第9話 中澤さんの刺繍画 ⑦ 残画
…入院病棟の廊下はちょっとしたパニック状態になっていました。
「ア~ッ !! 」
中澤さんは再び奇声を上げ、他の病室の患者さんたちも驚いて廊下に顔を出しました。
「患者さんは病室に戻って下さ~い!」
…駆けつけた看護師さんたちが叫びました。
「…外出から戻って来たら、中澤さんこの状態で…!」
僕たちがそう言うと、
「分かりました!…後は私たちが処置しますから、皆さんも病室に戻って !! 」
看護師さんたちが言いました。
「とにかく、先生呼んで来て!急いでね!…それから車椅子に中澤さんを乗せてナースステーションに!いいわね!」
ナース帽にラインの入った主任看護師さんが他の2人に指示を与えるのを見て、僕たちは部屋に戻りました。
「…………!」
…みんなそれぞれのベッドに帰りましたが、もはや言葉は失なわれ、いったい何故に中澤さんがああなってしまったのか?これからあの人はどうなるのか?という思いが僕の頭をよぎりました。
それから少しして、若い看護師さんが病室にやって来ました。
そして中澤さんのベッドや戸棚から、バッグや箱ティッシュなど、中澤さんの私物を手押しワゴンに載せました。
「…とりあえず中澤さんは処置をした後、個室に移しますから、皆さんは体温を計ってベッドで休んで下さい。間もなく検温の時間ですからね!」
看護師さんはそう言ってワゴンを押して部屋を出て行きました。
…その晩は北風が強く吹き、病室の窓ガラスからびゅうびゅうと寒そうな音が響きました。
僕は布団にくるまりながら、
(やっぱり入院って、イヤだなぁ…)
と呟いていました。
…翌朝、例によって検温のアナウンスで目覚め、その後朝食を食べながら目をやると、やはり中澤さんのベッドや戸棚に物は無く、がらんとした状態のままでした。
しかしさらにそのベッドの上方に目を移すと、壁の張り出した段差の上には例の刺繍画…田園風景の中の小川と水車の描かれた見事な絵が、立て飾ったままになっていました。
…あれから僕たちは何となく、あえて中澤さんのことは口にしませんでしたが、その後午前の点滴の時間になり、看護師さんが部屋にやって来ると、やはり気になってみんなは質問をぶつけました。
「…どうなったの?中澤さん…」
看護師さんはちょっとこめかみをピクリとさせて答えました。
「…昨夜、先生に診てもらって、家族の方に連絡して…結局、今朝退院しましたよ」
僕たちはそれを聞いて驚きました。
「えっ!退院 !? …」
「…当人の希望です」
「…………!」
看護師さんは必要最小限の言葉で話し、僕たちは一瞬頭が真空状態になりました。
「…あの絵は?…看護師さんが欲しいと言ってた刺繍画!…あそこに飾ってある…」
みんなが水車の刺繍画を指さすと、
「あぁ、あれ家族の方も当人も要らないって!…処分していいって言われたの!…私ももう要らないわ…」
と、看護師さんは点滴を射す作業を続けながら言いました。
…部屋から看護師さんが去ると、僕たちは絵を見ながら話しました。
「…物静かに、あんなに素晴らしい刺繍画を作ってたのに…」
「ガラリと変わっちゃったね…」
「少し良くなって外出許可もらったら、何だか別の病人になって帰って来ちゃったな…」
「…何かな…」
「……………」
「俺たちも早く退院しないとな!…」
そしてみんなはそれぞれ微妙な感じに笑いあったのでした…。
中澤さんの刺繍画 完
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