第九話 哭きの洞窟

 冒険家は非常に危険な職業だ。だからこそ無闇に危険を冒さないようにと約束したし、心に誓っていた。


 だが、相手は大自然だ。未知に対して完璧な対策というのも無理な話だ。だから、最新の注意を払っていても、危険が降りかかるときはいずれ訪れるのだ。


「ここどこなのぉーーーーーーっ!」


 レグリアへ向かっていたマレスたちは絶賛遭難中だった。


 レベル6危険区域哭きの洞窟


   *


 前方に【灯】を唱え、光の玉で周囲を照らして前に進む。


 しかし【灯】で照らせるのは一定の範囲だけ。それより外は闇が充満して先が見えない。それでも完全に暗闇ではないのは辺りに散らばる鉱石が蛍光しているためだ。


 碧灯石と呼ばれるこの鉱石は周囲の魔力を吸収して発光しているらしい。それなりに安価でライトとして日用品に使われている。


 この状況でこの鉱石は非常に便利だし、持ち帰れば金になる。しかし未知の領域にいることを懸念して、重荷にならない程度にいくらか袋に採って入れた。


 鬱屈になりそうなジメジメとした洞窟。どうやら近くに水脈があるのか、壁や天井から水が垂れて地面がぬかるんでいる。


『キャァァアアアアアッ!』


 突然、女性が甲高い声で叫んでいるかのような音が洞窟を走る。洞窟の構造が起因しているのか、ここを探索した冒険家の声なのかは分からないが、この現象がこの洞窟の名前の由来である。


