第12話 『ユミルの決意とジルとの絆』
ユミルは考える時間が欲しいと言ってアデルたちの滞在場所から少し離れて一人になった。麓まで伸びる崖先に腰を下ろして足を垂らしながら眼前に広がるグランミル連峰を眺めてアデルの勧誘について思考を働かせる。アデル自ら伝えられた魔王の使命や眷属として契約を結ぶことで身に降りかかる命の危険性を考えれば断るべき勧誘だ。家族である使役魔獣も一緒に魔王城への移住が約束されていることを除いてもユミルが魔王の使命を手助けする義理はない。まして人間による迫害を受けてきた半獣の歴史から人類繁栄の為に命を賭けることに納得できるはずもない。
「どうしたらいいのかな……」
満天の星空を見上げてポツリと呟くユミルの瞳に映るのは既に亡き両親の姿。天寿を全うして天に召された両親の口癖を思い出す。
――いつか必ず半獣の名を世界に知らしめる。
脈々と継いできた一族の怨念と悲願である。迫害という歴史で表世界から姿を消すことを余儀なくされた一族の苦しみは最後の半獣であるユミルにも遺言という形で引き継がれたが、当の本人にはそこまでの執念はない。迫害を受けていた時代から繋がれてきた血の記憶が薄まってきているのだろう。
「本当にどうしたらいいんだろうね……」
ユミルの心中を察して寄り添う狼種の魔獣が小さく喉を鳴らす。幼少時代から悩んだり寂しくなった時に寄り添ってユミルを慰めてきた魔獣で、銀色の毛並みが月光に照らされて淡く輝く姿は幻想的であることから“神狼”と市井で囁かれている。そこには純粋な魔獣でありながら人語を喋る意味も含まれている。
故にユミルの不安の声に神狼は答えた。
「貴様の父親はこうも言っていた。娘には縛られることなく思うがまま道を歩んでほしいとな」
ユミルの両親とも親交のあった神狼は耳にタコが出来てしまうのではないかと聞かされた言葉だ。寡黙な男だったことからお酒に頼った発言であったことからユミルに面と向かって伝えることはないまま他界した。
「知らなかった。パパがそんなことを言ってたなんて……」
娘の将来を気遣う父親の親心にユミルは涙ぐむ。十歳にも満たない頃に両親を失った彼女にとって親の愛情が圧倒的に欠けているのだ。ユミルは寂しい感情を誤魔化すように神狼の背をなぞるように触って気を紛らわす。
「安心するがよい。我は主の傍を離れぬ。そういう約束であろう」
母親が泣き止まない子をあやすような優しい声音で神狼は言った。それは両親を失ったことで孤独になったユミルと交わした口約束。契約書にサインをしたわけでも、眷属のように血の契約を交わしたわけでもない無力な約束。しかし、ユミルにとっても神狼にとってもその口約束はどの契約よりも強く絶対なものだ。
「うん!」
神狼が教えてくれた父の言葉と彼自身が伝えてくれた本音に先程までの迷いが嘘のように晴れていた。だけどユミルにはアデルの勧誘を受けるのを悩ませる問題が他にもあった。
「勧誘を受けるにしてもまずは当面の問題を解決しないと」
「うむ。だが彼奴らがいれば解決できるやもしれぬ」
「力を貸してくれるかな?」
「断言はできぬ。だが頼むに足る男だとは思う」
「ジルもそう思うんだ」
神狼ジルのアデルに対する第一印象からの信頼度はユミルと重なるほどに高いものだった。
「今日会ったばかりの人なのにどうしてだろう? こんなにも誰かを信頼できると確信できたのは両親やジルを除けば初めてだよ」
出逢ったばかりで信頼関係を築くには圧倒的な時間不足であるにも関わらず、ユミルがアデルに寄せる信頼感は十年以上の付き合いがあるジルに匹敵するほどだ。何故にそんな気持ちになれるのかは本人にも分からないが、魔法や超能力で意識操作による強制力を暗示されているような不快感はない。
「おそらくあの小僧は生まれながら王なのであろう」
「それはそうだよ。魔王として誕生したんだからさ」
魔王誕生の秘密はアデルから聞かされていたユミルはジルの言葉に納得するも、発言した神狼自身は左右に首を振った。
「誰かに与えられる座という“王”ではなく、生命宿し時よりその胸の内に秘めた根という“王”のことだ」
即ち他者を魅了させる天性のカリスマだ。それは王座に就いて得られるものではなく、誕生した時に宿される生命体としての根本であり選ばれた者にしかない力。名君であろうが暗君であろうが、どういう形であれ歴史に名を残した王は等しくその力を宿していたのをジルはその目で見てきた。
「自分の生きた年月さえ分からない我すらも虜にしてしまうカリスマ性。圧倒的な力を誇ったとされる初代魔王と肩を並べる大物になるのは間違いなかろう。そしてそんな王の下でお前も我も力を奮うと考えただけで武者震いが止まらぬわ!」
勧誘された自分よりも興奮するジルの姿に目を丸くするユミルだが、それも一瞬で、喜びを全面に出すジルの姿に自分の心も勇み立つ。
そこにアデルの呼び声がユミルたちにかかった。考えるといってから時間が経過したことで心配になったアデルたちが様子を見に来たのである。
「……どうやら返事は決まったようだな」
振り返ったユミルの表情からアデルは読み取った。
「うん! でもその前に紹介したい家族がいるんだ!」
ジルが一歩前に出ると鋭利な牙を剥きだしにするほどの獰猛な笑みを浮かべた。
「我が名はジル。既に亡きユミルの親代わりのような者だ。我もユミルも主の勧誘に応えようぞ」
魔獣が喋ったことに僅かな驚きを見せるアデルだが、それよりも勧誘を承諾してくれたことに心を躍らせた。
「でもね、その前にやっておかないといけないことがあるの」
「やっておかないといけないことですか?」
ユミルの言葉に反応したのはアデルの背後で控えていたミリアだった。
「うん! 私が何度挑んでも使役できなかった魔獣が火口の近くにある洞窟を棲み処にしていて、その魔獣にどうしても勝ちたいの!」
ユミルの双眸から真剣な眼差しが向けられる。そこに秘める決意は並々ならぬものであることは誰が見ても明白なものだ。
「わかった。力を貸そう!」
「ありがとう!」
勧誘に成功した以上、ユミルもジルも既に仲間だと判断したアデルは簡単に願いを承諾した。
「魔獣使いでも使役できない魔獣か……。それは凄く興味があるな!」
拳同士をぶつけて闘争心を剥き出しにするイーヴァルを頼もしく思いながらアデルは魔獣の正体についてユミルに訊いた。
「魔獣の名前はウルシュグラン。古代竜の一柱に当たる伝説の魔獣だよ」
ユミルの口によって告げられた彼女の宿願は魔王として行動を始めたアデルにとって困難な試練として襲いかかることとなった。
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