第13話「FlyOver!」

 試合が全て終わり、コートを形作っていたテープが全て剥されて朝の状態に戻った体育館のフロア。まだ最終試合の熱気が収まっていない中で、閉会式が滞りなく行われている。各校が男女二列に並び、更に前には元気達入賞者が男女、一年二年と横並びで立っている。

 元気達の地域のバドミントン協会の副会長が順位がついた選手の名前を呼んで一人ひとりに賞状とメダルを渡していった。


「賞状。学年別大会二年女子ダブルス、優勝。浅葉中、寺坂・菊池ペア」

「はい!」


 二人が同時に返事をし、一歩前に出る。副会長が手渡す賞状とメダルを二人が受け取ってまた一歩下がる。

 そこで、元気の耳には嗚咽が聞こえてきた。横並びで立っている元気には顔を見ようとしたが、止めておく。

 涙を流す気持ちは十二分に理解できたからだ。


(ようやく、勝てたんだもんな。良かったな、寺坂)


 一年前の同じ学年別大会では一位となった寺坂達は、次代を担うダブルスとして注目されることになった。だが二年に進級してから、今日、この時まではずっと二位に甘んじてきた。相手はそれこそ、大会で倒したダブルスだ。まるで大会の時の負けは偶然の産物だったとでも言わんばかりに、その後は勝てる光明がないままに負け続けた。今日までの日々の中でいくつもの挫折を味わい、悩んでいたことを元気は知っている。詳しいことはまだ聞いていないが、相当な激戦だったということだった。その結果としての優勝ならば、感極まっても仕方がない。心の中で素直におめでとうと言った。

 女子の一年と二年の表彰が終わり、次は男子の番。

 一年男子シングルスは遊佐が一位だった。

 女子一年シングルスの一位である朝比奈と共に、来年以降の中心になっていくだろうと予感させる試合だったようだ。

 そして遂に二年の、ダブルスの表彰に移る。元気は自然と体が強張った。

 

「二年男子ダブルス、優勝。翠山中、大場・利ペア」

『はい!』


 さわやかな笑顔で答えると、二人は胸を張って前に出る。

 拍手をしながら二人の背中を見て、元気は今までのような鬱々とした気持ちがないことに気づいた。


(負けたのになんでだろう)


 ファイナルゲームで一進一退の攻防を繰り広げた二組の試合は、最後に大場のスマッシュを元気がコート外に弾いて終わった。二ゲーム目以上に苛烈な攻めを見せる大場達を何とかしのいでいた元気と田野だったが、二時間を越えるという今までに経験したことのない試合に、遂に力尽きた。

 審判が試合の終わりを告げる言葉の後、その場に座り込んだ四人へと拍手のシャワーが降り注いだ。その音の洪水の中で、元気は今までにない満足感を得ていた。

 その感覚があったからこそ、負けた結果に対してなにも悔いはないと思えるのだろう。


「二年男子ダブルス、準優勝。浅葉中、竹内・田野ペア」


 大場達の次に呼ばれて歩きだす。準優勝という言葉と賞状。そして銀メダル。一通り受け取って後ろに下がろうとしたところで、元気は反転して並んでいる選手達を見た。田野が訝しげに元気を見て、声をかける。


「竹内?」


 背を向けられた大会役員達も、振り向かれた選手達も、元気の行動に少し呆気に取られる。


(俺達はまだ足りなかった。まだまだ、銀メダル止まり)


 元気は息を吸い込み、賞状を両手で持って高く掲げると大きな声で叫んだ。


「準優勝したぞぉおお!」


 突然のことに誰もが動きを止めた。空気の流れさえも止まっているように静まり返る。

 始めに動いたのは寺坂だった。音が高く鳴るように工夫して拍手をする。それに引きずられるように菊池が。更に女子達が。最後に男子と、拍手がさざ波のように広がっていった。元気は満足げに笑って賞状を降ろす。ちょうどそこで大場と目線が合い、元気は挑戦状を叩きつけた。


「今度は勝つぞ」


 元気に応える大場の顔にも満面の笑みが浮かべていた。


「今度も勝つぞ」


 お互いに叩きつけるように右手で握手を交わす。その後でまた笑顔に戻る。試合が始まる前にあった苦手意識など元気の中にはもうなかった。あるのは、ただ全力で戦って、戦い終えたという気持ちだけ。利も田野もしょうがないなという顔でパートナーを見ていたことに互いに気づき、肩を竦めた。

