第8話 『聖女』

 他者の存在を察知したのはアデルだけではなかった。

 

 ルシア=クロイツェル。女性ながら一兵卒から叩き上げで帝国軍将校にまで上り詰めた軍人で、他者を寄せ付けない圧倒的な武は帝国のみならず世界的にも有名で五本指に数えられるほどの実力を誇り、そこに絶世とまで謳われる美貌を持つことから“聖女”の異名で称えられている人物だ。

 

 本来であれば新兵の訓練ではなく西部で激化している戦場に出て部隊を指揮している立場であるが――それが本国の希望である――ルシアは新兵の訓練長官として引率することを志願した。目的としては新兵の育成による戦力の底上げ。長期戦を想定されている西部での戦争で有利性を保つには必須であると直訴したのである。

 

 ルシアの意見には賛否両論だった。戦争が長期戦になることで苦しむのは帝国も同じ。内政を担う者たちからすれば強大な戦力を継ぎ込むことで一日でも早い決着を望み、実際に戦場を駆る軍人からすれば杓子定規で測れるほど戦場は甘くないと反論した。議論は数日に渡るも決着がつかず、痺れを切らした皇帝はルシアの志願を承諾した。


 決定打となったのはルシアが発した言葉だった。


「戦争は生き物です。一分一秒の世界で事態は変化する現場で悠長な事を言っていられる余裕はないのです」


 まさしく戦場に身を投じて経験してきた者にしか出せない言葉である。それがルシアのような立場にある人物ともなれば重みが違う。皇帝の決断に反発できるはずもなく議論は無事に終結してルシアは希望通り新兵の訓練教官となった。


 事前の情報よりも魔獣が徘徊していたことから訓練内容を魔獣討伐に変更したルシアは新兵を指揮する形で経験を積ませていく。負傷者が出ても死者が出なかったことから戦果としては十分である。


 討伐を終えた今は休憩を取りながら討伐した魔獣の毛皮を剥ぎ取って臨時的な防寒着を作らせたり、肉を食用として調理させたりなりなどサバイバルの訓練を進行させていた。常に物資が手元に届く保証がない戦場ではサバイバル技術が命を左右することは珍しくない。


 新兵たちが戸惑いながらも作業を熟す姿を岩場に腰を下ろしたルシアは監視しながら先程の察知した気配のことに思考を働かせる。そこに一人の兵士が歩み寄ってきた。


「新兵たちもどうにか落ち着いてサバイバル術の訓練に集中を始めたようです」


 急遽、魔獣討伐の訓練に変更されたことで慌ただしさを見せていた新兵たちも無事に討伐を完了させた事実を休憩の合間に実感として得たことで落ち着きを取り戻せたようだが、それとは裏腹に思案顔に変化しているルシアに気付いた。


「ご苦労でしたね、シルヴィ。負傷者も軽傷で済んだようですから訓練初日としては重畳な出だしと言えるでしょう」


「はい。ですがどこか浮かない顔をなされていますが何か気になることでも?」


「どうやら私たちの他にもこの山を訪れている者がいるようです」


「登山に訪れた観光客では?」


「最近は魔獣の凶暴化で自粛している話をよく聞きます。それにどうやらこちらの存在に気付いて道順を変更した様子が窺えました」


「通り道に武装した兵士がいれば避けるとも思いますが……」


 シルヴィの意見にも一理あった。母国の兵士とはいえ武装した集団に脅えない民間人は少ない。それが街中で少数であれば警備兵だと理解して恐怖も和らぐが、人里から離れた土地で部隊として活動していれば争い事を連想させてしまうものだ。


 それはルシアも考えた。だがその答えで納得しなかったのは早々に道順を変更させたことだった。民間人には当然ルシアのような察知能力に長けているはずもなく、帝国軍の存在に気付くとすればその目で確認した時だ。帝国軍の新兵がこの時季に訓練を行うことを事前に知っていたとしてもこの広い山で動き回る帝国軍の居場所を把握する術はなく、仮に視界に映したことで引き返したとあっても先にルシアが察知してしまうはずである。


