第17話 『一抹の不安』

 異変を真っ先に気付いたのはルシアだった。

 

 あれだけの速度から放たれた刺突ならば衝撃で体ごと押し込まれて持っていかれるはずにも関わらず、ウルシュグランは姿勢を崩しても立ち位置は動かなかった。まるで地面に根を生やしているかと思わせる結果だ。


 ――根を生やしている……‼


 ルシアの脳裏に一つの仮説がよぎった。それは攻め立てたはずのシルヴィの命を脅かす最悪の仮説だ。


 だからルシアは咄嗟に叫ぶ。


「早くその場から離れなさい、シルヴィ!」


 ルシアの叫びにシルヴィは反応するも行動に移さない。否、移せないのだ。ウルシュグランの胸に深々と刺さった剣を抜こうと試みるも微動だにしない。まるで初めから石台に固定されていた感覚に陥るほどの抵抗がある。


 その原因をシルヴィがすぐさま理解した。


「……嫌になりますね。物理に反することを平然と成してくる上に現実に嘘をつかせる」


 竜神に変身したことで人と同じ体型になったにも関わらずその質量に変化がない理不尽さにシルヴィは嫌気を差す。つまるところ変身した容姿と反して質量は変身前と変わらないということだ。最速の刺突とはいえさすがに竜体を押し動かすだけの威力はない。


 だがそれはまだいい、とシルヴィは思う。想定外ではあるが許容範囲内の出来事である。だが今はそれよりも信じ難い出来事が発生していた。それこそがシルヴィが動けない要因である。


「確かに貫いたはずですが……」


 心臓を貫いた感触は確かにあった。それは幾人の命を奪ってきた経験からくる絶対な感触で間違えるはずがない。しかし現実は嘘をつき、ウルシュグランの手が剣の柄を握るシルヴィの手に覆い被せる形で引き抜いていく。そうなればシルヴィに抗えるだけの力はなく、瞬く間に刀身が姿を現しだすと、いとも簡単に胴体から剣を抜いた。


「いい攻撃だった。久方ぶり死を味わえた」


 剣ごとシルヴィの体を押し返したのち、風穴を空けられた胸に手を添えてなぞるように払うと傷が嘘のように塞がっていく。


「っ⁉ 傷が――」


 神の所業とも言える奇跡に誰もが驚くなか、いち早く復帰したルシアが叫ぶ。


「シルヴィ、下がりなさい!」


 声に反応して咄嗟に後方に跳躍できたのは常日頃からルシアの命令を訊いてきたことによるものだ。


 それが功を奏した。跳躍に僅かな躊躇いでもしていようならウルシュグランの一振りによって胴体が切断されていた。鮮明に脳裏に焼き付けてくるあり得たかもしれない未来にシルヴィは冷や汗をかく。


 だが予断は許さない。跳躍して距離を取ったとはいえ無防備に近い状態であることに変わりはなく、ウルシュグランもこの好機を逃さない。追撃ちをかけるようにウルシュグランも距離を詰めるべく動いた。


「ユミル、頼む!」


 シルヴィを守るべくアデルは速度に長けたユミルに指示をとばした。


「うん、わかった! ジルも手伝って!」


「背に乗れ! 最短で詰めるぞ」


 アデルからの指示で即座に動きを見せたユミルはジルを呼び寄せてその背に乗った。


「少し痺れると思うが我慢するんだな」


 乗り手であるユミルに注告を入れたジルの全身に雷が迸る。蒼く光る雷は衣のようにジルを覆っていくと、その影響は移乗者であるユミルにも及ぶ。痺れによる痛みを伴うが、同時に雷の衣となる鎧が付加される。だが雷の衣が持つ最大の利点は防御にあらず。


「振り落とされるなよ!」


 雷の衣の出力が四本の足に集中していくと道を作るように大地を電撃が走る。次々と形成されていく雷の道の終着点は全てがウルシュグランに続く。


 その道をジルは行った。無数の雷の道を経由することで動きを複雑にして変化を入れる。加えてそこに雷撃を放った。雷の衣から放たれた雷撃は波打つようにうねりを見せながらウルシュグランに向かって走る。


「その程度の雷撃で攻撃を止められるとも……⁉」


 シルヴィの首を奪おうとする竜鱗の剣を持つ腕に直撃した雷撃はそれで消滅することなく腕から全身へとウルシュグランに渦巻いて縛る。


「動きを縛るのが目的か!」


 全身を渦巻く雷撃が紐を縛るように動きを固定させていく。


 その隙をユミルは狙う。動きが制限されたウルシュグランに目がけて跳躍するのと同時に頭上に大斧を竜麟の剣を持つ腕に振り下ろした。


「舐めるな!」


 縛る電撃の鎖を強引に打ち破ったウルシュグランは解放された左腕による一撃をユミルに繰り出すも空間に展開された障壁がユミルを守った。それはミリアが機転を利かして咄嗟の判断で発動した魔法である。完全に防御するのではなく一瞬の遅れを求めた障壁は一打で破壊されるも、僅かに生まれたタイムラグはユミルの一振りに繋がった。


 大斧がウルシュグランの右腕を斬り落とした。竜麟の剣の重さと腕の重さが加わった右腕は地面を穿つ。切断面からは盛大に鮮血が舞って地上を赤く染める。


「ぐぉー‼」


 心臓を貫かれても痛みの声を漏らさなかったウルシュグランが悲鳴をあげた。失った右腕を庇うように左腕を持っていき、体を大きく揺らしながら後退していく。


「まさしく好機ですね」


「あぁ。だが……」


 痛みに苦しむウルシュグランに追撃ちをかける好機であるのは間違いないはずにも関わらず一歩を踏み出すことにアデルもルシアも躊躇う。そこに温情や恐怖があるわけではない。ただ純粋に好機とは思えなかったのだ。


 だが根拠もない不安に尻込みしてアクションを見せないわけにはいかない。胸中に渦巻く一抹の不安を振り払ってアデルとルシアは追撃ちをかけるべく同時に動いた。

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