 とにかく精神が段々と重くなってくる。そんな場所だ。


「あんたねえ、魔力が有り余ってるからって馬鹿みたいにポンポン魔法打ちすぎなのよ! 危ないのよ!」

「いいでしょこれが僕に合った戦い方なんだから! エルだっていちいち大きい魔法打ちすぎなんだよ! 巻き込まれちゃうよ!」

「うっさいわね! そのくらい計算してますぅ!」

「小石とか飛んできて痛いんだよ!」

「そのくらい我慢しなさいよこの魔力デブ!」

「なにをー! この魔法オタク!」


 しかし当の二人はそんな洞窟の雰囲気に飲まれるどころか騒がしく口喧嘩を繰り広げていた。


 ――レグリアを目的地に向かっていた彼ら。ちょうどラプラとレグリアの中間あたりで大ムカデの魔物と出会ったときだ。


 国から最も遠いそこは道もまともに整備されておらず、レベル3危険区域に指定されている場所だった。裏を返せば人工物のない、思い切り戦える場所でもある。


 レベル3程度の魔物であればマレスたちならそうそう苦戦する相手などではない。だからさっさと倒してしまおうと前のめりになってしまったのが運の尽きだった。


 レベルというのはそこに生息する魔物の強さだけで決定されるものではない。毒霧の森や雷が降り続ける山岳地帯。そういった地形や気候といった自然の危険も含まれるのだ。


 つまりは魔物以外も牙を剥くかもしれない。そしてそれらは決して目に見えるわけではないのだ。


 魔物を攻撃しようとしたマレスとエルの魔法、そして魔物の必死の反撃が重なり、昨夜の雨で脆くなっていた地面が崩れ落ちた。


 辺りを見渡せばほの暗い洞窟。見上げれば遠くに彼らが落ちてきた光の穴。結構な距離を落ちてしまったらしい。


 上へ登る方法が全くないわけではないが脆くなっている地面だ。両方のリスクを天秤にかけて、彼らは洞窟の先へ進むことにした。


 ――そうして今に至る。


 ようやく貶し合いに幕が降りたようだ。絶対に視線は合わせないようにしているが、二人の間に火花が散っているのが見える。


「はぁーあ。もうやってらんないわよ」


 愛想を尽かしたエルが不満と一緒に溜め息を吐き、マレスなんて置いていってしまえと先に歩こうとする。


「エル!」


 しかしそれをマレスが呼び止めた。


 突然大きな声で叫ぶものだから、エルは驚いてその場で硬直してしまった。


「離れちゃダメ」

「っ……わ、分かってるわよ……」


 彼らは今まさに『冒険』をしている。


危険を冒す。どれだけ仲違いしようが同じパーティの仲間だ。未知の領域で警戒は怠ることは許されない。互いが互いの命綱で大切なパートナーなのだ。


 二人は足並みを合わせ、しかしやっぱり互いに顔を背け合って、さらに洞窟の奥へと進んで行った。


   *


「来るよ! 右側抑えて!」

「わかってるわようっさいわね! もう少し下がりなさい!」


 二人が眼前には一ッ目の巨人。土塊つちくれを鎧にしているその隙間からは緑がかった頑強な肌が見える。充血した大きな目が殺意を持って二人を見下ろしていた。


『ゴゴォォォッ!』


 咆哮する巨人を起点に地面が捲れ上がり、次々に隆起する岩の尖塔が砕片を散らしながら二人を襲う。


 隆起した岩が何かにぶつかり、どうっと激しく音を立てた。しかしそれはエルが水魔法で相殺した音だった。


 マレスは? 巨人の目に彼の姿は映っていない。【灯】の付近にはエルの姿だけだ。


 タタタ。巨人の攻撃による砕片が地面を打つ音に紛れて、別に軽快な音が巨人に向かっていた。


 攻撃が始まったときには既に動いていたマレスが隆起した岩の死角から飛び出した。狙うは胴体の鎧が無い部分。弾丸のような速さで懐に入り、目一杯の斬撃を打ち込んだ。


「ぐぅーっ! もうちょっと注意逸らしといてよ!」

「うっさい!」


 響き渡ったのは断末魔ではなく金属が弾けた音。巨人が装甲の厚い腕でぎりぎり斬撃を受け止めていた。


 後ろに跳ね返されるマレス。空中でくるりと回転して上手く着地してもう一度というところ、周囲が陰る。巨人の豪腕が振り上げられている。


「やば」

『グガァァァアッ!』


 腕が振り下ろされる。天井が落ちてくるかのような圧迫感。しかし直後、視界の外から放たれた水の大砲が巨人の腕に命中し、軌道を逸らした。


 波打つ轟音。洞窟が揺れる。しかしマレスにその一撃は当たっていなかった。


「ちゃんと見なさい馬鹿!」

「うっさい!」


 攻撃は外れたものの、巨人の腕が振り下ろされた地面は抉られ、同心円状に亀裂が入っていた。


 ――あれからしばらくして、遂に彼らは魔物と遭遇してしまった。さっきから大声を上げていたので魔物が寄ってくるのも無理もないのだが……。


 そして戦闘中でも互いの罵倒は止まない。攻撃と罵倒どちらが激しいかと問われれば後者である。


 だが、どれだけ拗れてもコンビネーションは崩れない。彼らがこの数年で積み上げてきたものはそれほどのものなのだ。


 マレスが走る。走り続ける。


 攻撃を躱しながら巨人の周りを走って翻弄する。巨人も負けじと岩を操り応戦する。


 互いに牽制を続ける。


 だが遂に痺れを切らしてしまった。巨人が拳を大きく振り上げる。その瞬間、距離を保っていたマレスが一気に懐へ忍び込んだ。


 しかし巨人の反応も早い。リーチの分、攻撃が届くのは巨人が先だ


「ごめんね。ちょっと眩しいよ」


 マレスが掲げた剣の先から眩い光が発せられた。【灯】の最大出力。巨人は視界を奪われて目を抑える。

 

 間髪入れずに斬撃を叩き込むマレス。しかしこの巨人、やはり一筋縄ではいかない。攻撃が難しいと踏んで、マレスの気配から防御の体勢をとっていた。


 またもやマレスは弾き返される。 


「ようやく私の番みたいね」


 その反対側でずっと機会を窺っていたエル。帽子から片目だけ出して言う彼女の周りにはふよふよと漂う水の塊。しかしエルが杖で合図を送った瞬間、それは槍のように鋭利な形に変形し、彗星のように閃いて魔物の首を貫いた。


 巨人が呻き声を上げる。正確には、そういう仕草をした。喉が潰されて声にならないからだ。


 膝をつき、もう死ぬだろう。巨人はそんな表情をしたように見えた。


 倒れる巨躯。その間際、充血したまなこをギョロリ、我が身を貫いた張本人であるエルへと向けた。


 一ッ目が紅く染まる。


 生物としての生存本能。真の窮地に立たされた者は何かを残そうとする。この巨人もまた、最期に一矢報いようと持てる力の全てを込めて、仇であるエルに向かって飛び跳ねた――その懐へマレスが縫うように忍び込み、大地ごと割ってしまうような一撃を巨人の首へ刻み込んだ。


 二つに裂かれた巨人は、今度こそ地に伏した。


(倒せないわけじゃないけどこれは……)

(連戦が続いたらかなりきついわね)


