第1章 『始動』

第1話  『始まりの二人』

 魔王とは歯車である。

 

 世界を稼働させる為の部品として創造主たる神の手によって生み出された存在。地球という器の主たる人間を繁栄させる為だけに生命を宿し、定められた運命を辿るだけの人生が待ち受けている。例えその過程に幸福を享受できたとしても人間によって討伐される結末は決定事項として揺るがない。そうして人間が支配する世界は築かれてきた。

 

 そして現代、新たな魔王として生命を宿した青年が先代の意志を継承する形で居城たる魔王城の玉座に就いていた。先代が使命を全うしてから二十年の月日による魔王誕生は歴代最速。早過ぎる魔王誕生に前大戦の生き残りである魔王軍内は慌ただしい空気に包まれた。それは新たな魔王が誕生した事による歓喜の空気ではなく、再び人間との戦争が待ち受ける絶望の空気だ。そこには前大戦で負った癒えない多くの傷と戦争後も残党狩りに脅える潜伏生活に追い打ちをかけたようなものだった。

 

 そんな最中に誕生した魔王を快く思う者はいなかった。自分の身を第一優先とした魔王軍残党は生まれて間もない魔王を居城に遺して去ったのである。故に現代の魔王には配下はいない。傍にあるのは荒廃した魔王城と世話役として居残った侍女だけだ。その侍女も足を悪くしていることが原因で捨てられた境遇にある。それも五歳になった女の子を。


 魔族と人間の寿命は違うのと同時に見た目や成熟期間にも大きな差がある。魔族は人間と違い子供の期間が短い。女の子のように五歳という年齢でもその身体能力は人間の成人並にまで成長している。それ故に五歳という若さでも魔王の侍女として申し分ない働きをできた。


 そんな似た者同士が心を通わせるのに時間は要することはなく、今では魔王から絶大な信頼を寄せられる関係が築かれている。


「ご朝食のご用意ができました」


 侍女服に身を包んだ女性が料理を乗せたワゴンを押して食堂に姿を現した。彼女は壁に掛けられた時計を確認すると慌てて料理をテーブルに載せていく。予定時間を経過していた事で慌てている様子だ。


「慌てる必要はない。いつも通り自分のペースで用意してくれ」


 侍女であるミリアの足が悪いことを知っている魔王アデルは無理しないように伝える。そもそも朝食時間の遅れなど彼にとって些事でしかない。そんなアデルの懐の広さを知るミリアは言葉に甘えることにしてペースを落とし、アデルもまた満足気に笑みを浮かべた。


 料理をテーブルに並び終えると、ミリアは壁際に立つ。主人に従える侍女としては食事を見守る行為として立派なものだが、アデルは不満気な視線をミリアに送った。


「食事は一緒にとる。先日そういう取り決めにしただろ?」


 一人での食事は美味しくないと訴えた末に共有することとなった取り決めだ。そこに費やした年月は数年に渡り、主従関係ならではの線引きを大事にしたいと言うミリアの主張を尊重してきた結果によるものだ。結局はアデルが我慢できずに訴え続けた末にミリアが折れたという形で決定した訳だが、まだ習慣となっていないようだ。


「ほら、ここに座りなさい」


 アデルは自分の席の向かい側ではなく右斜め前の椅子を引いた。長テーブルでの向かい合わせは逆に距離を感じるが故に判断したから。そして何より唯一の家族と時間を共有できないことが寂しかったからである。


 ミリアは躊躇いながらも椅子に腰を下ろし、それを確認したアデルはワゴンを引き寄せては載せていた料理を彼女の前に並べ、空の皿には寸胴鍋からスープを注ぐ。主人のそんな姿に慌てて立ち上がろうとしたミリアをアデルは制し、準備を済ませた後に自分も席に腰を下ろした。