 その後、閉会式は滞り無く終わり、解散の運びとなる。

 自分達の荷物をまとめた場所に集まって、恒例のミーティングが始まった。庄司を中心として周り半円の範囲に集まる。


「今日は皆、よく頑張ったな。結果が出た者も出なかった者も、次に向けて練習するように」

「はい!」


 全員がそろって返事をする。その返答に満足し、庄司は成績を順に発表していった。

 一年男子シングルスは遊佐修平が優勝。及川尚が四位に食い込んだ。ダブルスは上田・秋田組が第三位。二年男子は元気と田野が準優勝。

 一年女子シングルスは朝比奈美緒が優勝。二年女子ダブルスは寺坂・菊池が優勝。

 名前が呼ばれる度に拍手が起こっていたが、朝比奈と寺坂、菊池の時はそれまでよりも遙かに大きな拍手の音が鳴っていた。寺坂と菊池も周囲や、朝比奈と笑顔を交わしている。寺坂はまた泣いてしまった。

 一通りの発表が終わり、後は各々の判断で解散していいと告げられる。時刻は夜七時半を過ぎていて、一日中体育館でバドミントンに浸かっていた余韻を背に帰宅の途へとつく。玄関の傍まで来ると各自、親が迎えに来ていたり、自分で歩いて帰ったりと自由行動となっていた。次の再会を口々に言いながら去っていく他校の生徒達もいる。

 庄司は部員達が全員体育館からいなくなるまでは待機するのか他校の顧問と話込んでおり、いつしか玄関前の広場には寺坂と元気だけが残った。


「あれ、菊池は?」

「田野と一緒に帰ったよ。いいよね、ラブラブしてて」


 寺坂は立っているのが辛かったのか、少し歩いて壁際にある椅子に腰をかける。もう少しで閉館ということで徐々に明かりは消えていて玄関も薄暗い。元気も自然と寺坂の隣に座って息をついた。


「ふぃい。疲れた」

「ほんと、お疲れさまだよね。二時間半くらいだっけ」

「それくらいだな……よく怪我しなかったよ」


 自分の試合を振り返るが、元気は最後の方に自分が何をしたのか覚えていなかった。体力の低下と共に酸欠にもなっていたのか、息を吸っても吸った気にならず、息苦しかった。そうなると周りの空気がまるで水の中のような粘着性を持つように錯覚し、動きも鈍くなる。それでも試合ができたのは同じくらいの疲労が相手にもあったからかもしれない。


「おしかったね」


 寺坂の言葉に頷く。だが、寺坂は「どうしたの?」と質問を続けた。自分が答えた際の気配を不思議に思われたのかと、元気は少し間を空けてから答える。自分の中の言葉をまとめるための時間だった。


「おしかったけど。おしくない。まだ実力の差はある。でも、今回は出し切った。出し切って負けたなら、もう負けるしかないからさ。だから、悔しくない」


 元気は言い切る。いい試合をしても負けては仕方がないということもあるかもしれない。だが、そもそも一月前はその土俵に上がれるかどうかという境界線にいたのだ。それが考え方を見つけ、先輩達のダブルスと練習することでここまで改善できた。

 どんな相手だろうと諦めない強い心。その心で、諦める癖をなくし、未来に向かってラケットを伸ばすこと。そうしても苦難を乗り越えられないかもしれないが、乗り越えられるかもしれない。

 諦めなければ50パーセント。諦めたら0パーセント。たったそれだけのことをつい最近まで忘れていて、ようやく思い出せた。それがこの結果に繋がった。

 だから自信を持って準優勝と言える。その思いの結実が、表彰式の時の宣言だった。


「寺坂達もおめでとう。今度は、最後のショット覚えてたか?」


 寺坂は首を縦に振る。去年、優勝した瞬間の記憶はなかったと言っていたのを元気は思い出していた。

 だが、今回は違うと寺坂は呟く。


「最後には私のドライブで決めたんだ」

「へぇ。寺坂がプッシュ以外で決めれたんだ」


 寺坂は頷く。去年の自分と重ね合わせているのか、手のひらを見つめた。


「一年前は最後は本当にぎりぎりで。勝った後は……今まで分かってる通り、二番手。だから、どうしても今日は勝ちたかったんだぁ」


 寺坂の顔は嬉しさに微笑みへと崩れている。その幸せそうな表情を見ていると、元気の中に何か落ち着かない気持ちが増えていく。その感情に名前を付けるのは躊躇われた。今は試合が終わったばかりで何も考えたくないという思いもあったからだが。


「今回で終わりって雰囲気だけど、むしろこれからが本番なんだよね」


 寺坂の言葉で我に返る。

 この大会が終わった後、昨年は第一回全国バドミントン選手権大会のレギュラーメンバー選考のため、合同練習が開催された。今年も開会式と閉会式の中で同様の宣言がされ、近いうちに各中学にメンバーの通達が行く。

 学年別でベスト4に入った者の他、協会役員の目に留まった選手が選ばれる。三月上旬の全道大会を勝ち抜いて、全国への切符を手にするために。

 その大会が終われば遂に元気達も三年生。中学のバドミントンの試合で最も大きな、インターミドルが待っている。

 今日、学年内での序列がとりあえずついたことになるが、それはこれから次第で変わっていくだろう。寺坂達も今回の勝利がまぐれだったと言われないように更に努力する必要もある。元気達も大場達を倒すために強くなる必要があった。

