かがり高校の日常⑧ 宇宙人の壁
本校舎の二階、職員室。
生徒は入室前に、壁掛けの古めかしい姿見鏡できちんと身だしなみを整える、という決まりがある。
薄暗い廊下の光る鏡面へ映し出された忍の顔は、いつも通りに見えるけれども本当は少し曇っている。朝からこんなんじゃ駄目だ――と頬をはたいて、気を引き締めておく。これから会うひとに、心の中の弱っているぶぶんを見抜かれたくはないからだ。
それにしても、部活をやっていた頃に比べてだいぶ髪が伸びた。だからか、最近は鏡を覗くたび知らない少年がそこに居て、物言いたげな目でじっと忍を見つめてくる。忍はそれを、自分の現状の姿とはおもいたくない。かといって、鏡の中に自分の理想が見えたことは一度もないし、理想だって漠然としていて、わからない(元々鏡は嫌いだし)。
「……さてと」
こんこん、とノックをしてから、木製の引き戸へと手をかける――と同時にガララ。忍が力を込めるまでもなく、内側の方から勝手に戸が開かれた。
「わ!」
「ワ!」
そこから現れたのはなんと、あの
「うわ、びっくりした……マンガ委員長か」
「シノヅカクン!」
今朝忍が藤田とともに目撃した、かれだ。
電柱の陰に隠れてまでやり過ごしたというのに、また遭遇してしまうとは。
「シノヅカクン?」
「えっと、おはよ」
「シノヅカクン!」
「あ……あの……」
マンガ委員長は、出入り口のところに立ち塞がったまま、動いてくれない。職員室へと入りたい忍だが、通せんぼをされている状態だ。
「急ぐから、ごめん」
ちょっと失礼かもだが、忍は身を屈めてマンガ委員長の横を通り抜けようとした。するとおなじ方向へ、かれの身体もすいっと移動してきた。
「え、ごめんっ!」
「シノヅカクン!」
危ない、ぶつかるところだった。
忍は軽くぺこりとしてから、今度はかれの反対側を通り抜けようとした――が、再びおなじ方向へと移動されてしまう。「えぇ……」と小首を傾げつつも忍は、そのまた反対側の隙間を狙う。今度こそは突破をしたいが、まただ。また一緒に移動してしまう。
困った。とここで一息つくとおもわせての、フェイント! も駄目だ。この宇宙人の壁、ひとの動きにぴたりとついてくる。バスケで鍛えたはずの忍のフェイントは、運動部でもなんでもないひょろいマンガ委員長に完全に見切られてしまった。
「えっと、(……どうしよう)」
動きと同様に、マンガ委員長の表情は読めない。
瓶底をおもわせる分厚い眼鏡の張りつく顔面は、つるんとしていて血の気がなく、磁器人形のようだ。眼鏡を含めて顔のつくりが左右対称。きゅっと整いすぎているから、ちょっと怖い。
きっちりと七三に分けた艶やかな黒髪、身長に対して小さめの顔。支える首も細長く、肩幅はなだらかだが少しあって、それが逆にかれの繊細さを際立たせている。
制服の上からでもわかってしまうほど、すらりとした長い手足は、まったく筋張っておらず、もちろん丸みもない。スマートというよりも骨格からか細く華奢なのだ。外見だけなら中性的――否、両性的なモデル――忍はぴんと閃いた、マネキンだ。
マンガ委員長とは「かがり町に住んでいる」という以外の詳細が不明。しかしそれも怪しく、未確認。なぜならコミュニケーションがとれない宇宙人だから。
言葉は通じず、動きもカクカク。漫画の中から抜け出てきたようなキャラクターという由来で、誰が呼んだか、マンガ委員長だった……と、おもう?
視覚から得る情報が多すぎで、忍はこんがらがってきた。
でも、たぶんかれ、とんでもなく美男子だ。さすがは花の2年A組、眼鏡を含めて伊達じゃない。というか眼鏡、邪魔だ――!
