第4話 『イーヴァル=ベーオウルフ』
鬱蒼とした森の奥に小屋がある。
木造一階建ての小さな小屋だ。小屋前に家庭菜園があり、立派に育った季節の野菜が収穫の時期を迎えている。隣の井戸からは畑の他に家にも水が引かれており、それらを切り盛りするのが家主である一人の少年だ。黒髪とその一部を赤色に染め、背丈は一九〇センチを超える長身だ。傍目では細身に見える体躯も鋼のように硬さを誇りながらも枝のようにしなやかな柔らかさも併せ持っており、それらは武の道に生きる者が望み鍛えあげる体躯の理想形だ。そこへ至った少年はもちろん武の道を齧っており、それが故に研ぎ澄まされた察知能力が森の侵入を捉えた。
「この気配、知らぬはずなのに……」
覚えのない気配にも関わらず、少年の心を支配したのは懐かしいという感情だった。その正体が祖先から続く眷属の名残りであることは一族の血が引き継ぐ記憶が教えてくれた。そしてこの日が訪れることもまた一族で代々語り継がれてきた事でもあった。
「よもや俺の時代で来るべき時が訪れることになろうとは」
生涯を賭して仕えるだけの魔王が現代に誕生したことに感慨深いものを得ていた。何十代と続く一族だが、実際に魔王に仕えたのは初代当主だけで、それ以降は一族をあげて仕えるだけの魔王が誕生しなかったのである。そこに個人の希望が入る余地はなく、全ては一族の血が決める。故に魔王との不仲説が次代の魔王との眷属契約の妨げとなったのではという憶測が囁かれたが、根本的に一族の血に決定権がある時点で主従関係の善し悪しは二の次である。そもそも一族の者としては仕える主人が選ばれた事の方が稀有なだけに性格や理念も含めた魔王の素質というものに絶大的な信頼を寄せている。
だが心情となれば別の話だ。定められた眷属は別に個人の心情を縛るだけの契約は次代にまで継承されることはない。
「まずは試しを。闘争の果てに己が命を賭すだけの人物なのかを見極めるとしよう」
眷属になるのなら心から慕うことのできる人格者であることが好ましい。望んだ所で主人が変わることもなければ叶うわけでもないのだが、その辺りに微かな希望を抱くところは人間と変わらない。
「さて、用意を済ませて出向くとするか」
家庭菜園から小屋に踵を返した少年は準備を済ませるべく家の中に入った。
◇
森の中に踏み込んで間もなくしてアデルたち一行は絶え間なく襲撃してくる魔獣たちに手を焼いていた。入口付近の為か一体の強さは大したことないが、その変わりに群れを成して攻めてくる。戦闘において数で勝負する戦闘方法は個の能力よりも脅威に当たることがある。大軍でせめぎ合う戦争などまさしく例と挙げられるだろう。そこに将の能力と兵士の精度が高い国を強国と畏れられるのだ。
それは魔獣の群れにも同じことが考えられた。どの種族にも群れを成す性質があるのならばそれを統率する将がいる。
アデルは襲い掛かってくる魔獣たちを斬り伏せながら指揮を執る親玉を探しつつも背後で魔法による援護に勤しむミリアの護衛も欠かさずに立ち回る。加えて不慣れな土地での戦闘は心身共に疲弊させていく。そしてもう一つ、ここにきて迫り来る圧倒的な気配が心臓を鷲掴みしたかのように離さない。
その気配は魔獣の物と違う。生命体ならざる魔物とも違えば、高位生命体として位置づけられている天界の住民とも異なる。魔王という特別枠で誕生したアデルだからこそ混沌とした現状の中でもそれぞれの気配を探り当てられると言える。本来なら魔物も天界の住人も遭遇する機会もなければ、その気配すら知らない存在だ。
(こういう時に限っては自分が魔王であることに感謝したくなるな)
あらゆる生命体の情報を予めにインプットされているおかげで様々な気配が入り混じる現場でも脳が冷静に働く。そこからあらゆる可能性を消していって迫り来る存在を突き止めていく。
結果、一つの答えに帰結した。
「……よもや本当に森のヌシとして支配しているとは思わなかったぞ」
あれだけ引っ切り無しに襲撃してきた魔獣が借りてきた猫の如く大人しくなっては道を空けるように後退していく。その間を長身の影が歩き進んできた。
「ヌシにもならなければこの森は住みにくいだけですから」
鬱蒼とした木々で陰になっていた素顔が露わになっていく。
「お初お目にかかります、魔王様。ベーオウルフ一族が長、イーヴァル=ベーオウルフです」
深々とお辞儀を交えて挨拶をしたイーヴァルは周囲に群がる魔獣たちに睨みを利かせて追い払った。
「助けてくれた……というわけではないようだな」
「えぇ。これからの試しに邪魔だっただけに過ぎません」
「……なるほど」
試しという言葉だけでは読み切ることのできなかったイーヴァルの目的を放出されていく闘気で当たりを付けた。ミリアも同様に勘付くと牙を剥いた獣のように怒鳴り声を挙げた。
「眷属の身でありながら主人を試すなどと不敬にも程があります!」
「眷属の契りを結んだのはあくまで互いの初代様。現代においてはその契りの影響もないに等しい。それに魔王様としてもそんな状態の相手を部下に置くのは不安でしょう」
一理あるイーヴァルの返答にミリアは押し黙るしかなかった。
「ありがとう、ミリア。だけど魔王の使命を果たすのに必要なのは部下の忠誠。例え眷属の契りを交わしていても結局はその部分が一番重要だろうさ」
理不尽としか言えない魔王の運命に従うことは死に最も近い。アデルがミリアの生涯を心配するのもその為で、死の運命に巻き込もうとしている張本人がどの面を下げてと言いたい所ではあるが、少しでも報われる方法を思案することも上に立つ者としての義務だとアデルは考えている。
「ここでは戦うこともままなりませんから付いてきてください。ご案内いたします」
そう言ってイーヴァルは来た道を引き返していく。その後をアデルがミリアを引き攣れる形で続き森の奥へと進んでいくのだった。
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