✅すてきな昼休み④
西村はサンドイッチが大好きだ。
新鮮な野菜とチーズソース、パストラミたっぷりのバゲットサンドをかじりながら、忍たちへ楽譜集を手渡してきた。ここに載っている楽曲を適当にリクエストすると、かれがその日選んできた楽器をもって演奏してくれる。
放送部のリクエスト・アワーが終了すると同時に、あてつけのように始まる、西村による、西村のお友達のためのリクエスト・アワー。かがり高校では、昼休みになると校舎の至る場所の窓を開け放ち、皆がこれを心待ちにしている。
「ねぇ篠塚さん、見てください。音楽準備室でまた発見したのです!」
忍の座るところを特等席にして、西村はアンティークの角型ケースを開いてみせた。
ずっしりとした木材製の箱で、美しく光沢のある薄茶色の布を一枚めくった底には、四本弦の張られた楽器の本体が。垂直に開いた蓋側には、楽器よりも少し長いスティック状の弓が収納されている。
「これって、……バイオリン?」
「正解」
弦楽器にはいろいろと種類があるはず。
自信なげに忍がたずねると、西村は微笑んで答えてくれる。
「わーい! はじめてみたー」
藤田も興味津々だ。
「ぺたぺた触るなッ!」
吠える西村。
五十嵐からは素朴な疑問が飛ぶ。
「つか西村よ、バイオリンって普通、学校にあるもんなのか」
「いや? 珍しいし、吹奏楽ではまず使わない……」
「古そう……、凄く」
「はい~篠塚さん♡ しかしこれ、出所不明なのです。長年しまい込まれていて、手入れもされずにいましたが、本来は学校備品になるものではありません。歴史ある我が校ゆえに、きっと過去にどなたかが寄贈したのだろうと、おもうので―― おい貴様ら、篠塚さんから離れろ」
気づけば忍は、バイオリン見たさに寄ってきた五十嵐と藤田の間にすっぽりと挟まっていた。というよりも押し退けられつつある。
「古いのに綺麗だねー」
「当たり前だ! このおれが磨き、調弦し、蘇らせたのだからッ」
「それで、音でんのか?」
「五十嵐貴様、今のおれの話を聞いていたはずだッ」
「なにか弾いて……西村」
「あ、は~い篠塚さん♡」
西村はその長い手指を丁寧に拭うと、愛おしげにバイオリンを取りあげた。
と同時に、かれの胸元でト音記号のついたタイバーがさりげなく輝く。――お洒落な西村はネクタイの絞め方もうまいし、皆とおなじようにブレザー制服を着ていてもずいぶんとあか抜けて見える。やはり洗礼された【都心男子】と、忍はおもった。
ところで、かがり高校の七不思議のひとつに、音楽準備室の謎の楽器、というものがある。
長い歴史を持つ学校だけに、ここの音楽準備室には様々な楽器が置かれている。備品楽器の定番のみならず、どこからか寄贈された珍しい楽器までもが、主もなく、ただ静かに眠っているという。これらは手入れもなにもされていないが、扱える生徒さえいれば、気軽に触れてもよいとされてきた。
現在、その全ての楽器の管理をするのが、西村だ。西村は暇さえあれば準備室へこもって、楽器たちに触れている。早い時期に吹奏楽部の部長へとのぼり詰めたのも、この権利を堂々手に入れるためとおもえば納得がいく。――かれのような生徒がごく普通のかがり高校を選んだことについてもだ。目的があって燃えている子が、今、忍は羨ましい。
「西村くん、かがり町音頭にしようよー」
「嫌だッ!」
「んじゃあ、さっきのHOSHI-HIKARUのナントカって曲は」
「ポップス! 絶対に嫌だッ」
弁当をもぐもぐしながら、五十嵐と藤田がおもいつきで曲名をあげていく――全て却下だが。その間、真面目にぱらぱらと楽譜集をめくっていた忍は、気になる一曲を引き当ててしまう。
「えっと……これは?」
「はい~なんでも♡ 篠塚さんのよいもの、すなわち西村のよきものなのです」
「夢。ドビュッシーの……夢」
譜面におとしていた視線をあげると、西村が忍を見ていた。
「いいかな」
「勿論。篠塚さん」
ドビュッシーの楽曲には、音楽室での秘密がある。
