第12話「勝者と敗者」
第二ゲーム、最後の点が自分達に入った瞬間、元気は体の力が抜けそうになった。最後は大場のスマッシュがネットにぶつかり、自分達の元へと来ることはなかった。それも十五点分、似たような展開を繰り返しての外から見れば退屈と言ってもいいような展開だ。しかしサーブ権を取られても取っても、同じことの繰り返した結果が、第二ゲーム奪取。喉から手が出るほど欲しかった勝利。積み上げてきた物が遂に形となって現れて、元気は一気に気が抜けそうになった。だが、まだイーブンに持ち込んだにすぎない。あと一ゲーム取ることで自分達はようやく目的を達することができる。二位に甘んじてきた自分達がようやく一位を取る。
「……っ」
コートから出ようとした時、後ろから息を飲む音が聞こえた。振り返ると田野が顔をしかめている。歩いている様子も少しおかしかった。そこで元気はある可能性に思い至る。
「田野。足……怪我したのか?」
これから追い上げるというこの時になって怪我となれば、試合を続けることさえ危うい。それ以前に、田野の足が心配だった元気は血の気が引いた。だが、田野は「悪い」と呟くと早足でコートを出る。その時の動作はいつもと変わらない。
田野の後ろを追ってコートを出た元気は率直に尋ねる。
「大丈夫か?」
「今のところ大丈夫。ただ、ちょっと痛かったの本当だ。……正直、これだけ試合をしたのってないからさ」
時計を見ると、試合開始から一時間をとっくに過ぎ、もう少しで一時間半にさしかかろうとしていた。元気が周りを見るとすでに他の試合は終了している。普段ならば、閉会式の準備として終わったコートのテープが有志により剥がされているところだが、試合の妨げになってはいけないという趣旨か、そのまま残されていた。
最後に客席を見上げると、座っている誰もが元気達と大場達の試合を見ている。他の試合がすべて完了したのならば、自然と残りの試合に視線が集まるのは当然だった。
今、この場で戦っている四人に、この体育館にいる各学校の選手達、顧問達。協会役員達の視線が集まっていた。
「なあ。俺達に今までこんな注目集まったことあるかな」
元気が呟いた言葉に田野は首を振る。
足の揉みほぐしを続けつつ、元気に視線を移さないまま言った。
「なかったな。一年の時は簡単に負けたし。インターミドルは三年生が主役だったし、鹿島杯は勝ったあいつ等が注目浴びたし」
「ジュニア予選は出られなかった」
自分のせいで出られなかったジュニア大会。ただ、今の元気には試合に出ていたとしても良い成績を残すことはできなかっただろうと今なら分かる。選手として大切なものを失っていたことに当時は気付いていなかったのだから。
その、大切な物を思い出して挑んだ大会。
一年前の因縁の相手は、もしかしたらもう対戦が叶うことはないかもしれない。次に勝てばいい、という言葉はもう言えないかもしれない。だからこそ、今、目の前の相手に全力で挑まなければいけない。
この場のこの時に全力で挑む。元気は忘れていた思いを取り戻させてくれた先輩達に感謝して、自然と頭を下げていた。誰もいないと思われた場所へと。
「……おい、あれ」
田野の驚いた声に元気は顔を上げる。視線の先はちょうど、どの中学の陣地でもない場所。
そこに、相沢が一人で立っていた。いつからいたのか全く分からない。しかし、いつからか自分達の試合を見ていてくれたのだろう。無意識のうちに相沢へと頭を下げた形になる。
「お前、気づいて頭下げたの?」
「まさか」
田野の顔を見て苦笑い。相手が礼の意図を分かったどうかは分からないが、場面上、引くわけにはいかなくなった。
「絶対勝たねーと」
「ああ」
田野と共にコートに入る。大場と利は同じタイミングで入って、すぐに立ち位置につく。その姿を見て、竹内は大場達が最後に一ゲーム取られたのはいつだったろうと振り返ろうとした。だが、すぐにその思案は霧散した。
過去は関係なく、あるのは今だけ。
ここまでくれば元気達の取る手段は二ゲーム目と同じ待ち戦術。大場達も、元気達がどういう戦術で来るのかは分かっただろう。
