第15話 中尾さんの血糖値 ② 私用

「…あんなに浮かれた様子でいったいどんな私用が出来たっていうのかなぁ…?」

 病室から中尾さんが消えた後で僕がそう呟くと、部屋のみんなが苦笑しながら言いました。

「…何だよ ! 分からないの?…今日から松戸競輪の開催日だろう!中尾さんはこんなところにジッとしてなんか居られないよ」

「えっ !? …競輪場に行ったんですか?あの人…!」

 僕が驚いて叫ぶと、

「シッ !! …声が大きいよ!…看護師や先生には内緒にしてあげなよ、可哀想だから…」

 と言われ、どうやら同室仲間の変な友情を教えられたのでした。

 …ちなみに松戸競輪場はこの病院から1キロメートルほどの場所にあり、歩いても大したことのない距離なのです。

「…競輪で当てて儲けて帰って来るかなぁ…!」

 僕の言葉にみんなは、

「どうかな?…そんなことより、別のことが心配だよ… ! 」

 と応えました。

(別のこと?…)

 この時まだ若造で、しかしもはや身体はほぼ健康体に回復して来た僕にはよく分からないことだらけでしたが、他人の病気のことなので、まぁ気にしたって仕方ないなと思い、再びベッドに横になりました。


 …それからまた例によって味気無い病院の昼食となり、変化の無い回診が終わり、どよ~んとした病室の午後が過ぎ、早い夕食が出され、西に日が沈んで検温の時間となりました。

「あら !? …やだ、中尾さんまだ戻って来てないの?」

 …病室にやって来た看護師さんが、中尾さんのいないベッドを見て言いました。

 しかし部屋のみんなは落ち着いた顔で言いました。

「中尾さんなら大丈夫!…程なくして帰って来ますよ ! 」

「えっ、そう?…じゃあ戻ったらお熱を計ってナースステーションに報告するよう言って下さいね!お願いしますよ」

「はい、分かりました!」

 みんなの明るい声に安心感を覚えたのか、看護師さんはそれ以上のことは言わず、病室を出て行きました。


 そしてそれから20分後、足音を忍ばせ、やたらコソコソしながら中尾さんは戻って来たのです。

「…検温終わった?看護師さんもう来ない?」

 病室に入るなり、中尾さんは目を泳がせてそう言いました。

 部屋のみんなはそんな中尾さんに笑いながら言いました。

「お帰り、中尾さん ! …看護師さんにはうまく言っといたから大丈夫だよ!…体温だけ計って報告してくれってさ ! 」

「そう !? …良かったぁ、みんな、悪かったね ! 」

 中尾さんはホッとため息をつきながらベッドに腰をかけました。

「…ところで、どうだったの今日は?」

 とたんにみんなからはそんな質問が飛び出しました。

「えっ !? どうだったって何が?…」

「今日出掛けて行った私用の結果だよ… ! 」

 鋭い質問にちょっとたじろぎながら中尾さんは答えました。

「えっ !? …私用の?…そうだね、今日はまあまあだったかな…」

「なぁるほど ! …それで帰りに一杯やって来たんだ…!」

「えっ !? …な、何言ってるのかな?…俺は飲んでなんかいないよ!…そ、そんなには…」

「何だよ ! やっぱり結局そんなには飲んだんじゃん!…」

 みんなはそう言って笑ったのでした。

「もう…俺熱計ってるんだからさぁ、みんな動揺させないでくれるぅ !? 」

 最後に中尾さんはそう言って、枕元のナースコールボタンを押しました。

 病室の天井にはナースステーションとの交信スピーカーが設置されていて、そこから看護師さんの声が返って来ました。

「どうしました?…」

 シレッとした声で中尾さんは応えました。

「中尾で~す ! つい先ほど戻りました~!熱は36度6分で~す !! 」

「分かりました~!中尾さん、お変わり無いですか~?」

「全然お変わり無いで~す !! 」

「では安静にしてお休み下さいね~!」

「は~い!もう寝ま~す !! 」

 …という訳で中尾さんとナースステーションの交信が終わると、みんなはこらえていた笑いをどっと吹き出したのでした。

「ぶははははは~っ !! 」

「ア~ッハッハッハ~ッ !! 」

「ひはははははふっ!…何だよ、その良い子っぷり!ひ~っひっひっ !! 」

 …中尾さんは腹を抱えているみんなにしかし真顔で言いました。

「良い子にならなくてどうするよ!明日もまた出掛けなきゃならないのに !! …」

「なるほど、ひ~っひっひっ !! …その通りだな!」

「全く!…みんなも早く寝なくちゃダメだぜ!入院患者なんだから !! …じゃあ俺はもうオシッコして寝るからな!」

 …そう言い残して中尾さんはトイレに行ったのでした。





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