第3話

 ――ミーンミンミンミンン。

 夏だ。

 ――ミーンミンンンンミンミンミン。

 ……夏だ。

 ――ミーンン、ツククホーシ、ジリジリジリリリリ……。

 夏である。


「もう、こんな時間か」


 手元に転がっていたデジタル式の目覚まし時計を見ると、時計の針は丁度十時をした所だった。七時過ぎには朝食も食べ終えていたはずなのだが、どうやら夏紀は三時間も二度寝をしていたらしい。

 両親や祖母は既に仕事へ出かけたらしく、家の中からは人の物音がしない。

 聞こえて来るのは、セミの声や風鈴の音と言った、夏の音だけだった。

 畳の上に寝そべったまま手を伸ばし、隅に片づけられていた小型ラジオのスイッチを入れる。


 ――さて、一回戦の注目のカード。四回表を終えて得点は一対四。一回一点と着実に点を取る展開が続いていますが、はたしてこの回はどうでしょうか。


 相変らず、アナウンサーが高校球児の夏を伝えている。

 そして今日も、夏紀はだらけきった生活を送っていた。


「暇だなぁ……」


 と呟きながら、すっかり定位置となっている居間の片隅からようやく立ち上がる。本でも読もうかと自室へと入るが、授業で使用している参考書や教科書などをのぞけば、どれもすっかり読んでしまった本ばかりだった。


「……まあ、毎日読んでればね」


 とひとりごちて、大人しく部屋を出る。クーラーの無い夏紀の部屋は、昼間に長時間居座るにはあまりにも環境が悪いのだ。

 台所へ行き、冷蔵庫を漁り、麦茶を飲んで――


「……もう一眠りしようかな」

「しようかな、じゃないだろ」


 という声と同時に、頭頂部に軽い衝撃を覚える。振り返る。人の家に勝手に入っ

て来て、こんな事をするのは、


修一しゅういち兄さん」

 近所に住む、母方の従兄弟の修一だった。


「兄さん、じゃないだろ。だらけ過ぎだ」


 はあ――と大げさにため息を付きながら、いつの間にか家の中に居た修一は、広い肩をすくめてみせる。

 プログラマーなどという職業をしている割には(正確にはシステム・エンジニアという仕事らしい)異様に体つきのいい彼は、事あるごとに祖母の住むこの家へと来ていたらしい。――らしいと言うのは、夏紀がこちらへと越して来てから聞いた話だからだったのだが、なるほど、そう言われてみれば昔、遊びに来た時は常に居た記憶があった。

 小さい頃から、よく遊んでもらったな――などと思いを巡らせながら、


「今日は仕事は?」

 彼に椅子を勧めつつ、さっきから疑問に思っていた事を聞いてみる。


「あったら来てないだろ」

 椅子に座り、当然とばかりに答える修一だが、そうでもないことを知っているから、夏紀は聞いているのだが。気にしていても仕方がない事か。


「それで、今日は何?」

「おう。これ貰ったから、おすそ分けにと思ってな」

 と言いながら、夏紀に見えないように、後手うしろでに隠していたものを見せる。


「わ、スイカ」

「お袋が持っていけってな」

 ん、と修一が差し出してきたスイカを受け取ると、程良い重さが手に伝わって来た。


「ありがとうございます。と叔母さんによろしく言っておいて下さい」

「分かった。それじゃ、俺はこの辺で」

 と言って、早くも立ち上がる修一を、夏紀は玄関まで見送る。


「修一兄さんはこれからどうするの?」

「あー、寝不足だから帰って寝る」

 本当なら今頃寝ていたはずなんだがなぁ――と言いながら頭をく修一に、


「……良い生活だね」

 と思わず言ってしまうが。


「お前こそだらだらしてるなら、勉強でもするか友達と遊びにでも行ってきたらどうだ?」

「うっ」


 思わぬ反撃に、言葉に詰まる。確かに、今の夏紀の生活では、人の事を言えた義理ではなかった。

 かといって、この暑い昼から勉強をする気が起きるかと言えばそうでもなく、友達と遊びに行くと行っても――。


「じゃあ、またな」

 夏紀がそんな風に固まっている間に、修一は炎天下の外へと出ていった。


 ――そう言えば、響は今頃どうしてるだろうか?

 修一の口から聞いた『友達』という言葉に、高校へ来てからの一番の友人の事を思い浮かべる。

 大澄響おおすみひびき。入学式の日から最初に友人になった、高校で最も仲の良い生徒。

 生真面目な性格の彼女は、きっとこの暑さにもめげることなく、部活の練習があろうと無かろうと、学校の体育館に通っているに違いない。

 まあ、文句の一つ二つくらいは言っているかもしれないけれど。実際、数日前に電話した時には「とにかく暑い」とあの落ち着いた声で話していたっけ。


 ――夏紀にとっては意外な事だったが、彼女はバスケットボール部に所属している。出会った頃は、何となく陸上競技でもしているのかと思っていたのだが、彼女は今や、夏紀の通う高校のバスケ部のホープとして期待されている存在だった。

 それだけ練習量も多いのだろう。

 ずっと空調の効かない体育館にもっているのだとすれば、その暑さもうかがえるというものだ。そこで、響は今も――。


「あ、そう言えば、借りてた本の期限っていつまでだっけ?」


 響の事を考えていて、ふと、夏休みの暇に任せて読み終えた本の事を思い出す。自分で買ったものや、学校の図書館で借りたものが多かったが、公共の図書館で借りた物も少なくなかったはずだ。

 正確には本を見てみないと分からないが、そろそろ返却しないとまずいだろう。

 ついでに学校へ行って、盆休みに入る前に、他の本を借りてくるのもいいかもしれない。

 学校は、図書館への道の途中にある事だし。

 ――うん。学校へ、行こう。

 そう決心した時。


 ぐうぅぅうぅうううう。


 夏紀の腹部が、盛大な鳴き声を上げた。


「……取りあえず、お昼を食べてからだね」


 ――試合終了。一対四。結局、五回から打線を押さえ続けた――。

 遠く居間でつけっぱなしのラジオが、一つの試合の終了を告げた。

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