✅かがり高校の日常⑮ 晩夏の歌(下)


西村は焦がれるように見つめていた。

詩を読む、忍のその姿を――


「はぁ、偲ぶ恋歌を篠塚さんの肉声で……聴くという、この背徳感」


「うっせぇーな、西村」

横に近い席の五十嵐が、たまらず小声で呟いた。


「なぜ? うっとりするの、おれの自由じゃありませんか」

「うっと……!? 西村が言うと背筋、凍るぜ」

「貴様は情緒のない奴だ、五十嵐よ」

「じょう? ちょ……?」

「いっそ、おれと席の交換をしてくれないか」

「い、いきなりなんだよ」

「邪魔だからさ」

「ああ⁉」


「ごらんよ、この奇跡の教室を。日差しは輝きそそがれている。けなげな秋風はその気を惹こうとかれの黒髪を揺すらす。おれはずっと眺めていたい、窓辺に映える篠塚さんの、その美しさを、さ……」


「うわ始まった。俺らのついていけねぇ、西村の謎世界」

「そうして、そこに見切れる貴様だ五十嵐ッ、背景の一部が。弁えろ、そこの大岩」

「日本語喋れよ」

「日本語だが?」

「あぁ! 西村まじめんどくせぇ、廊下出とけよ!」

「それは貴様だッ、五十嵐――」

 

「はいはい、五十嵐と西村。バケツに水汲んで仲よく廊下、立ってろー」


厳蔵先生が絶妙のタイミングで、ふたりを廊下送りに処した。

だんだんと白熱していくかれらの口論に、ゆるやかにキレていたのだ先生は。


「うああ、まじかー!」

「貴様の所為だぞ、五十嵐!」

「あ?」


「おまえら、廊下でもダベったら……厳蔵先生のウルトラ拳骨だからな」


「スマセンした!」

「五十嵐がすみませんッ」

「ああ?」


ふたりは席を立つと、そそくさと教室の隅へと移動していった。

忍は、というと一連のことを全て見て聞いていたから困惑していた。自分の読み方か、それか、読んだぶぶんが変だったのかもしれない。


「なんかごめん。なんか役者不足だったね……ひ、悲恋のうたでしょ」


「ぶらぼー しのちゃん。よかったよ」

藤田がふり返ってきて、にっこりと笑った。


が、忍は絆されない。


「藤田は弁当を食ってただけだろ……本当に聞いてたの?」

「あ りとる」

「藤田……」


ガシャガシャガシャン――!

教室の後ろの方にある掃除用具入れから、大きな音がした。


「遊んでんじゃねーぞ、廊下組!」

すぐさま、厳蔵先生の注意が飛ぶ。


「――うおっと、悪ぃ西村。バケツが降ってきやがった」

「ガサツガラシが。貴様のせいで篠塚さんの詩の余韻にすら浸れんわッ」

「そんな言い方すんな、謝っただろ!」

「さっさとおれの上から退けッ」

「お前の足が絡んで邪魔なんだ、抜けねぇ!」

「それは貴様の足だろうが……ッ」


「うん、ゴホン」

厳蔵先生の咳払いだ。


「行こうぜ、廊下!」

「す、すぐ行こうッ」


廊下組を見送って、授業再開。



厳蔵先生の声に、熱が宿る。


「いつかの夏、心中したが、死にきれず、この世に残ったひとりの詩」


先生は黒板へ、詩の全容と解釈を綴る。


「悲しい晩夏の歌。一番は、恋人との夏の出会いをふり返り。二番は、心中できず、ひとり助かったのちのこと。最後、篠塚の読んだ三番の詩は、幾年経っても、取り残されている。ずっと死にたいって憧れに囚われながらも、生きた心――」


そこで、先生の言葉が途切れた。


「目を閉じれば、水底で死に分かれた、若い恋人の姿が、いつまで経っても、焼きついている……」


先生の声は低くて、綺麗に透き通っているとおもう。

忍が恥ずかしそうにして読むものよりも、もっと、ずっと叙情的に響くのだから。

しんとする教室を見渡して先生は、やがて静かにこう言った。



「毎年教材として扱うけれども、先生はこの詩が大嫌いだ。これ、大昔のさ……先生が学生の頃から現在まで、しぶとく教科書に残ってやがるんだ。魔性のうただ。生きていれば、生き続ければ、必ず生き甲斐はあるものさ。だからこの時代にそれが許されるのは、文学の中だけだと、先生は考えるよ」



さっき忍の読んだこの詩は、正面から否定されてしまった。確かに、多感な忍たちの世代には、この内容は危ういのかもしれない。実際に読んでみて、嫌な詩だなと忍もおもっていた。そうおもって、顔をあげたちょうどそのさき――視線が絡んだ。厳蔵先生が忍を見つめていたのだ。物言いたげな眼差しで、どこか寂しげだった。


「?」

ほんの一瞬のことだったけれども。



「よし、まだ時間が余るな。漢字テストだ。……そこ、死んだフリするなー藤田」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る