「嬉しいな。……それに比べてボケナスども、ド底辺センスッ」
「しょっく!」
「昼休みも、篠塚贔屓が凄まじぃな、西村よ」
「そうだが、なにか問題か」
西村がふんぞり返って、ふんと鼻を鳴らした。
「……え、(ひいき?)」
そんな要素があったのか。忍は、はてなと首を傾げた。
「西村くん、報われないねー」
「尽くされ過ぎて、篠塚って感覚麻痺ってんな」
五十嵐と藤田が、によによ笑いながら忍へ凭れかかってくる。
藤田はお日様の香りがして、五十嵐はちょっと汗臭い。
「おい、ナスッ」
西村は毅然と立ちあがった。
「しーん。僕、ボケ担です」
「えーと……ん? ナス担当は俺か」
「そう五十嵐貴様だッ! おれのため、そのスコアを掲げろッ」
「いや、俺まだ弁当食ってる最中なんだが」
基本西村に狙い撃ちされるのは、五十嵐だ。
「空気を読みたまえ、ナスッ」
「お前が空気とか言うな」
五十嵐は、お手製の肉丼弁当を(藤田から離して)置くと、西村のお望み通りに楽譜を向けてやった。
「いいぞッ」
「あいよ!」
西村は譜面を少し眺めて、それからバイオリンを構えた。
すっと、あまりにも自然に、かれは演奏を始めた。
♪ 『夢 ~Rêverie~』 (奏・西村)
ゆったりとした夢想の調べに、西村の感情が宿る。
バイオリンって、こんな音だったんだ……。
西村の奏でる音、心打たれるのは忍だけでない。
五十嵐も藤田もぽかんとして聴き入っている。
澄んだ音色がさざ波のように、
意思は強くて、でも繊細に、
ささやく言葉のように、
優しい――
これって、かれの本音なのだとおもう。
激情家におもわれがちな西村の、深層が、かれの心が語らいでくる。
ひとたび演奏に入ると、西村は凄まじい集中力を発揮する。
その音は、忍たちの身体の隅々まで響き渡り、それさえも楽器として共鳴させているように感じる。
「泣きそう」
「篠塚俺も」
忍がじんわり言うと、五十嵐も隣で小さく唸った。
バイオリンに添う西村の顔は涼しげで、ゆるやかに微笑んでいる。美しい立ち姿勢を保ったまま、なんてことなく弾いているよう見えるが、忍たちはもう圧倒されて動けない。
――そういえばかれの噂だ。
一年次に吹奏楽部の入部をかけて、全ての楽器を使い演奏対決したのち、女子部員たちを容赦なく泣かせたという【音楽室の悪魔】の真相は、こういうことだったんじゃないかと忍はおもう。
「アンコール……、西村」
「俺も、もう一度聴きたい」
「構わんよ」
この素晴らしい演奏空間で、藤田は眠ってしまったようだ。
さすがの西村も苦笑して、五十嵐は盛大に噴いた。
「うまいー……」
まったく、夢の中でも食いしん坊か。
すやすや眠る藤田を見て、忍はふとおもい出す。
昼休みの放送部のリクエスト・アワーが終わってしばらく経つ。西村に「夢」とリクエストしたとき、なぜ気づかなかったのだろう。
かがり高校から遠く離れた篠塚家では、そろそろ鷹史が目覚める頃だ。
おじさん、起きられたかな――忍は昼休みに必ずコールする。だが手元には今、スマートフォンがない。教室へ置き忘れてしまった。
「ごめん、ちょっと忘れ物……すぐ戻るから」
忍が申し訳なく言うと、西村はにこりと微笑んだ。
「いいよ、取りに行ってよ篠塚さん。おれの演奏はどこへでも届くから」
それだけ言って西村は、二度目の「夢」を奏で始めた。
かれの演奏の邪魔をしないように、忍は静かに立ちあがる。その際、五十嵐がちらりと忍を見た気がする。藤田は居眠り中だし、宿敵西村と同じ空間に取り残されることへの、不安だろうか。忍はすぐ戻るつもりで、気には留めなかったが。
それから、塔屋の屋根の上で郷くんがひょこっと顔を出している。ひとに興味を示さない郷くんも、西村の演奏だけは特別のようだ。
その下を通り抜けていく忍には、目もくれないのに――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。