第9話 『魔王VS聖女』
対人戦に置いて槍使いに注意すべきは得物の差から生まれるリーチとその間合い。接近戦を得意とする刀剣と異なり槍は懐に敵を寄せ付けない中距離の戦法を得意とし、それこそが生命線となる。
そこで必須となるのが速度。相手から迫り来る槍を回避したところで生まれる隙を突く形で懐に潜り込む必要がある。そこに一切の遅れは許されない。一瞬の遅れが自身の隙となって命取りになってしまう。
しかし、アデルは迫る槍を捌きながらタイミングを計るも踏み込めずにいた。
――速い!
タイミングを計って隙を突くところではない。防御の意識を少しでも逸らせば瞬く間に押し込まれて自身の首が取られてしまう。
「どうしましたか? 貴方はこの程度ではないはず」
惜しみない槍の嵐を繰り出しながらルシアから期待の声を寄せられる。彼女からそこまで期待される理由に見当もつかないが、手も足も出ない状態はアデルにとっても面白くはない。何より魔王として臣下たちの前で無様に敗北することはできない。
アデルは弓のように体をしならせて強引に体勢を反らすとルシアの槍を脇から腕に沿って抱え込む形でホールドし、その姿勢から刀剣を突く形で押し込んだ。
狙いはルシアの胴体。一撃必殺を狙って首を取りに行く戦法はここでは悪手だ。回避をしてルシアの武器も抑え込んでいる形とはいえ、強引に体勢を変えた事実は変わらない。そこに全身を支える芯はなく、そこから繰り出せる一撃に威力は見込めない。
何より刺突の魅力は最小限の動作とそこから繰り出される速度だ。それらを盛大に発揮させるのに重要な体勢が崩されている今、アデルの目的は衝撃を与えることで起きる体勢崩し。そしてその先に待つ戦況をイーブンに戻すこと。
「よい判断です。ですが読み易い!」
同等の実力者だからこそルシアもアデルの取る行為が容易に悟ることができた。現状を打破する行動パターンとして最も効率的で効果的だからだ。
だが相手の動きを予測できるのはアデルも同様である。そもそも一手で戦況を変えられるとは考えていない。
だからアデルは手を止めない。全身を循環する魔力を肩甲骨に集中させては脳内でイメージを模っていく。
「
詠唱のように紡がれた言葉に呼応するようにアデルの肩甲骨から鋭利な刃が姿を現した。刃は意志を持つ生物のように複雑な動きを見せながら標的を発見しかたのようにルシアに目がけて動いた。
「――っ⁉」
ルシアの表情が初めて歪んだ。何手先も読み、その対処法を想定して動く彼女もありもせぬ場所から凶器が姿を成して攻撃を仕掛けてくるなどと予想していなかった。
だからルシアは即座に思考を切り替えた。アデルへの追撃ではなく回避に専念したのだ。
その初手が得物である槍の柄から手を離すことだった。がっちりとホールドされた槍を解くことはできないと判断したルシアは武器を捨てて半歩を後退すると、体を捻るように反転させた反動を利用して片足を軸に回し蹴りを繰り出した。
狙いは動きを制限されたアデルの左腕。槍を挟んでいることで碌に防御も取れない部位を狙ったのだ。
そこに明確な結果は求めていない。回し蹴りが直撃しようが防御されようが、ルシアにとってはどちらでも構わない。
求めるのはその過程。抑え込んでいる槍を手放すかどうか。過程の上で生じる結果によって大きく変わる次の一手を考える為に必要としたのだ。
アデルの選択は槍を手放すということだった。ただし自由になった左腕を防御に回すことはせずに魔力で顕現化させた刃を回し蹴りの軌道上に動かす。
「
刃を盾に変化させたのとほぼ同時にルシアの脚が直撃した。そこに盾特有の鈍い金属音はなく、魔力の盾はルシアの脚を取り込むように形状を変化させて行動の自由を奪う。そこをアデルの刀剣が襲う。
「温い!」
ルシアは脚を封じられた体勢の状態から落下する槍の柄を握ると掬い上げるように振り上げてアデルの刀剣をかち上げる形で直撃させた。互いに振り絞り出せる最大限の一振りはそれぞれの得物ごと体を大きく弾き飛ばす威力を誇った。否、威力だけならば魔力の盾を解除させるに至ったルシアの一撃が上回ったと言えるだろう。
