第2話 『湖畔の町ミサランテ』

 湖畔の町“ミサランテ”――

 

 四季の植物と連峰を背に広がる湖畔に彩られた風光明媚な小さな町だ。季節ごとに違った姿を見せる景色を求めて一年中、観光客が途切れることがない。なかでも写真家や風景画をメインとする画家にとっては聖地と謳われるほどである。唯一の難点として田舎に位置することから交通に不便さがあることと景観を壊さない理由から商業施設が一つもないこと。湖畔の水を利用した豆腐は地元の特産品として売り出すも全国的に展開できる程の量産体制を敷いていないことから実際に観光に訪れた客か、その観光客がお土産として買う他に手に入れる方法はない。大量生産を目的とした製造の効率化が進む現代でその手法は珍しくなりつつあるが、それも魅力の一つと言えるだろう。

 

 転移装置を使用したアデルたちはそんな田舎に到着していた。ミリアが裁縫した装束を纏い現れた姿は旅人そのもの。魔王といっても人の容姿と変わらないことから変装する必要はなく、流行に則った衣装となっている。その辺りはミリアも年頃の女の子のようで、ファッション誌などを愛読して知識を得ている。彼女の場合、それを買うのではなくて自ら裁縫する道を選んだ。アデルとしては実物を買ってあげたいのはやまやまだったが、財政難による理由で断念して雑誌購入で我慢してもらうこととなった。主人としては情けない話である。


「うわー‼ とても綺麗な町ですね‼」


 ミリアは眼前に広がる壮大な景色に喜びの声を挙げた。余程の事情がない限りは魔王城から外出することのない彼女にとって目に映る物全てが新鮮に映るのだろう。かくいうアデルも写真や映像で得た情報が多く、実際に壮大な景色を拝んだ経験は皆無に等しい。


「ミサランテが誇るリヴァイアル湖だな。今日は快晴な上に空気も澄んでいてロケーションとして最高みたいだ」


 様々な方法で得た知識を披露しながら先行するミリアの後に続いて歩く。


「あの後ろの大きな山は何と?」


 空気が澄んでいることから連なった山々が鮮明に姿を現している。その山頂は雪で覆われていて白く、山から吹き下りてくる風は強く冷たい。


「確かグランミル連峰だったか。圧巻の一言に尽きるな」


 春先の澄んだ空気によって見せる連峰の全貌は絶景である。一目見ようと遠路はるばる観光しにくる気持ちが分かるほどだ。


「山頂から眺める景色もまた絶景なのでしょうね」


 年相応に瞳を爛々とさせながら心躍らせるミリアの姿にアデルもまた感情を喜びで熱くする。世話役という立場を抜きにしても彼女が不満を抱きながら使命を果たしていないことは長年の付き合いから理解しているアデルだが、それでも本来ならば様々な経験を積んで感情を育むべき時期にある年頃だ。ましてミリアは自分と違って死の運命が定められていない未来のある少女。彼女の幸福を望むのならば世話役を解任して暇を与えることが最善の選択なのだろう。おそらく伝えたところでミリアは拒否するどころか怒るのだろうと確信めいたイメージが湧いてしまう。


「登ってみたいのか?」


 それならばミリアの願いを叶えてやりたいというのがアデルの本心だ。


「足の悪い私に長時間の山道は厳しいですかね……」


 右足を手で擦りながら表情を落とす。


「俺が背負って登ればいい」


「そんなことアデル様に――」


「言っただろ。やりたいことがあれば協力すると」


 ミリアの言葉を遮る形で彼女の反論を断った。


「ですが…………?」


 言葉に甘えるべきか悩むミリアだったが視界に何かを捉えたらしく、視線が動いていく。思考の働きを遮る程の正体が気になったアデルも視線を追って顔を向けた。


 そこには軍服を纏った集団がグランミル連峰登山道の入り口前で列を形成している最中だった。上官の指示に従って整列に試みるもぎこちなさが抜けずに時間を要している。軍隊としては基礎とも呼ぶべき動作の遅れから練度の具合が明確に証明していた。


