心の中は覗かせない
エスター城は古い造りの建物で、日光をたくさん取り込むように設計されている。
空の青さが天井から床まで突き抜けるような吹き抜けのテラスや、朝日をたっぷりと浴びる中庭の配置などは正に建築士のこだわりなのだろう。
ローズ様のいらっしゃる中央の棟や、ルイン様の使われている来客用の部屋は日当たりや風通しも完璧だ。
その反面、わたし達城仕えの者達が寝泊りする東の離れは別の世界のように薄暗かった。雨が降ると夜の帳が急に下りたかのように暗くなり一気に寒くなる。
わたしはその暗さに足を取られ、見事に転んでしまった。怪我はなかったが別の場所に被害が出た。スカートの裾が破けてしまったのである。
普段から荒仕事に耐えてくれていた生地に、縦にびりりと亀裂の入る瞬間を目撃したわたしはショックでしばらくその場を動くことができなかった。
それが一昨日の出来事。
応急処置として手縫いでなんとか亀裂を塞いだが、明らかに補修された事がわかる見た目だ。
仕事をするには特に問題はないが、例えば、ルイン様にこのスカートを見られたらと思うと恥ずかしさでいっぱいになる。
ルイン様に想い人が居られることを偶然知ってしまってから、わたしは仕事に打ち込むようになった。
傷心を誤魔化すためなのかもしれないけれど、気持ちはすっきりとしていた。今日は朝から良い天気なのも影響している。
あれからわたしはルイン様のお部屋に伺うことはもちろん、魔法の魔の字さえ触れずにひたすら仕事をしていた。
ルイン様の想い人の件は置いておいても、わたしはまだルイン様に魔法を教わることを踏み出せずにいた。
ちらりとスカートの裂け目を見下ろす。ルイン様と同じ空間に居るには、あまりにもぼろに見えるそれ。
ルイン様はわたしの酷い服装のせいで魔法を教えたくなくなるようなお方ではないことは分かっている。わたしはわたしが恥ずかしいのだ。
ルイン様と机を挟んで同じ部屋に居るところを想像すると、こんなぼろではなくきちんとした身なりの自分が楽しげに魔法を教わっている。
ふと現実に戻るとそんな訳がないのに、と勝手に肩を落とす自分がいる。
ローズ様にはルイン様に魔法を教わると言ってしまったが、こうして仕事に励む方が精神的に安定する。
大体において、ルイン様に酷い言葉をかけてからその謝罪すらまだ済んでいない。ルイン様は怒っていらっしゃらないというローズ様の言葉を思い出すが、失礼には変わりないのだ。
夢は夢のまま。破れたスカートは元に戻らないし、わたしがこの仕事着以外を纏ってルイン様にお会いすることはない。
仮に洋服を買うお金があっても、それは弟に送るか、貯金をするか。それ以外の選択肢はない。わたしは自分の身の程を知っている。
しかし、ルイン様に謝らないままというのは良くない。
今日は晴れ渡る天気のおかげで、悪天候時のような余計な仕事がない。日が暮れる前に、ルイン様を訪ねよう。仕事に励む中ようやくそう決心した。
お部屋に伺うのは気が引けるが、客室のある棟の前で待つことくらいは許されるだろう。
今のわたしは夢を見ない、すっきりとした気持ちのわたしなのだ。あれだけ後回しにしていたルイン様との邂逅も、今のわたしなら出来るような気がする。
空が茜色に染まるころ、わたしは仕事を終えた。客室担当のメイドに恐る恐る聞くと、ルイン様は留守にされているらしい。
ならば待たせてもらおうと、客室のある棟の入口に立つ。しかししばらくしてもルイン様のお姿は見えず、時折通りかかる人の視線が刺さるだけだ。
そうしているうちに日は傾き、徐々に冷たい風が吹き始めた。陽の光を取り込むことで暖かさを保つ構造になっているエスター城の夜は寒い。
自身の浅はかさに呆れるしかなかった。今までたたらを踏んでいたつけが回ってきただけだ。ただ自分の都合で押しかければ会えると思ったのが馬鹿だった。そんなに上手くはいかない、当然のことだった。
手先はすっかり冷えている。頭では分かっていても抑えられないため息とともに、一筋の冷たい風がスカートを揺らした。
ルイン様にお会いすることはできなかったけれど、このスカートを見られずに済んだことは良かったかもしれない。
手先をこすり合わせ肩を落としながら、冷たい空気が漂う廊下に戻る。そこでわたしは思いもよらずルイン様のお姿を発見した。
「シェラさん!」
「……ルイン様」
先ほどまでずっと待ち望んでいたはずの藍色の瞳に捕らえられ、たまらず目を逸らす。どうやら怒っていないことは本当らしい。ルイン様はいつものように早足でわたしに近づく。
「シェラさん、最近お会いしていませんでしたね。仕事は忙しいですか」
「あ……はい、天気が悪い日が続いていたので、やる事が多かったのです」
「そうでしたか」
「ルイン様は今お帰りですか?」
正門から客室に繋がるこの廊下にいらっしゃるということは、外出からお戻りになったところだろう。きっと日が暮れるまで外でお仕事をされていたのだ。
