第3話

 夢は時に

 己が現れぬ

 こともある





「俺はお前が職務怠慢なんだと思うけどな」


 剣呑な眼差しで麻野を見据えながら、瀬名はそう言った。


「たっちゃん、麻野のせいじゃないよ?」


 綺羅が助け舟を出す。

 麻野はそっぽを向いている。





 白い空間。

 彼らの他には、何もなく。

 ただ、白い床と白い壁と白い天井だけが彼らを包む。





「綺羅」


 低い声音が彼を呼んだので、綺羅は振り返る。


「なに?」


「無理しなくていい。確かに、俺は何もしてないしね」


 麻野は綺羅だけを見てそう言った。

 泣きそうに顔を歪めて、綺羅は首を横に振る。


「麻野のせいだけじゃない。あたしが、もっとしっかり『案内』出来たらいいの」


「ま、俺は俺の仕事がとっとと出来れば問題ねぇんだけどな」


 ふい、と瀬名は二人に背を向けた。


「あいつを救いたいだけなんだから」


「そ、れはっ、あたしたちだって、そう思ってるよ! でも、たっちゃんだって知ってるでしょ? ■■出来なかったら意味がないんだよ」


「■■■だけだったら、俺も楽なんですけどね」


「まぁな」


 やれやれ、と肩を竦め、瀬名は歩き出す。

 白に、彼の輪郭も溶けていく。


「はやくしなけりゃ、どっちもやべぇんだ」


「彼も、あの人も、俺たちもね」


「分かってますよ、瀬名さん」


 やがて同じように、綺羅と麻野の輪郭もぼやけ始めた。

 その衣服の白が、周囲の白と同化する。


「はやく、思い出して」


 囁きは小さく。

 さらさらと、溶けて、消えた。




 夢のかけら

 きらきらと

 欠けて

 落ちゆく





 黒くうねる。

 触手のような、それ。


「き、ら?!」


 囚われているのは、金の髪の少女。

 その後ろ、金の鳥かごの中の黒髪の少女はただ、朗々と歌っている。


「洋二」


 かすれた声。

 けれどそれは助けを求めるものではなく、どちらかといえば、驚きの声。


「ど、な、なんでっ」


 彼の声にまばたきをひとつして、綺羅は囁く。


「あたしは、平気」


 どす黒い。

 うねうねとした動きをするそれに、四肢を搦め取られて。

 目を細めるようにして、口角だけ上げて、微笑む。

 彼を掴み、離さぬそれは、まるで、『欲望』の象徴。

 目の前が、暗くなる。

 彼女を助けたくて、手を伸ばす。

 けれどそれは、届かぬまま。





 洋二の姿が目の前から掻き消えたのを確認して、触手に囚われ宙に浮いたままの姿で綺羅は息を吐き出した。


「何、遊んでるんだ?」


 言われて、下を見る。


「麻野さん」


「降りてこい」


「だめ」


 首を振り、自分の状況を省みて笑う。


「そいえばアニメAVに触手物ってジャンルがあってさぁ。見過ぎなんじゃないのかな?」


「綺羅」


「危害を加えることは許さない。これも、■■の一部だから」


「けどな。ずっとそうしてる訳にもいかないだろう?」


「それはそうだけど」


 困ったように笑う綺羅に、半ば呆れたような顔をして麻野は息を吐き出す。

 そして、口を開けた。


「な、ちょ、まっ、麻野っ!」


 綺羅の咎めるような声も、聞き入れなかった。

 ふ、と黒くうねる触手が姿を消す。


「げっ」


 そのまま、綺羅の身体は自由落下の法則に従って落ちた。

 したたかに背中を打ちつけ、あたたた、と言いながら起き上がる。


「まぁまぁだな」


 軽く自らの唇を湿らせるように、舌でなぞる。


「麻野さん?」


 睨みつけるような綺羅の視線に麻野は笑う。


「■■だよ。本当の意味で■■てはいないさ」


「ったり前。まだ■■じゃないんだから」


 ほんっとにもう、とぶつぶつ文句を言いながら、綺羅は背を振り返る。

 いまだ、黒髪の彼女は歌い続けるだけだ。

 まるで目の前の出来事など無関心のまま。

 金細工の籠の中で。


「はやく」


 もう気配すらない、男に綺羅は呼びかける。


「はやく、思い出して」


 囁きはかすれるように小さい。

 麻野は、まるで祈るように、目を伏せた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る