「ではルシア様と同等の察知能力を有した者がいると?」


 長年ルシアの直属の部下として共にあるシルヴィだからこそ信じられなかった。


「それを確認する意味でも調べてみた方がいいかもしれませんね」


 ルシアは岩場に下ろしていた腰を持ち上げた。


「一時的に新兵たちの事は貴女に任せます。よろしいですね?」


 危険です、とはシルヴィには言えなかった。ルシアにとって危険となる相手が想像できなかったからだ。


「分かりました。大丈夫だとは思いますがお気をつけてください」


「シルヴィも警戒は怠らないように。魔獣もまだどこから現れるかも分かりませんから」


 ルシアの注意喚起に敬礼が返事したシルヴィを見届けた後、ルシアは気配を察知した場所へと移動を始めた。


                ◇


 正規の登山道から外れた分かれ道は整備の行き届いていない荒れた道が続く。疎らな形と大きさの違う石が無造作に転がり、長年の雨などで削れた地面に平坦な道はなく、常に起伏を含む山道に歩行が覚束ない。かつては上級者用に開放されていた山道だが、事故が相次いだことで封鎖されて久しく、落下防止策として張られていたと思われるロープが雨風によって風化して地面に落ちている。踏み外して姿勢を崩すようなことでもあれば麓まで落下して怪我では済まないだろう。普通に歩く分には最善の注意力で踏み外すことはないだろうが魔獣の襲撃や落石などに不意を突かれたらその限りではない。そこに馬といった動物が帯同していると臆病な性格が故に暴れ出して危険性を跳ね上げさせる。


「それでは目を覆い隠すというのはどうでしょうか?」


 馬上からミリアは対策案を声にした。


「臆病な性格とは別に馬が驚いてしまうのはその視野が広いことが原因かもしれません」


 人間や魔族が一二五度程度の視野を持つところ、馬は三五〇程度という驚異的な広さを誇る。その視野の広さが故に無駄な情報も視野に捉えているのではないかとミリアは考えたのである。


「試してみる価値はあるな。イーヴァル、何か覆い隠せる物はあるか?」


「さすがに覆い隠せるようなものは……」


 イーヴァルは背に担いでいたバックパックを地面に下ろして中身を確認していく。魔獣使いの探索にどれだけ時間を要するか分からいことから食糧や野宿の道具を自宅から持ち運んできたが、さすがに馬の視界を覆い隠せるような物を用意できているはずはない。


「急に用意できるはずもありませんよね……」


 アデルたちの力になれると思っていたミリアは落ち込む。馬を用意してくれたのは二人の好意からくるものでミリアが気を咎める必要はないのだが、こればかりは世話になっている当人にしか分からない感情である。


「いや、そうやって案を出してくれるのは助かる。より良い選択をするには様々な視点からの意見が必要だからな」


 そうやって関係を築いていくのをアデルが主人として一番に大事としていることだ。それに頼れる仲間が少ない現状では尚更必要なことでもある。


「同感ですね」


「っ⁉」


 思いも寄らぬ相手から賛同する声をかけられたことにアデルたちは驚いた。

 賛同の返事を送った人物はアデルたちに立ち塞がる形で降り立った。


「驚かせてしまって申し訳ありません。興味深い話をしていたものですからつい声をかけてしまいました」


 アデルたちの前に塞がった人物、ルシア=クロイツェルは微笑みながら理由を声にした。


「な、なんと凛然な……」


 まるで名画から飛び出てきたかのような錯覚に陥るほどに凛然とした姿はそこに存在するだけで崇めてしまいそうな程に神々しい。そこに目を奪われる美貌も相まって女神と称しても遜色ない美しさだ。


「ふふ、ありがとうございます。さすがに女神の名は畏れ多くはありますが……」


 謙虚な姿勢を見せるルシアは甲冑で身を包んだ胸に手を添える。


「アイゼンガルド帝国第三師団の団長を務めます、ルシア=クロイツェルと申します」


 軽くお辞儀を加えた丁寧な名乗りを見せたルシアは言葉を続ける。


「貴方がたにとても興味がありまして。私たちを捉えた察知能力。先程の持論。激化する戦争に凶暴化する魔獣たちが跋扈する山の探索。或いはギルドから派遣されたかとも思いましたが、それならば帝国軍を避ける理由はない」


 ルシアの纏う雰囲気が膨れあがっていく。


「熾烈にして清冽。相反する二種の闘気を放つとは凄いな……」


 性質の異なる二種類の闘気を自在に操るルシアの力にアデルは感嘆の声を漏らした。


「重ね重ねありがとうございます。ですが、貴方も同等の使い手とお見受けしています」


 ルシアの伸ばした利き腕と連動して二種類の闘気が彼女の手の先に集合していくと巨大な槍を形成して掴むと闘気は払われて姿を出現させた。


「貴方が何者なのか、確かめさせていただきます!」


 静かに腰を落としたルシアは槍を構える戦闘態勢に移った。

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