先程までわたしがぼうっとつったっていた間もルイン様は職務を全うされていたと思うと少し恥ずかしくなった。
「ええ、今日はローズ様とお茶会へ」
そう言って手を頭の後ろにやってはにかむルイン様を、わたしは浮かない心持ちで見つめた。
「どうも、ああいう場は苦手なのですが……ローズ様にずるずると引っ張られてしまいまして。私が居るとローズ様を囲む人垣が減ると思われているらしい。まるで番犬扱いですね」
貴族のお茶会。豪華で煌びやかな空間に美しいローズ様とルイン様が並んで微笑む光景がすぐ頭に浮かぶ。
照れたようにそんな場が苦手だというそのルイン様の様子に、わたしの中で急にある仮説が浮かんだ。
もしかして、ルイン様の想い人って……。
普段ぼんやりとしている頭は、こんな時だけよく働くのだ。
「それは大変なお役目だったのでしょう。……ルイン様、お疲れのところ申し訳ないのですが、お聞きしていただきたいことがあるのです」
「……! ええ、もちろんです」
「この間は大変失礼な事を言ってしまって申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる。胸に詰まっていた言葉は呆気ないほどするりと喉を通り抜けた。
「シェラさん、顔を上げてください。あれは私が悪かったのです。考えが足りず貴女を悲しませました。私の方こそすみませんでした」
ルイン様は一拍置いてわたしの肩に優しく手を置き謝罪を返す。わたしは頭を下げたまま首を振る。この優しさに甘えてはいけないのだ。
ローズ様を羨ましいとと思うような勘違いはしない。わたしはローズ様の全てを尊敬している。ここで働けているのも全てローズ様と、ローズ様の命を助けた父のおかげだ。
わたしはわたしの身の程を、弁えている。過ぎた感情など必要ないのだ。
「ルイン様、私の失言をお許し頂けますか」
「もちろんです! そもそも貴女のせいではないのです。ローズ様にも散々絞られて……こほん。いえ、何でもありません」
ローズ様の事を口にした途端、ルイン様は軽く咳払いして話を逸らす。そんな些細な事も、わたしの中の仮説を裏付けていく。
「勿体ないお言葉をありがとうございます……お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくりお休み下さい」
「シェラさん、」
すっかり冷え切ってしまった手でスカートを握る。ローズ様が素敵なひと時を過ごされたのならそれで良いのだ。ルイン様が想いを寄せる方と共に時間を過ごせたなら……。
わたしのどんな時間よりも尊いものだ。
冷たい風が流れる廊下を去ろうとルイン様に一礼するが、ルイン様はためらいがちに、しかし珍しく声を張った。
「シェラさん!」
「は、はい」
「これからお時間はありますか?」
「……え?」
「魔法を教えるという話ですが……うやむやになってしまうのは嫌なのです! その日が来るまでがとても長く感じられる。貴女に都合があることは分かっているのですが、またいつ会えない時間が続くか」
「ちょ、ちょっと待って下さい。今日これからというのは……」
「日は暮れていますが必ず部屋まで無事に送り届けます」
「いいえ、あの、私これからやる事がありまして……」
「仕事ですか?」
「ええと、そうではなく……」
ルイン様と過ごすこと以上に優先すべき事など何があるだろうか。焦っていたとはいえ自分で言って何も思い当たらずさらに混乱を助長するだけだった。
ルイン様のお言葉はありがたかった。魔法の件について、わたしからは切り出しづらいと考えて下さったのだろう。
しかしどうしてもその気持ちになれないのだ。
ルイン様に同情されている。
ルイン様の想い人がローズ様かもしれない。
今のわたしにはその事でいっぱいいっぱいだった。
みるみるうちに肩を落とすルイン様から目をそらし、わたしは必死に言い訳を考える。何でもいい、何かそれらしい事を……。
気づけばわたしは朝から頭の片隅に引っかかって離れなかった事を口にしていた。
「あのっ本当に間抜けな話なのですが、私の不注意でスカートを破ってしまったので今晩繕おうと思っているんです!」
「……スカート?」
我に帰った時には後の祭り。あれだけ知られるのが恥ずかしいと思っていた事をまさか自分の口から言うことになろうとは。
ぽかんとしているルイン様をまともに見れず、ひたすらに俯く。ルイン様はわたしが握るスカートに気がついたのか、真面目な顔でぽんと手を打った。
「大丈夫。任せて下さい。魔法で直しますよ」
「ルイン様……私は今消えてしまいたいくらい恥ずかしいです」
「ええと……それは困りました」
わたしの真っ赤な顔に免じて、今日はそのまま別れることになった。こんな間抜けに扱える魔法などあるのだろうか。
何も上手くいかない。それでもこの胸の内は絶対に明かさない。
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