「マンガ委員長……ちょっと、ごめん」
このままご対面していても、埒があかない。
忍は意を決して両手を伸ばすと、マンガ委員長の腕の左右をぐっと掴んだ。
「シノヅカクン!」
そのまま忍は一、二歩と後ずさりをして、マンガ委員長の身体を自分の方へと引き寄せる(かれはおとなしく、抵抗しない……)。そして職員室の出入り口から少し離れたところで、そっと解放してあげた(宇宙人誘導作業・完)。
でも、やはりすぐに動こうとしたマンガ委員長に対して「まて!」と、忍はぴしゃりと言ってしまった。
「あ、ごめん委員長……
おもわず出てしまったツナ言葉に、忍はしぜんと微笑んだ。
すると、マンガ委員長が雷に打たれたかのように仰け反ったのだ。確かに忍がひと前で笑うのは珍しい。かれが全身を使って驚きを表現してくれているうちに、忍は急いで職員室へと駆け込んだ。
「ご、厳蔵先生に用があるんだ……、じゃあね」
さすがにこれ以上は付き合いきれない。追ってきたマンガ委員長の顔先で、勢いよく戸を閉めてやった。それでもかれ、めげずに向こう側で
一方、その頃。
2年A組の教室を目指して階段をのぼり始めた、五十嵐と藤田は。
「しのちゃん大丈夫かなー」
「突然どうした、藤田?」
藤田のぽわんとした呟きを――それが校舎の天井をつき抜けて、かがり町のお空のどこかへぷかぷかと飛んでいってしまう前に――五十嵐がキャッチした。
「なんとなく、しのちゃん心配」
「なんだ、藤田。
「虫の知らせかなー(やさいの、かん)」
「なるほど……ん? なるほどなのか?」
――ぐぅ。
「はぁ(やさいの、かんづめ食べたい)」
「んんん? 篠塚が心配で、どうして腹の虫が鳴るんだ?」
五十嵐と藤田だけ、というのは珍しい組み合わせだ。
すれ違いざまに気づいた生徒たちが、興味を持ってふり返ってくる。ふたりとも校内では超がつくほどの有名人だし、背丈があって見栄えもする。存在からきらきらと輝いていて目立つのだ。
それと普段は、ふたりの間にすっぽりと挟まっている人物がいる――篠塚忍だ。かれらの突拍子もない会話の通訳者であり、友人関係を円滑にしているのだが、今朝はその姿が見えない。
またなにかあったのだろうか、と。
ひそひそ声が耳につく。
藤田は気に留めないようだが、五十嵐の方がさりげなく唇の端を噛んだ気がする。いい加減にしろよ、と不快感をあらわにしたのだ。五十嵐は陰湿なやつを好かない。浮かれていた生徒たちは、はっとして押し黙った。
「篠塚って、どうしてなんも言い返さねぇのかな」
五十嵐が、小さくぼやいた。
「ほえ。しのちゃん?」
ぼやいた相手が藤田というのは幸いだ、すぐに忘れてくれるはず。
「ひとのこと、あれこれ詮索するのはよくねぇよ。けど篠塚本人が黙ってるから、言いたい放題されてるって節はあるんだぜ」
「ねぇ――篠塚さんが、どうしたって」
少し鼻にかかったような艶のある声が、ふたりのもとに降ってきた。会話に割り込まれたことになる五十嵐と藤田は、ただただぽかんと声の主を見あげてしまった。
階段のさきに立っているのは2年A組のクラスメイト、西村。音楽室のベランダからラッパで校歌をしかけてきた犯人である。
「やあ、諸君! ごきげんようッ」
「西村くん、ごきげんよおー」
「うお西村か、ごきげん……」
「
「とつぜんの向い風」
「最後まで言わせろよ、ったく朝から西村めんどくせぇ!」
「そうだ西村くん、連絡先おしえてー」
「 嫌 だ ッ 」
「そくとうだー」
「まあ、そうなるよな」
「五十嵐くんも連絡先おしえてねー」
「え゛……おおう、いつかな!」
「やったぞー」
「聞け! 藤田に五十嵐、このボケナスどもッ!
おれのぉ、篠塚さんは、どこさぁぁぁあああああああああああ――ッツ!」
この瞬間。
凄まじぃ肺活量を持つ西村少年が、爆発した。
てろる、てろる、だ。
周囲の生徒は皆、気絶した――。
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