第10話 『魔獣使いの女の子』
ルシアとの戦闘を終えたアデル一行は当初の目的である魔獣使いと出逢うべく山頂を目指しながら気配を探っていく。一行が持つ魔獣使いの情報はエピス山に住んでいるという情報だけで正確な位置を把握できていないことから必然的に歩行の速度は緩やかなものとなる。帝国軍の手によって討伐されたことが影響してか、中腹手前まで登っても魔獣の気配はなくトラブルなく踏破できたが、空を見上げれば太陽が紅く染まりつつあった。青空に揺蕩う雲々の隙間から茜色が帯び始めていくと瞬く間に青から赤の空へと変色していった。
「今日の探索はここまでにした方がよさそうか」
夕暮れの空を見上げながら探索の切り上げをアデルは伝えた。山で夜通しの探索は命の危機に関わる。視界が悪いなかで足場の悪い山道を歩くこともそうだが、何より夜行性の魔獣が多いことが一番の懸念だ。なかには月の光を浴びると活性化する体質を持った魔獣もおり、標高の高い山ではその効力は強く発揮されてしまう。もちろんテントを張って野宿することにも危険性は十二分にあるのだが、交替制で見張りを置いて襲撃に備えるのと奇襲されるのでは結果が大きく異なる。
イーヴァルが用意したテントを三人で協力しながら組み立て、地面に魔力の杭を打ち込み、そこに馬の手綱を結ぶことで固定する。それから周囲に落ちている枯れ木や落ち葉を集めて焚き火とした。松ぼっくりがあれば着火剤として使用できたのだが生憎発見には至らなかったことからアデルの魔力で補填した。
焚き火を用意できた頃には日は完全に落ちて満天の星空が姿を現していた。急激に低下した気温から身を守るようにアデルたちは焚き火を囲む。
「どうぞこちらを。夕食としては心許ない量ではありますが」
自宅から持ち出しきた保存食をバックパックから取り出したイーヴァルはそれぞれに手渡す。保存食は魔獣の肉を干したものだ。狼型の魔獣の肉は筋肉質で硬い難点がある反面、干し肉にすることで長期保存できる利点から保存食として有用されている。塩分を利かせることで脱水症状対策と濃い味付けにして満腹感を加速させることから軍隊でも使用されている製法だ。
「そんなことありません。こうして食事にありつけるだけでも感謝です」
干し肉を受け取ったミリアはイーヴァルに感謝した。旅の目的を考えればアデルの世話役である自分が準備すべきことだったとミリアは見習うべき姿がそこにあった。
「俺の世話役という立場だからミリアの気持ちも分かるが、今回に限っては仕方ないさ。まだ魔王城の機能もほとんどが停止している中で保存食の貯蔵まで手は回らないさ」
落ち込むミリアをアデルは擁護した。魔王城の修理で手を取られていたことで食材の調達はミリアに一任していた身として、彼女一人に保存食まで用意させるのは酷というものだ。
「ありがとうございます。ですが今後は私が保存食まで準備させていただこうと思います」
それは世話役という立場に誇りを持つミリアなりのけじめだった。
「それは楽しみだ。ミリアの料理は絶品だからな。保存食もきっと素晴らしいものになるだろうさ」
「それほどにですか。是非、自分にもお願いしたい」
「もちろんです、イーヴァル様!」
絶賛するアデルの言葉にイーヴァルも乗っかる形でミリアから了承を得た。武者修行の為に一族を離れて森の中にいた彼にとって誰かの手料理に飢えていた。一族の里にいた頃は料理人がいて舌鼓を打てる一品にありつけていただけにその気持ちは強い。
「さて、無事に決まったことだし食事を済ませて早めに就寝しよう」
日が昇るのと同時に動ける山の朝は早い。そのことからアデルは就寝を早めることにした。
「では見張り役は自分が――」
「いや、最初は俺がしよう」
イーヴァル自らの志願から被せる形でアデルは言った。それは見張り役としてイーヴァルを軽く見ているわけではない。本来であれば臣下の意志を象徴するのが主君の役目ではあるのだがアデルにはどうしても譲れないところがあった。
「すまないな、イーヴァル。どうやらあの女将校と戦った余韻がまだ消えなくてな……」
