密かな願いを口に出す

 感情の変化というものはまるで天気のようだ。穏やかな青空が一変してにわか雨が降り始めるように、自分でもコントロールできない暗い気持ちが襲ってくる。


 わたしは午後から降り出した雨粒を目で追いながら、一つため息をついた。


 最近の事だ。中庭にあるローズ様のお気に入りの花壇に魔法がかけられ、雨風から守られるようになった。これまではわたしが手作業で布をかぶせ花が散らないようにしていたが、どうやらそれもお役御免となったらしい。


 わたしにできることは、きっと思うより少ない。


 花守の仕事がなくなったことで、これまで雨や風を感じると逸っていた心が大分静かになった。あの花たちはこれからも魔法に守られて美しく咲くのだろう。


 ふと頭にローズ様の美しいお姿がよぎる。ローズ様がこの花ならば、わたしは野に在るただの草のようなものだ。自分を花に例えるような身の程知らずなことは絶対にしない。それが私に合っている。雨にぬれ風に揺れ、気が付いたら一生を終えているような。


 例え魔法が使えなくても、弟と一緒に真面目に暮らしていけたらそれでいい。


 最近のわたしはそんなことを考えるようになっていた。あれだけ魔法を学びたいと思い続けていた情熱は、雨のせいで冷めていってしまったのかもしれない。一つの事がうまくいかないとほかの色々な事にも影響してしまう、わたしの悪い癖だ。


 本来ならば用が無いと立ち入ることの許されないローズ様の中庭。今まで世話をしてきた花の様子を見るくらいなら許されるだろう。

 

 しとしとと降り続ける雨粒を軽く手で払いながら、わたしは使用人用の傘を差し、花壇へ向かった。


 ドーム型の不思議な空間の中は、雨も風も通さず一定の環境が保たれている。そのすぐ外側では、冷たい水滴が魔法に弾かれ地面に吸われていった。


 一つ一つの花壇がそのドーム状の魔法に覆われ、色とりどりの花を咲かせている。妙な違和感を覚えたのはきっと見たことのない光景だからだろう。決して不自然さを感じたわけではないと自分に言い聞かせながら花壇に近づく。


「どうか、この魔法の内に咲く花をお守りください」


 花を守る魔法に、正しくはその魔法をかけた人物に願いが伝わるよう静かに祈った。




「シェラさん!」


「ルイン様?」


 中庭からの帰り道、薄暗い通路の向かい側から赤いマントを揺らして駆けてくるルイン様が目に入る。わたしは慌てて通路の端に寄り、頭を下げた。


「ど、どうされました? そんなにお急ぎになって……」


「すみません、シェラさんの声が聞こえたので中庭に居ると思い走って来てしまいました。きっとまた雨の中花壇の世話をしているのではないかと……あの花壇はもう雨の世話は要らないのですよ」


「ええ、花壇の件は存じております……しかし」


 わたしの声が聞こえたと仰っただろうか。特におしゃべりもせずに一人でいたはずだ。


 ピンと来ていないわたしに気が付いたのか、ルイン様は顎に手を当てながら口を開いた。


「『魔法に内に咲く花を――』と聞こえた気がしたのです。シェラさんの声だと思ったのですが」


「え!?」


 それは正にわたしが花壇を覆う魔法の前でつぶやいた言葉だった。ルイン様が現れた方向から考えても、あのつぶやきが聞こえる距離ではなかったはずだ。


 勝手に熱くなる頬を押さえつけながら、混乱する頭を必死に働かせる。


「あ、あの。確かに私そんな独り言を……でもどうして」


「あの花壇の魔法は部外者の侵入が分かるように近くの声を拾うようにしてあるのですよ」


「へ、あ、そうだったのですね……本当に、便利なまほう……」


 独り言を聞かれていたことに羞恥を隠せずしどろもどろになるわたしに対し、ルイン様は穏やかな、そしてどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。


「花壇の花を守ってほしいということですか?」


「そ、うです。あの花壇は最近まで私が世話をしておりましたので……気になってしまって」


「そうでしたね」


 ルイン様はそうして一拍おいてから静かに口を開く。


「実は私は……魔法を使うということを良いとも悪いとも思っていませんでした」


「え?」


「確かに便利ではあるのですが……私の魔法は戦うための手段の一つですからね。何かを傷つけ破滅させる力です」


 眉を下げ困ったように笑うルイン様を、わたしは黙って見つめる。ほんの少しだけ陰るその藍色の瞳は、これまでどんなものを見てきたのだろう。きっと綺麗なものばかりではなかったはずだ。ルイン様が言う魔法の意味は、便利な類のものではない。きっともっと恐ろしい力のこと。



「けれど今、貴女の願いを知ることができて良かった。花は必ず守ります」



 途端に煌めきだすその美しい瞳に、わたしはたまらず俯いて目を逸らすことしかできなかった。



「魔法の内の花は……もうそこでしか生きていけないのでしょうか」


「シェラさん?」


「……いえ、何でもありません」



 ルイン様のお力で守ってもらえるなら、あの花たちも本望だろう。わたしは一体何が気になっているのか。


 ただ記憶の中の、いつか弟と一緒に見た小高い丘に咲く花と、魔法の内の花壇の花を比べては何の答えも見出すことができなかった。


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