この作戦の核となるのは、分かっていても回避できないという点だ。大場達も元気や田野にスマッシュなど攻撃的なシャトルを打たせようとハイクリアやロブを打ってきた。だが、二人ともいくら打ち頃のシャトルでも無理をせずにハイクリアで打ち返した。大場達も何度もチャンスと思える軌道で打ち上げていたが、元気達は最後まで挑発に乗らず、大場達が先に折れてまたスマッシュへと戻る。
するとリズムが狂ったのかネットに引っかけるということになった。
「俺達はこの作戦と心中する。どれだけ時間かかっても。だから……」
「ああ。俺の足は気にしないで思い切りやろう」
田野は屈伸して足が問題ないことを元気に伝える。その動きを見れば確かに通常の動きで試合ができるだろう。ただ、それには持続時間が入っていない。
(俺もどこで無理してるか分からないからな……もしかしたら俺の方がいきなり足痛くなって終わるかもしれんし。だから)
元気はシャトルを受け取ってサーブ姿勢を取る。
持久戦を選んだ時から承知はしている。体力が尽きた時に試合が終わっていなければ、自分達の負けだ。
力がないから選ぶ道が限られる。それでも、自分達が選んだ道。
仲間が、先輩が見ている前での試合。注目されていなかった二人が学年別大会最後の試合、最後のゲームで全員の視線が集まっている。
ならば、勢いよく始めよう。
「一本!」
元気は全身から声を出すような心持ちで発声し、バックハンドからロングサーブを打った。それはダブルスで用いられるドリブンサーブではなく、シングルスで使われるような頂点が高く緩やかな放物線を描くもの。ダブルスはロングサーブのラインがシングルスよりも短く設定されているために、そんなサーブを打てばスマッシュを打つには絶好のシャトルとなる。
大場がシャトルを追い、落下点の少し後ろに身構える。そして、シャトルを打とうとしたが、何かに気づいて動きを止めた。誰もがアウトかと思ったが、シャトルがコートに落ちた時にはラインズマンが手をインの形に取っていた。審判はそのサインを見て元気側に得点を加える。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「今のはアウトだって!」
大場がそう審判に言って、すぐにラインズマンに詰め寄る。ラインズマンは翠山中から出された男子選手だ。ラインズマンは首を振って、自分はインだと思ったと主張する。結果は、線審の意見が通った。明らかな誤審じゃなければ、覆ることはない。
たまに見る角度によって見え方が異なる。ラインズマンの視界にどう見えたのかは分からないが、大場はアウトでラインズマンはインと捉えた。
(大場の足かなにかが遮ったのかもな……)
視線の先に大場の体が入ってしまい、見逃したのか。
それもあるにせよ、この試合で初めての綺麗なロングサーブだったために線審も油断していたのかもしれない。どんな理由があろうとも、一点は一点だ。
「しゃ。一本」
審判も得点は有効だと言ったことで、大場は引き下がる。シャトルを受け取った元気は次のサーブ位置について今度は利を見る。
(これで動揺してくれたりしねーかな)
淡い期待とは分かっていても、思ってしまう。しかし、利も大場も一度頬を自分で叩くとすぐに平常の精神状態に戻ったようで、気にした様子は見せなかった。
「ストップ」
利の言葉は静かに元気の耳へと届く。ひやりと冷たい言葉。体の奥に入りこんで元気の体を震わせた。それに負けないように気を持って、元気はショートサーブを放つ。ネットから浮いたシャトルをプッシュで打ち込まれ、田野がコート奥へ打ち上げた。大場がすでにスマッシュの体勢をとっていて、高く飛び上がった。
今までよりも更に高く、更に体をしならせる。元気から見れば限界を越えているようなエビぞりの体勢から大場は声を発しながらラケットを振り切った。
「らぁあああ!」