 今まで出会った中でも一番大きく、そして強い魔物だった。文献で簡単に目を通したことはある。しかし実際に対峙したのは初めてだ。


 文献だけでは分からないことも多いし、文献に載っていない力も持っているかもしれない。


 冷静に対処をすれば倒せる相手だ。しかし未知を考慮しながら何度も戦えるか怪しいし、洞窟からも出なければいけない。


 考えなければいけないことが多い。


 マレスたちの状況はあまり余裕があるとは言えなかった。


「エルのせいでこんな強い魔物と戦わなくちゃいけなくなったじゃん」

「……腕、怪我してるじゃない。見せてみなさい」

「えっ、あ、うん」


 また罵倒合戦になることを予想していたマレスは、それが返ってこなかったことで不意打ちを食らった気分になった。


 エルは差し出された腕に手を当てた。


 回復魔法は難しい。魔力抵抗がある以上、他者への魔力の介入は困難だ。相手が無防備になった上で緻密な魔力操作、その上高度な見識と才能が必要になる。


 そこまでやってようやく中程度の怪我を時間をかけて治すことができる。


「レベル5以上かもしれないわねここ」

「そうかもね。できるだけ戦わないようにしたいけど、明かりで見つかっちゃうなあ」

「せめて明るいところに出たいわね」


 回復が終わり、よし、と言って腕をべちっとはたくエル。


「てかさっき私のせいとか言ってなかった?」

「あはは、もういいじゃん。どっちもどっちなの分かってるでしょ?」

「……私が三、あんたが七ってところね」

「もうそれでいいや……」


 妥協したマレスは乾いた笑いを浮かべながら視線を泳がせた。


「ん……あそこ少し明るいね」


 戦闘中は気付かなかったが、暗闇の向こうに光が漏れていることに気が付いた。


「ほんとね。行ってみる?」

「行ってみよう。もしかしたら外に繋がってるのかも」


 周囲に警戒を寄せながらも、光を目印にぐいぐいと進む。相変わらず足場が悪いが外へ繋がっているかもしれないとあらば、そんなこと問題にならない。


 狭い洞窟を抜けると、頭上から光が差していた。


 久しぶりに生の光を浴びた気がする。しかしそこは渓谷のような地形になっていて、マレスたちが出たのはその中腹辺り。地上はずっと上にあった。


 だが、それよりも……


「うそ、ちょっと……なによこれ……」


 地上に気を取られて気付かなかった。縁に立つエルに「危ない」と言いたかったが、渓谷の底を見て激しく動揺している彼女が気にかかり、先にその視線の先にあるものを見下ろした。