「アイゼンガルド帝国の軍人みたいだな」


 ミサランテが帝国領土であることから判断した。そこに町民が近寄ってきた。


「今年もやっているようじゃの」


 軍隊に視線を送りながら白髪の老人は言った。


「彼らがこれから何をするのですか?」


 大凡の予想はつけながらアデルは確認した。


「この時季になると帝国軍の新兵が山籠もりの訓練を行うのじゃよ」


 見た目の年齢から長いこと見送ってきたのだろう。その双眸は自分の子に向けるように慈愛に満ちていた。


「やはりそうでしたか」


険しい山に武装した軍人が隊を成していることから確信に似た予想でもあった。


「お爺様、訓練とはいえあのような険しい山で山籠もりして大丈夫なのですか?」


 遠目からでも分かる過酷な環境での山籠もりにミリアはただ心配した。


「大丈夫だと断言はできんの。過酷な環境はもちろんじゃが、ここ数年の間に魔獣も凶暴化の一途を辿っておる」


「魔獣の凶暴化?」


「うむ。巷では魔王が復活したのではないかと囁かれておるの」


 魔獣の凶暴化には魔王が深く関係していると信じられているが立証には至っていないというのが現状である。それでも魔王=悪という概念がここ事に至っている。


「儂からすれば魔王よりも人の方が怖いがな……」


 整列した新兵たちが山道に入っていくのを見届けながら白髪の老人は言った。その言葉の意味が理解できないミリアは首を傾げるも、現在の情勢を一通り把握しているアデルは言葉の真意に気付く。


「……戦争はそこまで激化しているのですか?」


 魔王を討伐したことで平和になると思われた人類は間もなく人間同士で争うこととなった。その背景には明確な標的を失ったことが原因とされている。魔王という人類の共通の敵を失ったことで協力関係は希薄となり、元来行われていた国による争いが再燃した。


「帝国西部では活発化しているとのことじゃ。見た様子、主らは旅人のようじゃが、なるべく西部には近寄らぬことじゃの」


 二人を気遣う言葉を残して白髪の老人は来た道に引き返して去って行った。その後ろ姿を見送った後、ミリアがアデルに声をかけた。


「先代様が命を賭して得た平和の世界も人は簡単に破壊してしまうのですね……」


 その役割を現代ではアデルが担う事がミリアは酷く辛かった。


「奪い奪い合って繁栄してきた種族だからな。人間という生命体そのものに刻みこまれた性質みたいなものさ」


 そういう意味では人間という生物も痛まれない気持ちになってくる。


「しかし俺が早めの生誕を迎えたのはこの為か」


 過去最速のスパンで人間同士の戦争になりつつある現状に神は危惧したようだ。その危惧はアデルにも直面する由々しき問題でもある。魔王としての使命を果たそうにも彼を取り巻く環境が悪い。人類に宣戦布告できる戦力もなければ、その状態で名乗った所で討伐対象としては弱い。人類を脅かす絶対悪として君臨するだけの存在でなければ人類に与える影響が弱くて意味を成さないのだ。


「まずは戦力。残酷な使命に身を捧げてくれる部下が必要だな。ミリアには済まないが登山はまた今度な」


「謝らないでください。私はアデル様の配下。であればご主人様を優先するのが務めですから」


 納得のいかない部分があるにも関わらずミリアの表情には一切の淀みはない。


「ですが同志を集めるにしても何か当てが?」


「ああ。歴代の魔王の配下として働いていた子孫がこの辺りで暮らしているという記録が城の書庫に保管されていたんだよ」


 修繕の息抜きという形で読書に耽っていた時に偶然発見した記録書が早速役に立つようだ。


「それでは行くとしようか、ミリア」


「はい!」


 勢いのある返事を合図に二人は目的を果たすべく子孫を探す旅を開始した。

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