新たな一歩を踏み出すために
夢が夢のまま続くことに、理由がいるだろうか。家族一緒に幸せに暮らしながら魔法を学び、いつか父の助けになりたい。けれど現実はそうはいかなくなってしまった。だから夢を見続ける。もしかしたらあったかもしれない、わたしの未来。夢が叶ったという夢を永遠に見続けながら現実ではそれを悟られないように生きる。
それで良かったはずなのに、そうさせてくれないのはわたしを導こうとする優しい煌めきのせい。今もわたしの手を、繋ぎとめて離さない。夢を夢のまま終わらせないために。
ふわりと腕に触れる感覚に、ゆっくりと頭が働きだし重いまぶたを持ち上げる。見慣れない天井が目に入った後、横に視線をずらすと美しい藍色の瞳に見守られていることに気が付く。
「良かった。目が覚めましたか」
「ルイン様……わたし……」
ぼんやりとしていた頭は徐々に冴えてゆき、わたしは状況を把握するとともに慌ててがばりと上半身を起こした。
「わっ私……! 仕事中に申し訳―― っあ……」
寝かされていたベッドに腕をつき立ち上がろうとすると、まるで自分の腕ではないかのように力が入らず体勢を崩してしまう。ルイン様はそんなわたしをすぐに支え、ベッドに戻すように肩を押した。
「まだ安静にしていてください。悪い魔力の影響を受けて、腕が動かないはずですから」
「悪い、魔力……?」
「覚えていますか? 貴女は物置部屋に紛れ込んでいた
記憶をたどり、勝手に腕に巻きつき締め上げてきた鎖の事を思い出す。今は代わりに包帯が巻いてあり、痛みはあまりないが鉛のように重たい。心配そうにこちらを見つめるルイン様を見て、わたしは合点がいった。
助けて頂いたのだ。
自分の不注意でルイン様の手を煩わせてしまった。流れ作業のように何も考えず仕事をしていたからだ。そう気が付いた途端に襲ってくる大きな後悔と情けなさに両手で顔を覆う。
「私の不注意が招いたことででルイン様を煩わせてしまい……なんとお詫びすれば良いか……」
「貴女は何も悪くないですよ。真面目に仕事をしていただけだということは良く分かっています」
ルイン様はいつもわたしは悪くないと言って下さる。その心遣いが有難く、しかし自分の無力さを痛感させられた。
「あの物置部屋は私の部下に調べさせています。他にもあのような物が紛れていたら大事ですからね」
「……あの鎖は一体なんだったのでしょうか。勝手に腕に巻き付いてきたのです」
「エスター城を良く思わない者からの献上品……といったところでしょう。今まで見つからずにほかの物品に紛れ込んでいたのは恐らく偶然だろうとは思いますが」
献上品。その言葉にわたしは背筋が凍るのを感じた。ならば、もしかしたら何も知らないローズ様があの鎖を手にしてしまう可能性もあったのだ。それならばこうしてわたしが倒れたことでローズ様や他の方々への危険を回避できたのではないか。
ほんの少しだけ、安堵した瞬間をルイン様は見逃しては下さらなかった。
「シェラさん。今、呪物に触れたのが自分で良かったと思いましたね」
穏やかなその目が諌めるようにすっと細められる。図星をつかれ苦し紛れにその目線から逃れようと宙を見るが、そんなわたしに追い打ちをかけるように言葉が降ってきた。
「いいですか。あと少し遅かったら貴女の腕は本当に危なかったのですよ。それを良かったとは何事です。」
珍しく、いや、初めてかもしれない。ルイン様からのお叱りの言葉。わたしがどれだけ失敗しても、仕事に関して咎められたことはないのに、今わたしが自分自身を大事にしなかったことで怒っている。
「申し訳ありませんでした」
自然と頭が下がった。きっとわたしが何度生まれ変わっても、ルイン様のような人間にはなれないだろう。
「……貴女のそういうところが、」
ぽつりと呟かれた言葉に視線を上げると、何でもありませんとため息をつかれてしまった。
呆れられてしまっただろうか。出来の悪さを露呈してしまったような、妙な焦燥感に襲われ、今すぐにでも仕事に戻りたい気持ちになる。働いていれば余計なことを考えずに済むからだ。
「あのルイン様、わたしはもう大丈夫です。頭もすっきりしてきましたし、仕事に戻りた――」
「いけません」
有無を言わさぬ口調で否定され、ますますこの場から消えてしまいたくなる。ぎゅっと肩を縮めるわたしにルイン様は続けた。
「先ほどメイド長にも伝えましたが、貴女は今日と明日は仕事をしてはいけません」