「……ッ!」


 蠢く魔物の大群。


 例えるなら波である。魔物の波がモザイク模様に渓谷の底を埋め尽くしていたのだ。


「どういうこと。何が起きてるの!?」


 通常なら起こり得ないことだ。一括りに魔物といっても例外を除けば弱肉強食の世界で共生関係にあるはずがない。


 争いが起きないはずがないのだ。


 それなのに彼らは群れをなして警告を埋めつくしている。


 これは異常だ。


「有り得るとすれば、それほどの脅威がいる……? もしくは魔物をまとめる何か……? とにかくここは危険よ。戻りま――」


 その刹那。


「えっ」


 エルの体が急に沈んだ。否、落ちていた。どこからともなく現れた飛翔物がちょうどエルのいた足場を破壊したのだ。


「エルっ!」


 原因は分からない。しかし落ちる先は魔物の荒波。


 マレスは考えるよりも先に、彼女を追って飛び降りていた。彼女の手を掴み、体を引き寄せ――


 上へぶん投げた。


「えっ」

「ハアァァァァッ! 【天颪あまおろし】ッ!」


 マレスが落下地点に目掛けて風の刃を三度放った。


 まずは安全に着地すること。このタイミングなら魔物の注意の外。渾身の一撃を与えられれば周囲の魔物は一掃できるはずだ。


 轟々と唸る風の刃は真下にいる魔物の群れを直撃し――そして魔物の姿が雲散した。


「幻覚!?」


 マレスは戸惑いつつも安堵する。予想外ではあったが、少なくとも見た目以上の危機はなさそうだからだ。


 反作用と爆風で落下速度を緩和させながら器用に体を捻ってバランスをとり、魔物の群れにぽっかりと空いた空間に着地した。


 落ちてきたエルは両手で見事にキャッチ。


「あ、ありが――」

「移動するよ!」


 魔物の群れは幻覚だった。しかしそこに紛れて本物もしくは本体がいるかもしれない。戦闘になれば圧倒的に不利だ。


 マレスはエルを抱えたまま、落下中に見つけた横穴へ向かって全力疾走した。


   *


「もう下ろしていいわよ」

「あ、ごめん」


 エルは久しぶりに地面に立つと、服をはたいて整える。


「今日はよく落ちる日だね」

「まあ……たまには悪くないかもね」


 ぽつり、呟く。


「やだよー。結構怖かったんだよー」

「……それにしてもあれは流石に驚いたわね」


 エルは少し間を置いて話を変えた。


 別種の魔物があれだけの群れをなすことなど見たことはおろか聞いたこともない。驚いた、という表現では足りないほどの非常事態なのだ。


「魔物の仕業なのかな」

「幻覚を使える魔物はそう多くはないはずだけど……なんにせよあの量の幻覚を見せられるのは相当よ」

「洞窟の主だったりして」

「そうかもね」


 会話の終わりを察してエルが周りに目をやった。


 いくつも枝分かれしていた洞窟を抜けた先のそこは大空洞になっていて、【灯】を使わなくても十分に明るい空間になっていた。


 日光ではない。その空間を明るいのはいくつかの柱のように伸びる碧灯石の仕業だ。


「すごく綺麗」

「これだけあれば結構なお金になるね」

「……あんたはロマンがないわね」

「だっておかしいよ。誰かがこの場所知ってたら多少なりとも採取するはずだよ。もしかしてここ、未踏区域じゃないよね」

「たしかに……」


 マレスの予想は半分正解で半分不正解だ。


 ここはレベル6危険区域で区分されている領域である。しかし洞窟が複雑に入り組んでいるせいで全てを網羅することができていないのだ。


「ん、なんかいる」


 この情報はどれくらいで売れるのだろうかと考えていたマレスの視界の片隅、ちょうど碧灯石の柱の奥に小さな影が動くのが見えた。


 跳ねるような足音。文字に表すならぽむぽむといった感じだろうか。


「ぽこぽんだ」


 それはぽこぽんだった。


 子供の人気者。駆け出し冒険者の嫌われ者。死んだ目がチャームポイントの狸――ぽこぽんことウツロタヌキが前を横切っていた。


「どうしてこんなところにいるのかしら」

「もしかしてあれが元凶……なのかな?」


 幻覚を使う魔物。確かにこの魔物ならその条件に当てはまっている。


「だとしたら変異種よね」


 変異種――それはその種において通常の能力や外観などのいずれか、もしくは複数が大きく逸脱している個体だ。一般的には美しかったり凶悪だったり、人々への影響が大きい個体を指すことが多い。


 今回の場合は幻覚能力が秀でた個体だったのだろう。


「それならさっさと解決しましょ」


 所詮はぽこぽん。可愛い見た目に相反せず、幻覚が鬱陶しいだけのとても弱い魔物だ。


 災いの種はさっさと取り除くのがベターだろう、とエルは杖を構えて魔力を込める。


 レベル1か2危険区域に生息しているような魔物だ。レベル6危険区域で安全に暮らせるはずもない。


 そのぽこぽんがここにいる理由として考えられるのは、この洞窟に天敵がいない場合、もしくは……


「――ッ!? 危ないッ!」


 この個体が異常に強い場合だ。


「なに――」


 エルの帽子が突風で大きく揺れる。そのあと、背後で何かが水を切る石のように何度も地面を打ち、最後は壁を崩すほどの勢いで激突した。


「が、はぁ……ッ!」


 何者かの薙ぎ払い。そしてエルを守ってその間に入ったマレスが大きく吹き飛ばされていた。


「【洸洋こうよう円盾まるたて】!」


 状況を把握したエルがすぐさま唱える。じわりと空間から滲み出た水の盾が薄く広がり、再度襲う一撃を深海のように深く受け止めた。


 エルはそれ同時に後方へ跳び、距離をとる。


 マレスはなんとか無事な様子だ。地面や壁には衝突したが、攻撃自体はすんでのところで防御していたようだ。


 瓦礫から自力で這い出たマレスはエルと合流し、体勢を整え、それに臨んだ。


『ポォォォォォォオンッ!』


 洞窟を揺らす咆哮。


 丸く小柄なはずのフォルムは筋肉質を帯びていて、マレスの三倍はあろう巨体。死んだ目などではなく、釣りあがった目が攻撃的にこちらを睨む。


 変異種だ。しかもより凶悪な方向の。


 子供の人気者。駆け出し冒険者の嫌われ者程度のレッテルを貼られているぽこぽんが、最悪な形で彼らの前に姿を現していた。

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