錆びた鎖に囚われる

 例えば叶わない恋をしていたとしてそれが叶わないと分かった瞬間にその想いが消えて無くなるかと言われるとそうではないようで、わたしは自分の気持ちを持て余しているのかまだ何かに縋りつきたいのか分からないまま過ごしている。


 ローズ様が隣国に招かれ留守の間、エスター城には冬の兆しが訪れていた。一年を通して比較的穏やかな気候に恵まれているこの城も、鳥や虫たちの姿が消え、花壇は土しかなくなってしまう。


 本当に、冬になると静かになる。本格的に冷え込む前に冬支度をしなければならない。これから城仕えの者たちは忙しく働くことになる。


 仕事があるということが嬉しい。わたしは人手不足に陥るほど忙しいこの季節の変わり目が嫌いではなかった。わたしにもできることがたくさんあるのだと、ただの小間使いにも拘らず抱えきれない仕事があることに喜びを感じていた。


 仕事以外に楽しいことはないのかと問われたら、無いと言わざるを得ない。エスター城のあらゆることが円滑に進むようせっせと小さな歯車を回し続けるのがわたしという存在なのだ。


「シェラ」


 ぴしゃりと水を打つように私を呼びつけたのはメイド長。相変わらず凄味のあるその姿に戸惑いながらも仕事の指示を受けるためにすぐ返事をし駆け寄った。


 彼女は城の数ある物置部屋の内のひとつの鍵をわたしに手渡し、掃除と片づけを命じた。冬支度のため物置部屋の備品を運び出す前に綺麗にしておけということだろう。わたしは掃除用具を両手に指示された部屋へと向かった。


 もしも魔法が使えたなら。今まで生きてきた中で何度も思い唱えたその言葉をまた頭の中で繰り返す。


 ――もしも魔法が使えたなら、この部屋を一瞬で綺麗にできるのに!


 乱雑にものが積まれ足の踏み場の無い物置部屋にくらくらする頭を手で押さえつける。魔法は便利なだけのものではないと、時に何かを傷つけ破滅させる恐ろしい力だと、ルイン様の些細な一言で理解したはずなのに。その力に縋りつきたくなる自分がみっともなくて恥ずかしい。


 それに、魔法で片づけられてしまっては仕事が無いと嘆くのは紛れもないわたし自身。

 

 結局はただの泣き言なのだ。


 目の前に積まれた物を見ると、どうやら備品に混ざっていつのものか分からない古そうな調度品があるようだ。さらにはエスター城に贈られた物と思われる高価そうな壺や絵画などが所狭しと並んでいる。それらを傷つけないよう優しく、しかし手際よく汚れを落とし整頓する。


 しっかりと仕事をすることがわたしの存在意義だということは分かっているつもりだ。


 無心でその繰り返しをしていると、ふと部屋の隅に小さな皮の袋が落ちていることに気が付いた。わたしは流れのままにその袋を拾い上げ、中身を確認する。大きさの割にずしりと重いそれは、どうやら古い鎖のようだ。全体的に錆びており、使い物にならないことが一目でわかる。


 皮の袋と中身の鎖は分別して捨てよう。


 そう思い鎖の端を袋から取り出した瞬間だった。


「……え?」


 ずるり、と重たい鎖が指先を這う感覚。思わず手を引っ込めるが間に合わず、気が付くと錆びた鎖はまるで蛇のようにわたしの腕に巻きついていた。


「きゃあ!!」


 そのままぎりぎりと腕に食い込んでいく鎖。


 片手で引きはがそうとするが、強い力に敵わない。錆びた金属というのは刺々しく、あっという間にわたしの腕は傷だらけになってしまった。しかし、そんな傷よりも腕を締め上げる強烈な力に酷い痛みと恐怖が襲いかかってくる。


 このままだと腕が取れてしまう――!


 なんらかの魔法がかかっているであろうその鎖のが、ただの金属の酸化ではないことに気付く。


 もしかしてこれ……血の……!?


 ぞわりと背筋が凍りつき、わたしは震える声で必死に叫んだ。


「っ誰か! 助けて下さい――!」


 少しの間の後、部屋の扉が勢いよく開かれ、城の兵士の姿が目に入る。


「どうしました! 大丈夫ですか?」


 どこかで聞いたことのある声だと頭の端で思いながらも、わたしは締め付けられる痛みに耐えながらよろよろとその兵士の元へ歩を進め、なんとか腕を見せる。


「これはいけない。失礼します!」


 ひょいっと軽く抱え上げられる。普段だったら拒否の声を上げていただろうが、ギリギリと腕に食い込む痛みと痺れに耐えることで精一杯のわたしはされるがまま目を固く瞑った。


「ルイン殿に診て頂かなくては!」


「え……?」


 後から聞いた話によると、わたしを運んでくれた兵士はそれは凄い速さで場内を駆けてくれたらしい。


 わたしはというと抱えられている間の事はあまり覚えておらず、灼熱の痛みを放つ腕は騒ぎを聞きつけたあのメイド長でさえ青ざめるような状態だったそうだ。


 そうこうしている間に痛みだけでなく段々と頭に靄がかかってきて、わたしは耐えられずに意識を失ってしまった。









『シェラ、ヴィンス。父さんは戦争をしに行くわけではない。病人やけが人はいつでも戦場の中に居る。その人たちの力になるのが父さんの役目なんだ』


 青葉の香りとともに父の最期の姿が浮かんでくる。ああ、これは夢だ。この後父が帰ってこないことを、わたしは知っている。


『シェリー、ねえ、お父さんは?』


 小さな小さなヴィンセントがわたしの手を握り不安そうに見上げてくる。その丸くて優しい瞳は母から譲り受けたもの。わたしが守らなければならないもの。


幼かったヴィンセントは父の事も母の事も覚えていない。たったひとりの家族であるわたしがエスター城で働くことが決まった時、一緒に行くと言ってきかなかった。


もう小さくはないけれど、変わらず寂しがり屋の弟を置いていくことに、後ろ髪をひかれる思いでエスター城に来た。


 けれど、時々ふと思う。わたしは家族と離れて暮らすことを自分で決めた。それは正しかったのだろうか。


もうヴィンセントにはわたししかいないのに、彼のためだと言ってここに居ることは本当に彼のためになっているのだろうか。


あのまま町で姉弟寄り添いながら慎ましく暮らしていた方が、結局は幸せだったのではないだろうか――……。



『大きくなったらお前たちにも魔法を教えるから、そうしたら父さんの手伝いをしてくれるかい?』


 呪いの言葉のようにわたしを縛り付ける、父の優しい声。


 導かれるようにエスター城に来て、まだ諦められないなんて。



 ――ごめんなさい、ヴィンセント……。










「どうですか、ルイン殿」


いにしえの呪いがかかっている。鎖自体はもう外したが……彼女の目が覚めるまで私が見ているから、持ち場に戻ってくれ」


「はい」


 呪いの鎖で締め付けられていた腕は綺麗に処置をした。恐らく物置部屋にはエスター城に贈られた物品が紛れ込んでいたのだろう。あとは悪い魔力に当てられた彼女の意識が戻るのを待つだけだった。



「シェラさん……誰に謝っているのですか」



 彼女の目からは一筋の涙がこぼれ落ちていった。



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