第26話 『魔女になった理由』

 簡単に昼食を食べ終えた二人は準備を済ませて家を後にする。扉を開いてひとたび外に出れば一面に蒼く茂った森林の景色が広がり、大地を覆い隠していた雪も溶けて、春の兆しを予感させるように草花が新たな命を芽吹かせていた。それでもまだ体感では寒さは強く、防寒着や雪道用の太股まであるブーツを履いて対策を施す。ブーツの中間には両足共に四本のナイフが装備されている。


「魔導器があるのにナイフも用意するのですか?」


 魔導を使用して魔獣狩りをするものとばかり考えていたベヨネッタは自分用に用意されたナイフを装備しながら疑問を声にした。


「その魔導器を使うための魔獣狩りに魔導器を使用しては本末転倒じゃない」


「ご、ごもっともです」


 訊いてしまったことにベヨネッタは恥ずかしさを覚えた。少し考えれば誰でも答えにたどり着く。思考よりも先に疑問を声にしてしまうのは自分の悪い癖である。


「それを自覚しているのなら問題はありませんよ」


 問題なのは自覚がないまま放置することだとニールセンは言う。無自覚に無意識なまま動くだけならそれは獣と変わらない。思考を止めたら脳力は低下して成長を停止させてしまう。それは人間の使命を放棄したのと一緒である。


「常に脳を働かせなさい。何も考えずにただ生きるだけの人生は死んでいるのと一緒よ」


 移動時間も無駄にしないようにニールセンの授業は野外でも続く。慣れない雪道の移動に息をあげながらもベヨネッタはしっかりと耳を傾けながら頷き返す。魔女の訓えというよりは人としての生き様を説いているように受けられるが、ニールセンは左右に首を振ることで明確に否定した。


「本当に考えて生きているなら戦争なんて醜い争いを何度も起こさないわ」


 思考を停止させたから人は同じ過ちを繰り返す、それがニールセンの考えだ。戦争で生まれるのは憎しみや悲しみにやり場のない怒りだけだ。


 確かに戦勝国は領土を拡大することで国力を増して経済効果の発展に影響することもあるが、それも僅かな期間だけ。敗北者としての痛みは必ず牙を剥く。


「だけどそれは一人や二人だけでは意味がない」


 言葉の一つ一つにニールセンの感情が強く込められていることにベヨネッタは気付いた。それこそが魔女に身を堕とした理由なのかもしれない。勉強の毎日で気に留める余裕もなかったが、振り返ればニールセンが魔女になった経緯を知らない。


――どうして魔女に……。


 ベヨネッタは考えたこともなかった。ニールセンに限らず彼女たちがどうして人の道を踏み外してでも魔女になったのかを知らない。


 彼女たちが魔女と呼ばれた要因と人体実験に臨むまでの経緯は別物だ。魔導器を開発する考えに至った理由が必ずあるはずなのだが、世界のほとんどがそれを知らない。


 否、それこそ思考を働かせていない、というニールセンの言葉そのものである。


 魔女は悪逆非道。その一言で片づけて、彼女たちが魔女の道に足を踏み入れたことを考える必要がないと判断して思考を放棄してしまったのだ、


 だから訊いた。ここまで働かせた思考の経緯を説明しながら魔女を目指した理由を。ニールセンは少し驚いた表情を浮かべたのも束の間、いつもの柔らかい微笑みを浮かべた。


「昔の私はね小国のお姫様だったのよ。あってもなくても大局に影響するような国で

はなかったけど、それでも豊かで平和な国だった」


 その口調は軽快に弾む。本当の話であれば悲痛の声が混じるべき話題にも関わらずニールセンの声音や表情からもベヨネッタは読み取ることができなかった。


「冗談はやめてください」


 話題を逸らそうと誤魔化していると判断した。認めるようにニールセンも眉尻を下げて一言謝罪する。


「……忘れちゃったわ。貴女のように親や人間社会に嫌気を差したのかもしれない。単に人とは違うことをしてみたかったのかもしれない」


 手前に伸ばした両手を広げては視線を落とす。


「しっかりと覚悟して進んだ明確な理由があったはずなのよ……」


 その記憶は次第に希薄になっていった。そんな最中にベヨネッタと出逢ったのだ。それも“血汐の月”の日に。血汐の月の日は昔から人生の分岐点に訪れると語られてきた自然現象で、吉報なのか凶報なのか定かでなくてもベヨネッタを弟子として引き取った。


 ニールセンは視線をベヨネッタに動かす。そこには雪道に足を取られて覚束ない足取りをする姿が映る。子を見る親の気持ちはこんな感じなのだろうか、と柄にもないことを思ってしまう。


「親か……」


「何か言いましたか?」


 独白気味の声にベヨネッタは反応するもニールセンは首を振って何事もなかったように再び歩き始める。


 目的の魔獣と遭遇することなく森林の雪道を歩き始めて約一時間が過ぎた。慣れない雪道に体力を奪われて疲弊するベヨネッタにニールセンは気を配る。本来ならば遭遇していて当たり前の時間帯だが姿を現す気配すらない。狩りを諦めて引き返すべきか探索を続けるか、ニールセンは迷う。その最中でも払うべき注意をニールセンは怠ってしまった。


「先生! あれを見てください!」


 服の裾を引っ張られながら届いた声に注意力を取り戻したニールセンはベヨネッタが指差す方向に視線を送って、盛大に舌打ちをした。


 視線の先にあったのは軍服に身を包んだ集団だ。それもこちらの存在に気付いて行動を起こそうとしている最中だった。


「逃げなさい、ベヨネッタ! あれは私が惹きつけておく間に!」


 魔女見習いで、それが子供であっても人にひとたび捕まれば処刑は免れない。


「ですが⁉」


「早く行きなさい!」


 これまでにない荒げた声に背中を押されたベヨネッタは指示に従って走り出す。それとは反対方向にニールセンは走り、ナイフを兵士に投擲することで敵意と意識を自分に向けさせてベヨネッタから兵士を離すのだった。

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