れ直して、城を目指して足を進めた。


                ◇


 そこは廃城だった。


 所々に修繕された形跡はあるが、城として機能させるにはあまりにも心許ない。その様相が兵士たちの基地でないことを証明してくれたわけだが、修繕された形跡から何かが棲み処としていることもまた証明してくれた。


 ベヨネッタは唾を一呑みしてから城門に踏み込むと、まるで来訪を待ち構えていたように十人が姿を現した。黒髪に赤色のメッシュを入れた長身の男だ。


 頭上から鋭く見下ろされる眼光に怯みながらも勇気を振り絞ってベヨネッタは声をかけた。


「と、突然の来訪をも、申し訳ありません……。こちらの城主様でしょうか?」


「……ふむ。俺は城主様の臣下だ」


 ベヨネッタの態度や仕草から不審者でないと判断した長身の男は質問に答えた。


「このような辺鄙な城へ何用だ?」


「私の先生を助けてもらいたいのです!」


 話が通じると分かったベヨネッタは長身の男の体に縋りついて懇願した。先程までの脅えた態度は既になく、長身の男もまた必死な姿に呆気を取られるも、とにかく体に縋りついてくるベヨネッタの体を引き剥がす。一拍の間がベヨネッタに平常心を取り戻させると、自分の行動に面映ゆさに俯かせた。


「も、申し訳ありません!」


 恥ずかしさのあまり相手と顔を合わせずに謝罪した。


「構わない。それよりも先生を救ってほしいということであったが――」


「はい、その通りです!」


 話題が再びニールセンを救うことに変わったことでベヨネッタは必死になる。だがその後に長身の男から伝えられたことに言葉を失くす。


「ここを魔王城と知っての来訪か?」


 伝えられた事実にベヨネッタは何も言葉が出なかった。熟考に熟考を重ねて選択した行動が魔族の長が拠点とする場所へと誘った現実に落胆する。そもそも魔女を救ってくれる人物などいない、そんな当然のことすら考えが及ばなかった自分の未熟さに打ちひしがれた。


 そんな絶望の淵に落とされたベヨネッタに光明が差す。


「その様子だと知らなかったようだが、それを知った上で改めて問おう」


 絶望から両肩を落としていたベヨネッタの顔が上がる。


「ここを魔王城と知りながらも我らに助けを求めるのか?」


 それはベヨネッタにとって考えられもしない言葉だった。


「それでもよければ魔王様との謁見を試みよう」


「ほ、本当ですか⁉」


 思いもしなかった光明に必死の形相を浮かべる。


「ただ魔王様は事情があって今すぐには動けなくてな」


「それはどれぐらい待てばよろしいのですか⁉」


「分からぬ。ただ後数日はかかると覚悟はしてもらいたい」


「それでも待たせていただきます」


 この機会を逃せば万が一の可能性すら潰えてしまうと考えたベヨネッタの返事は即答だった。


「ではこちらへ。城内で別の者にご案内させますので」


 丁寧な対応に心をなで下ろしたベヨネッタは微かな可能性に希望を抱きながら魔王城に招待されるのだった。

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