 現状に満足していられない。


「でもなぁ。一日は休みてぇ」


 元気は背中を壁にもたれさせて呻く。心の底から嫌そうな元気の声音に寺坂は笑いをこらえられずに口に手を当てる。笑う合間に元気へと言った。


「もう……ほんと、竹内っぽいね……ははっ」


 寺坂の様子を見ていると顔が赤くなり、元気は眼を背けた。いつもの寺坂よりも可愛いと感じている自分がいて元気は混乱する。


(疲れてるからか……? あーえーと)


 元気が混乱した頭の中を整理しようとしていると、笑いが収まった寺坂が「あ、そだ」と何かを思い出したような声を出す。そして元気へと尋ねた。


「負けたら付き合うってことだったけど。勝ったらどうするの?」

「……あ」


 決勝前の会話を思い出す。それもまた、赤面ものの会話だったのだが。確かに負けたら元気と付き合うと言ったが、勝った場合のことは言っていない。


「勝ったからいいじゃんか」

「えー。勝った時にも何か欲しいよ」

「んー、じゃあ……桃華堂のイチゴパフェで」


 言葉では嫌々ながら、元気は優勝のお祝いとして何かを寺坂に渡すことに抵抗はなかった。自分達とは違って、ちゃんとリベンジを果たし、優勝できた。それだけでも十分理由になる。ただ、女子のことなど全く分からない元気は人気の甘味所のパフェしか思いつかない。


「それでいいよ。じゃあ、明日、食べにいこうか」

「明日か。いいぞ」

「よっし、約束約束」


 寺坂は立ち上がって小指を出す。それに自らの小指を絡ませて指切りし約束を交わす。指を切ったところで玄関前にヘッドライトの光が届いた。


「あ、もしかして父さんかな」


 寺坂がラケットバッグを持って玄関へと歩いていく。光に邪魔されながらも、自分の親の車だと分かり、椅子のところにいるままの元気へと手を振った。


「じゃあ、また明日ね!」

「おう。お疲れさん」


 手を振って寺坂を見送る元気。自動ドアが閉まり、寺坂を乗せた車が去っていく。残ったのは元気だけ。不意に周りが静まる。


「ふぅ……約束、ね」


 果たされなかった大場達を倒すという決意。

 果たされた勝つという決意。

 そして、交わされた約束。

 悔しくはない。全部を出し切ったことでの敗北なら納得できる。その思いに嘘はない。

 そう、元気は思っていた。

 だが、一人になった時、体の奥から込み上げてくる思いがある。表彰式の時も、仲間達との別れの時にも湧かなかった思いが。


「ちくしょう」


 小さく呟く。呟きは静まった場所に広がる。残響の中で、元気は近づいてくる足音を聞いた。いつの間にか俯いていた顔を上げると、庄司が傍へと近づいてきていた。


「竹内。まだ帰らないのか?」

「親がまだこないんですよ。もう少しだとは思います」

「そうか」


 庄司は元気の隣に座り、小さく「よくやった」と言った。

 更に元気が言葉を紡ぐ前に言う。


「今回は負けた。どれだけいい試合をしても負けは負けだ。それは否定しない。でも、負けは負けでも結果は出た。それは、次に生かせ」

「……はい」

「お前と田野が苦しい思いをしているのは知ってる。だがな、これは俺や……相沢達がどうにかできる問題じゃない。自分でなんとかしないといけない」

「はい」

「これからもお前達がレベルアップできるように、俺ももっとサポートしていく。だから、今はこれだけ言おう」

「……」


 庄司は一度会話を切る。静かになった空間に小刻みに空気が震える音がする。


「昨日の自分を越えていけ。一つ一つ、確実にな」

「……はい」


 元気は俯いて顔を掌に埋めた。掌の間から漏れ出る嗚咽と涙が膝に落ちる。

 小刻みに震える背中をゆっくりと庄司がさする。

 頭では理解できても、感情が理解できなかった敗北の苦み。誰もいなくなったところで奥底にいた悔しさに心が痛む自分が顔を出した。

 全てを出しても負けた。確かに悔いはないと元気は思った。嘘ではないのだ。

 しかし、悔しくないはずがない。

 自分の奥の奥にいた、本当の思い。

 勝ちたかったという本当の叫び。様々な感情や場の空気に押し止められていたそれは、全てが過去となったこの時において飛びだす。

 庄司は何も言わず、ただ隣にいた。元気の親が迎えにくるまで、ずっと。



 明日の自分を越えるために、今は一時の休息。

 明日からまた、元気の戦いは始まるのだ。

 ラケットバッグの中にある銀メダル。

 それがいつか金に変わると信じて。


「シルバーコレクター」完

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