第3話 死を恐れるのは生ある者の宿命である

 先程早く往生したいだのと申しましたが、死への恐れが全く無い、という訳では御座いません。私にだって死を恐れる気持ちは御座います。

 然し其れ以上に自分が生きているという事を恥じ、恐ろしく思うのです。私という大罪人が世の中に野放しにされているという事実に恐れ慄くのです。いっそ私を捕まえてくれれば良いのに、とも思います。でも、其れでは足りないのです。私は死んで償っても尚足りない程の罪を背負っているのですから、今後一切私が陽の目を見ることなど許されないでしょう。この白い籠に囚われて、只死を迎えるのを待つのみですから。

 死を恐れることは生あるものの宿命です。他のものは大抵理不尽なものですが、『死』と『死への恐れ』だけは、生あるものに平等なのです。私も何の間違いか未だ生きているのですから、死は恐れます。往生したいけれども、死というものに対する漠然とした不安が無いと言ったら嘘なのだと思います。

 此れを読んでくださる物好きが居たのならば、仮に『貴方』と称しましょう。もし貴方が生あるものであるのならば、死への恐れを恥じてはなりません。其れは生ある私共の宿命なのです。

 死とは己の醜い部分と向き合うことでもありましょう。自分から死を求めれば、己の醜く穢れた部分が噴き出してゆきます。其れは血と成り肉と成り、己の心と身体を蝕むのです。死ぬ時は非常に醜いです。死んだ後の姿は綺麗だと言いますが、其れは死化粧のお陰でしょうに。化粧で誤魔化さなければ、骸は只の土気色なのです。土葬の名残でしょうか、それとも身体も土に還るからでしょうか、身体の色は土と同化するのです。

 人間とは常に醜いものであります。互いに足を引っ張り合い、私腹を肥やす為に他を欺くのです。そうしてまでも愛を手に入れたいのです。権力や金などというものは、愛を手に入れる為の、謂わば道具でしかありません。矢張り其れだけ人間という生き物は、生に縋り付いているのでしょう。死ぬのは怖いのです。生きたいのです。愛が欲しいのです。

 人間という生き物は甚だしく解しがたいもので、愛への枯渇を糧に生きている筈の生き物のひとつではあるのですが、何故か愛の枯渇が行き過ぎてしまう時があるのです。そうして枯れ果てた泉は戻るという事を知りません。一旦そうなってしまうともう戻れず、人間として生きていくことを諦めてしまうのです。可笑しなものですね。足りない足りないと喚くだけでは飽き足らず、無くなってしまうと死んでしまう。貪欲な生き物です。

 私は人間という生き物がこの世で一番嫌いです。人間は自分の欲、そう詰まりは愛を求めるが故にすぐ裏切ります。私は他人というものが信用なりません。然しながら自分を信用出来るかと言われましても其れは不可能であります。私も人間の端くれであるからです。私も私自身を裏切るのです。

 だから人間は必要以上に死を恐れます。自分の醜さを無意識に自覚しているからでありましょう。醜さと向き合うことは必然、恐れても最期には向き合わねばならぬのですから。

 だから私は今、砂時計の音とともに、私自身の醜さを見つめ向き合っているのです。死というものは本当に怖いのですね。私はこの往生際にして初めて知ったのです。

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