お互いに小手調べ程度の勝負ではあったがその理合いは心地よいものだった。いつまでも得物を結び合いたいそんな気持ちにさせるほどで、その火照りは時間が経過した現在でも残っている。アデルはこの状態で眠れるとは思えなかったのだ。
「わかりました。それではお先に休ませていただきます。交替のスパンは?」
「三時間置きにしよう。時間がくれば声をかけて起こす」
その場で交替時間を取り決めるとアデルを残して二人はテントの中に入っていった。
◇
世間的にも寝静まる時間帯、テントから二人の吐息が聞こえるようになった。冷え込む夜の山で眠れないという不安は杞憂で終えたことにアデルは安堵した。
片膝を立てながら地べたに座るアデルは焚き火が消えないように用意した木の枝を短く折っては放り込んでいく。火を絶やさないのは暖を取る理由もあるが、その他にも魔獣を寄せ付けない為だ。
魔獣が火の傍に近寄らないのは諸説あるが、一番の有力説は火を怖がるから。今でこそ人は自由自在に火を扱っているが元来は神々だけが扱うことの出来た力である。そして神々は人にだけ力の扱い方と知識を与え、他の種族には与えなかった。それが故に魔獣にとっては未だ火というのは未知なる力として目に映るのだ。
「……魔獣でも魔獣使いとなれば話は別か」
「……いつから気付いていたんだい?」
アデルの声に応えた女性の声だった。声の主は草むらの茂みから姿を現すと、夜空に輝く星と月の光に照らされて全貌を披露した。髪は短く切り揃えられ、肌は健康的な小麦色で焼けている。山で住んでいる為か胸元と腰元を布で巻くだけの運動性に重視した装いだ。
「確証はなかったさ。ただ消去法で魔獣使いと判断しただけ」
装いから帝国軍の兵士でないことは明白だったことから当たりを付けた。
「それに帝国軍がいくら魔獣を討伐したとはいえ、ここまで一度も襲われなかったことは不思議に思っていてな」
魔獣が跋扈する山で魔獣に襲撃されるどころか見かけることもなかった事を運が良かったと楽観視できるほどアデルの脳は愉快ではない。むしろ疑ってかかるべき事態だ。
「あはは、それは君たちが軍人でないことが服装から分かったからね。だからといって観光客でもないことは匂いで分かったから様子見をしていたんだよ。まさかばれているとは思わなかったけど」
頬を軽く掻きながら照れ笑いをこぼす。
「言っただろ? 確証はなかったと。勘もいいところだ。だがその隠密性は魔獣ゆずりのものか?」
彼女に声をかけたのはまさしく勘だった。強いてあげるならば見張り役として張っていた気配察知に微かな違和感を覚えたから。それを払拭する為にダメ元で声をかけた結果、彼女があっさりと正体を晒してくれただけである。
「はー、かまをかけられたわけか。失敗、失敗」
簡単に正体を晒したことに両肩を落として反省するも、「よし」と自身に喝を入れて元気を取り戻す。
「君の言う通り
両腰に拳を当てて豊満な胸を張りながら鼻息をフン、と鳴らす。その態度から彼女が得意とする能力なのだと分かる。
「
「うん! 私は魔獣と人の間に生まれた半獣だからね」
一切の躊躇いもなく言い切る彼女の姿にアデルは目を丸くする。本来ならば人とも魔獣とも慣れない中途半端な存在として忌み嫌われる立場で、その結果は孤独。そこに大小なりとあっても彼女自身も歩んできた辛い過去があるはず。それを表に一切出さないのは彼女が持つ精神力と今を取り巻く環境の賜物と言えるだろう。
「そういえばまだ名乗ってなかったね。失敬、失敬」
こつん、と頭を小突いて舌を小さく出した反省の仕草に不快感を覚えないのはそこに計算されたものがないからだろう。
「私の名前はユミル。よろしくな!」
夜までこちらの動向を探っていた注意深い人物とは思えない程に距離を詰めて握手を求めてきた。
「俺はアデルだ。よろしく頼む」
差し出された友好の証とも取れるユミルの手を取って握手するのだった。
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