かがり高校の日常⑭ 晩夏の歌(上)


暖かな日差し、心地のよい風。

ぼんやりと窓の外を眺めている。

誰もいない校庭、流れるすじ雲の影、揺れる木々。


(秋か……)


毎日少しずつ、まわりが変化していく。

爽やかな季節から、重たい季節へと。

忍はなにもしていないのに、だんだんと変化していく。


(なんにも、取り柄がないな……)


最近、ぽっかりと心に、穴があいている。

篠塚の家を出て、学校へ来るたびに、そうおもう。


忍の心の中には、鷹史がひとりともしびとしているだけで、あとは空洞。


鷹史っていうのは、大人の男だ。

自分の店をやって、それでいて忍をひとりで育てている。

住むところに、あたたかいご飯。こうして学校へも通わせてくれている。

篠塚家は決して裕福ではないけれども、なに不自由なく忍は暮らしていけている。


どうしてそんなに頑張れるんだろう、鷹史。

忍は鷹史の期待に応えたくて、鷹史の好きなものをずっと頑張ってきた。

亡き父とおなじかがり高校へ入ったし、亡き父とおなじバスケットボールだけをやってきた。

おなじかがり高校の制服を着て、おなじ2年A組の教室から、静かな校庭を眺めている。


今はただ、それが虚しい。

どんなに鷹史の好きなものに寄せようとも、意味があるのかわからなくなった。


『――え。バスケ部、辞めた? お疲れ』


あのおじさん、これだけだった。



今、忍が通うかがり高校の、校庭さきの門前には、誰もいない。古いアルバムへ映えた時代のように、そこへ美しい少年が立っていて、自分を待っていることなんてないのだから。

高二となった忍はもう理解している。鷹史が大切に保管していた古いアルバム――あれは、忍の亡き父のものだったのだと。そう。忍が生まれるずっと前、ふたりは既に、両想いだったのだ。


(自分が無いな……)


(まったく、自分が無い……)


こんなふうに父親を想うのは、おかしいだろうか。


まわりは変化していくのに自分しのぶだけだ、自分じぶんというものを知らず、作らずにきてしまった。

正直、年々顔は似てきている。生き写し、と言われたこともある。

でもいくら亡き父の真似をしようとも、自分では駄目なのだ。

だんだんと鷹史をふり向かせるために、自分はなにをしたらいいのだろう。

好きだという気持ちだけは大きいのに、漠然としてわからない。

忍は切なく溜息をもらした。



――塚、


――篠塚、


――しのちゃん!



「……え?」


2年A組の教室に、どっと笑いがおきた。


気づくと前の席の藤田が、早弁の【たまごごはん】をかっ込みながらもふり返って、しんけんに忍を見つめていた。


「えーと、……え?」


忍を見ているのは藤田だけではない。離れた席の五十嵐も見ているし、涼しい顔で西村も見ている。廊下側の席からはマンガ委員長も。2年A組の皆が、忍を見ている。

そして教壇の厳蔵先生からは呆れ顔を向けられている。


「青春してるなぁ、……篠塚」


そう現代文の授業の最中だった(教科担任、山形厳蔵)。


ぼんやりと窓の外を眺める忍を、あえて先生が指したのだ。忍はすぐに手元の教科書へと視線をおとすが、開いていたはずのページは、いつの間にやら風に吹かれて捲れてしまっている。


「すみません」


駄目だ――と、おもったそこへ、友人からの助け舟が。

西村がビシッと挙手したのだ。


「先生! 藤田が、今日も弁当食ってます」

「もげ!」


突然のことに慌てた藤田が起立した――その瞬間、机に立てた上下逆さの教科書がバタリと倒れて、隠されし藤田の弁当箱とその周辺が、なんとも奇妙に露見した。


「あわわ。先生ごめんなさい、おなかが空きました!」


藤田の机の上には、割れた卵の殻が、どっさりと散らばっていたのだ。


「フフ。藤田の机の上、ひよこでも生まれたの?」

「おおい西村! 篠塚のために、藤田を売るなよ」


したり顔で言う西村を、五十嵐が野次った。


厳蔵先生は、深く……長い……溜息を、ついた。


「知っている。先生も既に百万回、心の中で藤田を廊下へ立たせている」


「僕どうしても、おなかが空いちゃうんです……くすん」

「授業中に卵の殻なんて割るんじゃないよ、メシに何個ぶっかけてんだ」


「はい、ななこです!」


「――奇天烈藤田ッ」

「――おおい西村!」


「完全アウトだぞー、藤田」

「ごめんなさい、廊下へいきますか!」


「駄目に決まってんだろー、藤田」

「へ、ナンデ?」


「ナンデ!? 想像つくだろ。どうせ廊下で残りの弁当食って、そのまま居眠りこくつもりだろ」

「はいっ!」


「潔しっ! もういい藤田は着席なさい。ほら篠塚も、ぼうっとしてないで、早く読むんだよ」


前の席の藤田と入れ替わるようにして、忍は立ちあがる。


「は、はい。……えっと?」

「まず、教科書を開いて。200ページ、『晩夏の歌 三』から」



よりにもよって、忍がこの詩を読むことになるとは。



「はい。晩夏ばんかの歌――


 “おもう,かの夏.陽炎かげろう ゆらぐ,うつ しの砂と分かれては,わずらすべ泡沫うたかた となり,やがて沈んで幕瞑る.見えし 彼方あなた は,晩夏の日.”」



晩夏の歌。たぶん、死ぬ――に、憧れたそのうただ。

かがり町出身の詩人のもので、有名だ。

篠塚家にもこの作者の詩集があるので知っている。

鷹史が好きらしく、室の書棚に全巻揃っている。


本当に鷹史のものかは、わからないけれども――


 

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