「えっ」
「呪物の影響がどのように出るか分かりませんからね。今日はこのまま休んで、明日は念のため休養日とします。どのみちまだ腕が動かないのにどうやって仕事をするつもりです? 大人しく寝ていてください。分かりましたね?」
まるで聞き分けのない子供を相手にするような言い方で、ルイン様はわたしの逃げ道を呆気なく塞いでしまった。明日も休みだなんて。ローズ様に申し訳がなく、がっくりと肩を落とす。
「シェラさん、明日の朝また腕を診せて下さい」
「はい……よろしくお願いいたします」
「それで、体に問題が無ければその後……」
途切れた言葉にルイン様を見上げると、見たことのないようなとても迷い躊躇われている表情が目に入り、思わずわたしまで伝染するように不安な気持ちがこみ上げてくる。続けられた言葉は少しかすれていて、それでもわたしの耳に優しく響いた。
「貴女の時間を私に下さい」
その言葉がすぐに理解できずに黙っていると、ルイン様は弾かれたように口を開き、明るい声で続ける。
「以前少しだけお話した丘にでも、行きませんか? 冬が近づいてきて空気が澄んでいるので景色が良くて――……いいえ、違いますね。そうじゃない。貴女は魔法と聞くとまるで霞のように掴めなくなってしまうので、私などには教わりたくないのではないかと……すみません、私はただの小心者なのです。景色を見に行くためではなく、貴女と魔法の話がしたい。けれどそう言うと、貴女はまた私から離れていってしまう」
ルイン様は酷く言い辛そうに、けれどゆっくりと慎重に言葉を選ぶようにそう語った。わたしが魔法を教わることを躊躇っていることを知っていて、私を傷つけないようにして下さっているのだ。こうまでされてはわたしも確かめざるを得なかった。
「ルイン様は私に同情して下さっているのですね」
境遇のこと。お金のこと。父のこと。たくさんのかわいそうな気持ちでルイン様が接して下さるのなら、わたしはやはり、それは要らないのだ。
「それは違います!」
「でも……貴方様は私の父を良く思って下さっていると聞きました。その父にこんな娘がいたら放っておけないというのは、分かります」
「貴女のお父様の事は関係なく、いや関係はあるのですが。確かにお父様は素晴らしい魔法薬師で……尊敬しています。しかし私がシェラさんに魔法を教えたいという気持ちは決して同情ではない!」
ルイン様はきっぱりとそう言い切ると、酷く困った顔をしているであろうわたしをちらりと見て目を伏せた。
「すみません……あまり熱くなると貴女を困らせてしまうことは分かっているのですが」
「い、いえ」
ルイン様がこんなに必死になってわたしに訴えかけている。その事実だけで胸がいっぱいだった。同情かどうかなんて、すでにどうでもよくなってしまう自分の単純さに呆れてしまう。今のルイン様を見れば、なんだってどうでもよくなってしまう。
こほんとひとつ咳払いをしてから、ルイン様は魔法で何かを手元に出現させた。それはわたしが良く知っている革表紙のノートだった。
「それは……父の!」
「お返しするのが遅くなり申し訳ありません。ようやく全てを頭に入れたので、お返しできます。そしてその内容全て、私は貴女に教えることができます!」
「!!」
城に献上したまま戻ってこないと思っていた父の遺品。それをルイン様が持っていて、あの難解そうな内容を習得されていた。父が誰にも伝えることのできなかった魔法薬の調合法を引き継いで下さったのだ。
ぶわりと目頭が熱を持ち、視界がぼやけてくる。わたしは、諦めなくていいの?
「わ、私に……できるでしょうか」
「私にも上手くいかないことはたくさんあります。きっと世の中は全てが上手くはいかないようになっているのです。ですから、どうかそれを恐れて最初の一歩を踏み止まらないでください。どんなに躓いても私が居ます。必ず貴女を支えます」
弱気な言葉もあっという間にかき消されてしまう。わたしは溢れる涙を拭いもせずに、滲む視界で煌めく藍色にずっと言いたかった言葉を放った。
「ルイン様、どうかわたしに父の遺した魔法を教えてください!」
それを聞いて心底嬉しそうに笑うこのお方は、きっと私の心を救う魔法を使っているに違いない。
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