第7話 『エピス山』
グランミル連峰“エピス山”。
標高二千メートルを誇り、頂上は年中溶けない雪の帽子を被り、頂上から見渡す景色には山脈を通してのリヴァイル湖とその先に自然と溶け込むようなミサランテの町が広がる。なかでも春先前特有の澄んだ空気になるこの時季の景色は格別で、一目見ようと遠路はるばる訪れる観光客たちは多い。それでも交通網が不便なことから他の観光地と比べたら集客数は少ないだろうが、五年前に帝都から鉄道網が敷かれたことで以前に比べれば遥かに便利になった。それでも片道三時間以上を有する距離は中々の根気が必要かもしれない。
加えて問題視されている魔獣の凶暴化で登山家を自粛させている。
そもそも魔獣は日常的に利用している街道にも生息している。それらを各国の軍隊や各地に支部を持つギルドが定期的に討伐することで安全性を保っているのだが、日に日に激化していく帝国西部での争いでかなりの数の兵士が派遣されたことで手が回らない状態である。それらの煽りを一身に受けるギルドはこれまで以上の魔獣討伐に力を入れるも、ギルドは良くも悪くも民間団体である。そこには様々な規約が付いてきて完全と呼べる自由はない。それでも各国に支部を設けることが許されていることから一定の効果は発揮されているが、最大の問題はギルドの仕事が魔獣討伐だけではないこと。
ギルドは民間人の様々な要望を依頼という形で受理してギルドに席を置くメンバーたちに仕事を割り当てる。依頼にもランク分けが施されていて最高ランクの依頼ともなれば生死に関わるほどの案件になることから仕事を任せられるギルドメンバーも限られてきて必然的に魔獣討伐に駆り出せる人員の練度と数が劣ってしまうのだ。
その結果、放置されてきた魔獣が力を蓄えて凶暴化していき、それは伝播する形で大陸に広がっていった。
これからアデルたちが登ろうとするエピス山もそれらの影響から凶暴化した魔獣が徘徊する棲み処と化していた。
ミサランテの町で馬を借りたアデル一行は登山道の入り口を通って足を進めていく。地上より高い位置から眺める景色にミリアは瞳を爛々と輝かせては壮大な自然に感嘆の声を漏らす。その様子をアデルとイーヴァルは細く微笑む。その姿は箱入り娘の姫様の外出を優しく見守る従者のようで、今この瞬間だけは主役はミリアと言える。
「言葉が出ないとはまさにこの事ですね。感動のあまり溜め息しかでません」
上手く言葉にできないほどの感動がミリアの胸を満たす。本当に美味しい食べ物を食した時は笑い声しか出ないという表現があるように、本当に美しい物を見た感情もまた同じようだ。
「……ですが、このような美しい場所で本当に魔獣が徘徊しているのでしょうか?」
登山道に足を踏み込んでから半刻が経過しても魔獣と遭遇することがなかったミリアは疑問に思った。アデルたちのように武に精通していなくても気配を察知できるだけの技術は会得している。その精度と範囲は二人に劣るにしても見晴らしの良い登山道では視覚の情報にも頼れる現状で魔獣の姿を察知できないことに疑問は深まる。
それはアデルたちも同意見だった。
「……静かすぎますね」
気配どころか遠吠え一つないことにイーヴァルは疑問を超えて不気味さを覚える。魔獣は文字通り獣の分類に入ることから遠吠えなどによる威嚇や縄張り意識を主張することが多い。
「魔獣使いがこちらの動向に気付いたということは? このような過酷な環境で住むくらいですから部外者との接触を嫌っているのかもしれません」
事前にアデルたちの動向を把握する術を持っていたとすれば魔獣使いが身を隠すように命令を出している可能性は十分に考えられる。或いはどこかに潜ませて襲う算段をしている最中かもしれず、ミリアとイーヴァルは様々な想定をしていくなか、アデルはただ双眸を閉じて神経を研ぎすませていた。
「……アデル様?」
動かない姿に気付いたミリアは呼び掛けるも反応はなく、助け舟を求める形でイーヴァルに視線を向けると彼もアデルの状態に気付いており、口元に指を立てるジェスチャーを見せた。
◇
アデルの視点が地図の全体を見るように俯瞰されていく。そこに視覚と記録から得た情報を元に立体的に形成していくことで正確な地図を作り上げ、そこに生命体の気配を点として置いていく。
まずは自分を含めた三人の点を落とす。そこから波を連想させるかのように範囲が波紋していく。最初は三つしかなかった点が瞬く間に増えていくのと確認しながら察知が届く最大範囲まで伸ばしたところでアデルは双眸を開くことで意識を覚醒させた。
「だ、大丈夫ですか? アデル様……」
動く気配のなかったアデルが咄嗟に覚醒したことでミリアが心配の声をかけた。
「あぁ、大丈夫だ。それよりもここから北に進んだ先に開けた土地がある。そこで大人数の人の気配があった」
「……なるほど。帝国軍ですか」
アデルの情報から魔獣の気配がないことに帝国軍が関連していることをイーヴァルは気付いた。
「断定はできないが、おそらくそうだろう」
イーヴァルの予想にアデルも首肯した。帝国軍がグランミル連峰に訪れたのは軍隊の訓練の為だ。町で見た頃から数時間が経過しても未だこの辺りに滞在していることと魔獣の死骸がどこにもない謎はあるが、現状では一番の有力な手がかりだろう。
「では訓練の一貫として魔獣の討伐を?」
「或いは襲撃を受けたことによる殲滅か……、ただ言えることは隊を率いている中に優秀な指揮官と腕の立つ兵士がいるようだ」
ミサランテの町で得た情報では訓練を受けているのは新兵だということだった。腕
自慢の連中が志願したとはいえ慣れない土地での魔獣討伐は簡単に熟せるものではなく、それが仮に襲撃という形であれば被害は免れないのだが、現場を見る限りでは血痕といった痕跡はなく、そのことからアデルは優秀な指揮官とその指揮を理解して汲み取って動ける優秀な兵士が帯同していると考えた。
「少し慎重に動いた方がいいかもしれないな」
問答無用に襲撃してくることはないと思うが、この状況下で登山するアデルたちを不審に思うことなく素通りさせるとは考えにくい。
「では回り道にはなりますがこちらの通りを使いましょう」
予め想定したかのような手際の良さで代案を出したイーヴァルに従ってアデルたちは方向転換したのだった。
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