第14話 中尾さんの血糖値 ① 喜色

 …中尾さんは49歳、ちょっと小太り赤ら顔のよく喋るおじさんです。

 はたから見ると、どうして入院患者になっているのか分からないくらい元気そうな人ですが、話をうかがうと実は糖尿病で倒れてここの病室の住人になったとのことでした。

「…それにしても毎日毎日退屈でさぁ…いやんなっちゃうよねぇ ! …入院生活なんてのはさ、鉄格子の無い監獄みたいなもんだよ…」

 中尾さんはそんなことを僕に言っては、うらめしそうに窓から外の街の景色を眺めていました。

 中尾さんのベッドは、僕のはす向かいの窓際の位置なので、外を眺めると何だか余計にシャバへの想いがつのる様子でした。

「…早く退院して、元の生活に戻りたいのはみんな一緒ですよ、中尾さん… ! 」

 僕が慰めにもならないことを言うと、中尾さんが勢い込んで応えました。

「いや、退院を焦ってる訳じゃないんだ!…一日中このベッドでゴロゴロしてるのが嫌なんだよ ! …俺は別にほら、足腰が悪い訳でもないし、何もずっと病室に閉じ込められてる必要も無いわけじゃん !? 」

「…はぁ…」

 一応相づちをして聞いていましたが、要するにこの人は治療を受けながらも日中は自由に出歩きたいと勝手を言っているのでした。

 …そんな中尾さんは、朝目覚めると一階の売店前にある新聞の自動販売機からスポーツ新聞を買って来てベッドの上で集中して読んでいました。

「…チクショー、明日からかぁ!」

 …突然紙面を見ながら中尾さんが呟きました。

(…何が明日からなんだろう?…)

 ちょっとそれが気になりましたが、いちいち訊くのも億劫なので僕はまた自分の文庫本を横になって読むことにしました。

「森緒君もさぁ、若者なのに見舞い客とか面会に来る人はいないのかい?…島野くんみたいにさ、綺麗な彼女とか来てくれないの?」

 …新聞を一通り見終わったのか、中尾さんが僕に話しかけて来ました。

「僕の家は自営業の商店なんで、両親とも忙しくてとてもここに見舞いに来る余裕なんか無いですよ…、優しい彼女も僕にはいないし…」

 そう答えると、

「…そうかぁ、…ま、それならそれで、気楽でいいやな!」

 結局どうでも良さそうに中尾さんは言って笑うのでした。


 その日の午後、内科の回診の時に先生が中尾さんに様子を尋ねました。

「…中尾さん、今週からちょっと飲み薬の内容を変えているんだけど、状態はどう?…次の月曜日にまた血糖値の検査をやるから、その結果いかんでは退院してもらっても良いかな…って考えているんだけどね… ! 」

 中尾さんは先生の「退院」の言葉に顔を明るくして言いました。

「状態はもうすっかり良くなりました。…それで、先生!…最近寝てばっかりだから足腰が弱ってきちゃって…出来れば日中だけでも外出許可を頂けないですか?…外を散歩でもすれば体力も戻ると思うんですよ… ! 」

 …先生は同行の看護師さんの顔と中尾さんのカルテを見て少し思案していましたが、

「分かりました!…では明日から日中の外出を許可します。…ただしあまり激しい運動はダメですよ」

 と言いました。

「ありがとうございます!先生 !! 」

 中尾さんはまるで欲しかった玩具を買ってもらった子供のように満面の笑顔でそう言ったのでした。


「やったぁ !! 明日の外出許可が取れたぞ!…何とか間に合ったな」

 回診が終わり、先生と看護師が去ると、中尾さんは再びニンマリしながら呟きました。

「中尾さん!…今朝からずっと明日のことを気にしてるみたいだけど、明日から何が始まるんですか?」

 僕がそう尋ねると、

「それは…いや、ちょっと私用が出来てさ、…出掛けなきゃならないんだ…」

 何となく中尾さんにしては歯切れの悪い反応が返って来ましたが、僕には特に関係の無いことなので会話はそれで終わりました。


 …翌日、例によって中尾さんは朝からスポーツ新聞を集中して読んだ後、午前の点滴の注入速度をアダプターツマミを勝手に回して早めると、スルスル体内に流し込んでサッサと終了させました。

「じゃっ、ちょっと外出してきま~す!」

 そして声も高らかにそう言うと、チャチャッと着替えてとても入院患者とは思えないほどの軽い足取りで素早く病室を出て行ったのでした。



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