必然的に距離を取る形で着地した二人は向き合うと武器を構えるわけでもなく自然体を保つ。
「様々な手段をお持ちなのですね」
これまでに対応したことのない手段で攻撃してくるアデルの戦法がルシアは興味深かった。
「貴女を引き離すだけでこれほど苦労するとは思わなかったよ」
並々ならぬ闘気を纏うことからルシアが尋常ならざる力の持ち主であることは分かっていた上でそれを遥かに上回った実力に感服する。
「手を抜いて当たれば痛い目に合うことは対峙する前から容易に分かりましたから」
細く微笑んだ表情は聖女の異名に相応しい美しさを放つ。
「それでまだ続けるのか?」
アデルの言葉が合図となってイーヴァルが一歩前に出て戦意を示す。
「ふふ、そちらの彼の実力も気になるところですが今はよしておくことにしましょ
う。一番に確かめたかった貴方の存在も予想と合致しましたから」
「……ふぅー、本来なら口止めをした方がいいんだろうが、貴女相手では骨が折れそうだ」
内心、口止めできる相手とは思えなかった。互いに本気を出し合えばその程度の被害で済まないと本能が判断したのだ。
「ですが一つだけ確認したいことがあります。此度のエピス山に訪れた理由は帝国軍ですか?」
槍を握るルシアの力が強くなる。狙いが帝国軍であるなら命を賭してでも新兵を守るのが長官として任務に就いた自分の役目である。
「ご安心を。貴女がたが目的ではありませんのでそちらが必要以上に干渉してこなければこちら側から手出しをすることはありません」
ルシアの目を見て話す。それこそが本音を伝える一番の手段だと考えているからだ。目を逸らすのは自分の言葉に責任を持てない証拠である。
「……わかりました、その言葉を信じるとしましょう」
先程出逢ったばかりの相手に信頼を寄せられるはずもないが、今は信じる他にない。そう不安な心を言いくるめて遠ざかっていくアデルたちの後ろ姿をルシアは見送った。
「魔王の復活ですか……」
アデル自身が名乗ったわけではないが、彼の口振りから確信できた。本来ならば報告すべき事案だが、戦争が激化している情勢を考えると躊躇う。
帝国の情勢はお世辞にも良いとは言えない。西部では隣国であるベオグラード王国との戦争が激化し、南部ではグラチア皇国が睨みを利かせ、国内でも戦争に明け暮れる帝国の在り方に異議を唱える反乱軍がレジスタンス活動をしている。そこに魔王の復活の報せが加われば混乱は免れない。或いは前大戦のように各国が協力する構図が出来る可能性もあるが、ルシアの中でその可能性を捨てた。
「国が協力して魔王を討伐する時代は過ぎてしまいました。この世界は既に人の世。いえ元より世界とは人の為にあるものかもしれませんが、それでも魔王が及ぼす影響力は見込めないでしょう」
歴史書を紐解けば魔王の存在が人類に繁栄と平和をもたらしていることは学者ではないルシアにも容易にたどり着けた。そしてその結果が必ず人類の勝利で終わることも。戦場を駆るルシアだからこそ不自然極まりない結果だった。
「いえ、だからこその必然なのかもしれませんね。この世界では……」
幾星霜と繰り返された人類と魔王の闘争の結果が予め定められた必然だとするならば人とは滑稽な存在だとルシアは思う。これまで勝ち取ってきた人の世は本当の意味で人間が自ら得たものではないのだから。
「だからこそ示さなければいけないのかもしれません。魔王というシステムを失くしても人は生きていけるのだと」
既に見えなくなったアデルたちに視線を送るルシアは細く微笑んだ。
「きっと示してみましょう。人が本当に人になれるその姿を。神々の母胎から真に子離れした姿を。それこそが私たち人が彼等にできる贖罪でしょうから」
果たしてこの世界に生きる人の何人が気付いているかも分からない世界の理に立ち向かうべく決意したルシアは踵を返して休憩する仲間たちの下へと戻るのだった。
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