「あまり口酸っぱく言いたくはないが改めて言っておこう」


 食事前ということも相まってアデルも乗り気ではないが、なかなか習慣づかないミリアを見兼ねた末による決断だ。


「主従関係の前にお前は俺の家族だ。言葉遣いや態度を改め直すつもりはないが、せめて食事だけは一緒に取ってくれ」


 始まりの経緯はどうであれ二十年もの間、世話をしてくれたのはミリアだ。本来の関係性でいけば母親として立つ位置にある人物で、侍女として従えるなど烏滸がましい。それでもミリアは侍女として仕える事を断固として譲らず、アデルも彼女の意志を尊重して受け入れることにした。


 だがアデルにも感情は当然ある。血の繫がりはなくても家族のように接してきたミリアに主従関係を超えた一時を過ごしたいと思うこともある。食事の共有はせめての我侭だ。


「……畏まりました、アデル様。何より私のことをそこまで大事に思っていただきありがとうございます」


 主人の感情の吐露にミリアの心は熱を帯びるほどの歓喜に満ちていた。これまでの生活でアデルが自分に信頼を寄せてくれていることは肌身で感じていたが、実際に言葉で伝えられるとここまで嬉しいものはなかった。


 それからの事は順調に事が進んだ。歓談を交えながら朝食を済ませ、一休憩を入れながら今後の方針に頭を働かせる。これまでは人間によって荒らされた魔王城の修繕に当たってきたが、一先ずの目途が立った。完全とまではいかなくても二人で暮らす分には支障は出ないだろう。


「それでは外に?」


 ミリアにもその場に残ってアデルの相談に乗っていた。今後の方針次第では彼女にも動いてもらう必要があると判断した為だ。


「いつまでも城に籠っているわけにもいかないからな」


 城の修繕の片手間で外の情報は収集していたが百聞は一見に如かずと言う言葉があるように実際見てみないことには分からない部分もある。


 そして何よりアデルは魔王だ。


「人類を繁栄させる為の使命。果たさない訳にはいかないだろ?」


 どこか達観した姿をミリアに見せる。その姿に悲痛な想いを抱く彼女の表情が苦しく歪む。


「死が定められた人生を歩むことに憤りを覚えないのですか⁉」


 主人に対する悲痛の叫び爆発した。そんなミリアの姿にアデルは驚きを隠せない。これまでも彼女が狼狽える姿は見ても感情を強く表に出すことは少なかった。


「その部分も含めての魔王という歯車なのだろう」


 誕生したのと同時に魔王の使命と定められた運命を自覚したアデルの心に怒りも絶望も一切なかった。それは無事に使命を果たさせる為に創造主の手で切り捨てられた感情なのだろう。


「運命はどうであれ俺は今ここに生きている。ならば楽しまなければ損だろ?」


 どんな運命だって変えられる、そんな楽観的な考え方をアデルは持ち合わせていない。当然初めから諦めることも抗うことも捨てたわけではない。ただそれとは別に有限の人生を楽しむこともまた生命を宿りし者の義務だと考えているだけだ。


「だからミリアもしたいことがあれば言ってくれ。できる限り協力させてもらう」


 自分の人生だけを楽しむことはフェアではない。ミリアからすれば主人にそこまで懇意にしてもらうことは畏れ多いことなのだが、一度決めたことに対して意志を変えない頑固さを知っているだけに反論する余地がない。


「畏まりました。せっかくのご好意ですから時に甘えさせていただきます」


「ああ。遠慮するなと言ってもお前はしてしまうのだろうが、その時が来るのを楽しみに待っておこう」


 ミリアの性格を熟知しているアデルは待つことを選択した。


「ともかく今回は俺の我侭に付き合ってもらおうか。確か近郊の街に繋がる転移装置があったな」


 城の修繕の最中に発見した転移装置のことを思い出す。家屋の損傷が軽微だったことから修繕に手を付けていないが、試運転はして稼働することは確認済みである。


「ミリア、外出の準備を。もちろんお前も同行するように」


 ミリアの性格から留守を預かろうとすると考えたアデルは同行するように念を押して伝えた。


「お供させていただきます」


 予めから諦めていたミリアは素直に返答し、それに満足したアデルと一緒に部屋を後にした。

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