第2章 『黄昏の魔女裁判』

第24話 『月下の契り』

 月が浮かぶ。

 

 白く淡い光を纏う三日月だ。地上の生物を嘲笑っているかのように歪んだ形は醜悪で、まるで人間の本性を映したかのような姿を取る。


 本心でどれだけ取り繕っても内心では他者を下に見る人間。

 平和と友好を唱えながらも決して結ばれない欺瞞だらけの人間。

 君の為だ。君を守ろう。綺麗事を並べても結局は自分が一番大事にする醜い人間。

 

 広い世界で数ある種族の中でも一番醜い生き物は人間である。そんな人間たちが世界で一番尊い生命体であると謳う姿に吐き気を覚える。


 そして何より自分がその人間であることが女の子は酷く嫌だった。


 他人の視線を気にして生きる毎日。格式に則った礼儀作法やマナー。貴族や資産家だけが参加する見栄だらけの汚れた社交界。そして舐められてはいけないと身の丈に合わない自己を主張する両親の涙も出ない努力。その後ろで人形のように付き従う女の子はそんな人生から逃げるように会場を出ていった。


 社交界会場から街に出て更に外に出る。ゴシックドレスの裾を持ち上げながら赤色のエナメルのパンプスで夜の街道をがむしゃらに走り抜ける。行く当てどころか一人で街の外に出たこともない。運動に不向きな服装に慣れない街道の移動に加えて未成熟な子供の体では体力そのものが長く続くことはなかった。


 そして気付けば森の中に彷徨い込んでいた。月の光だけが頼りの暗い森。その月も雲に隠れて月光を遮断されている。夜行性の魔獣の遠吠えに体を震わせながら傍にある木に背を委ねて体を縮める。


「おや? こんなところに子供とは珍しい」


 人の声に女の子は埋めていた顔を上げるとそこには銀髪の麗しい大人の女性が立っていた。彼女の姿を待っていたかのように月を隠していた雲が晴れて、月光が地上を照らす。だがそれは見慣れた色とは大きく異なる月光だった。


「ひ、ひぃ!」


 見上げれば三日月は白色から紅色に変色していた。鮮血を吸い取ったかのような鮮明な赤色だ。そして紅色の月の月光に照らされた銀髪の女もまた同じ色に染まる。


「おやおや、これは珍しい」


紅く染まる三日月に視線を配った銀髪の女は物珍しく観察する。


「“血汐ちしおの月”ですか。そしてその月下で邂逅を果たす年端もいかない女の子ときました。これは吉報? それとも凶報? 未来を見通せない出逢いはそそりますわね」


 紅色の月光越しにでも分かるほどに頬を紅潮させる銀髪の女は一歩前に歩み出ると、膝を折って脅える女の子と同じ視線の位置に合わせた。


「はじめまして、可憐なお嬢さん。私はニールセン=フィリドール。貴女は?」


 自己紹介を済ませた後、ニールセンは小首を傾げて訊いた。それは年相応な仕草というよりは小動物を彷彿とさせる可愛らしいものだ。


「べ、ベヨネッタ……です……」


 完全に消えていない恐怖心から所々詰まらせながらも女の子は名乗り返した。


「あ、あの、お姉さんは……」


 子供ながらでも眼前にいるニールセンが只者でないことは分かった。このまま彼女と話を続けたら二度と引き返すことができないことも。それでも警鐘を鳴らす本能を無視して訊いたのは現状を変えたいという願望からくるものだった。


「魔女よ。ベヨネッタは魔女はお好き?」


 訊いておいて意地悪な質問だとニールセンは思う。魔女は人の心を惑乱させる存在とされ、童話の題材にも使用することで子供に悪い生物だと読み聞かせているほど。ベヨネッタも両親から耳にタコができてしまうほど読み聞かされたものだ。だけどその努力は別の形となってベヨネッタの中で芽吹いた。


 それは魔女への興味だ。魔族だけが使用できる魔法を分析して独自に開発した魔導の使い手。その過程で倫理に反する様々な悪逆非道を繰り返したことが現在の立場になった要因で、しかし、その果てに得た魔導の力は一軍にも匹敵する術もあるとされている。


 とある国では極秘裏に魔女を保護して陣営に組み込もうと画策したが、国民が反発。当時の国王は国民の理解を得るためにあの手この手で説明するも受け入られることはなく、遂には反旗を翻す最悪の事件が起きた。このままで国が亡んでしまうと危惧した国王は身勝手な行為に及ぶ。


 あろうことか自ら勧誘した魔女を国民の前で処刑したのである。


 後に“魔女裁判”と歴史に記録される事件だ。この事をきっかけに人間と魔女の間には埋めることのできない溝が出来て軋轢を生じさせた。


 それ程の悲惨な事件が歴史で繰り返されてきたのにも関わらず、それでも時代から魔女の存在が消えることはなかった。それはベヨネッタのように人間の醜悪さに耐えられなかった者たちが少なからず存在したからである。


「お願いします! 私を魔女にしてください!」


 頭を地面に付けてベヨネッタは懇願した。こんな機会は二度とこないと考えた彼女は縋る想いで誠心を見せた。


「いいわよ」


 ニールセンはあっけらかんと承諾した。それはベヨネッタが懇願してくることを確信していたからだ。それは魔導に頼った未来視でも読心術でもない。魔女として研鑚を積み重ねてきたことで研ぎ澄まされた勘である。否、感覚と言うべきか。世界に居場所のない魔女だからこそ人情の機微を測ることに優れたのだ。


「ついてきなさい。まずは見習いとして貴女を傍に置いてあげる」


「は、はい!」


「ふふ、いい返事ね」


 威勢のある返事にニールセンは嬉しそうに笑う。それも一瞬。次第に笑顔はなりを潜めると引き締まった真剣な表情へと変化させる。


「そうね。魔女見習いとしてこれだけは覚えておきなさい」


 振り返ったニールセンの真剣な表情にベヨネッタは金縛りにあったかのように体を強張らせた。そこには先程までの柔らかい空気はなく、人間の一線を超えた存在であることを直感した。


「魔女は倫理に背いた人ならざる人。どれだけ言葉を取り繕うともその事実は変わらないし、魔女である以上はその重責を負わなければいけない。

 そして覚悟しておきなさい。ひとたび魔女の領域に足を踏み込めば碌な死に方はできないと。それが斬首刑なのか串刺し刑なのか火炙り刑なのかは分からないけど、少なくともそこに倫理の配慮はなく、畜生を殺すように無慈悲に執行されるだけよ」


 ベヨネッタは冷や汗をかきながら唾を呑み込む。


「それだけは心の深層に刻んでおきなさい」


 ベヨネッタの頭に手を置きながら伝えた。それはまるで脳に直接記憶させる儀式のようにベヨネッタは捉えるのだった。

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