シャトルがうなりを上げて元気のところまで突き進む。元気は取ろうとしたが、予想を超えた速さにラケットが追いつかず、打ち上げてしまう。辛うじて相手コートに返ったが大場が後ろから詰めてきてラケットを振りかぶる。その様子を見て、元気は反射的にラケットをバックハンドに持ちかえて、左側へと体を傾けた。大場の、前に勢いをつけて飛んだジャンピングスマッシュは元気のバックハンド側へと放たれる。その軌道を予測して、元気はラケットを振り切った。
手応えと共にシャトルが相手コートへと飛んでいく。そしてダブルスラインぎりぎりに落ちていった。
「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「――しゃあ!」
元気は空いている左拳を高く掲げた。圧倒的不利だった状況からの逆転。流れは確実に元気達にあり、防御しつつも攻めている。このままいくとは無論、元気は考えていないがそれでも勝算が見えてくる。
シャトルを返されて、次のサーブの構えをする。そして大場の視線を意識した時だった。体を縛り上げられるような錯覚を得たのは。
(……これ、は)
経験したことのある圧力。
それはつい最近、練習中のことだ。
相沢や吉田へと向き合った時の気迫。強く相手を威圧するプレッシャーを体が感じ取って錯覚させている。
圧力の発生元は大場からだ。それ自体は元気にも不思議ではない。藤本や小笠原と対戦する先輩達を外から応援していた時も感じていた。全道を経験するような強いプレイヤーにはそういった『気迫』のようなものが出せるようになるのだと元気は知っている。だからこそ、ジュニア全道大会に出場した大場と利も先輩達と同じことができても別に驚くことではない。
今、元気が感じている驚き。その後ろをついてくる焦燥感。それは。
(今まで、本気じゃなかったってことか)
負けた第一ゲーム。勝った第二ゲーム。
両方とも内容的に良かったことで元気は失念していた。大場も利も全力を隠すような人間ではないということも話すようになって分かっていたため、誤解していたのだ。
大場にも利にも、まだ上があるはずだということを。
「ストップ!」
吼えたことで迫るプレッシャーに負けまいと、元気も「一本!」と叫び返す。そしてショートサーブでコート中央のラインを狙う。そこに飛び込む大場。そしてプッシュ。二つの動作は先ほどと変わらないはずだが、目の前で経験する元気には速度もパワーも増しているように思える。
シャトルを取ることはできなかったが、田野がそれを拾う。奥に飛んだシャトルを狙うのは利。腕の振りと勢いからスマッシュと予測した元気は、その勢いが殺されてドロップに変化したことに体が硬直する。ネットに向かって進むシャトルを見ながら、元気はラケットを差し出した。またラケットでシャトルを打ち上げるために。
しかし、シャトルの軌道はネットの白帯にぶつかるように元気には見えて、ラケットをネット前から外した。
(――しまった!?)
だが、シャトルは白帯にぶつかるとシャトルコックを支点に回転し、元気の前へと落ちていく。慌ててシャトルを打とうとしたが、ネットに近すぎてできなかった。
「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」
落ちたシャトルを呆然として見る元気。白帯にぶつかったシャトルがこちら側に落ちていく。それは偶然であるはずだったが、元気にはそこに影を落とす要素がある。大場達の気合い。見えない力がシャトルを最後の一押しをしたのではないかと思えた。空想に近いことは分かっている。それでも、体が縛られているように錯覚するプレッシャーがあるのならば、シャトルにも影響があるのではないか。
「ストップだ。竹内」
田野が背中を軽く叩く。そして客席を見るように指で示した。
(……客席?)
見上げるとそこにはたくさんの目があった。
選手も顧問も、自分達を見ている。浅葉中の面々は更に応援まで送ってきていた。すでに試合を終えた寺坂と菊池。一年の遊佐や朝比奈。他、すでに試合を終えて応援を繰り返してきた仲間達。自分達の学校だけではなく、翠山中ではない学校の生徒も元気達を応援していた。元気達だけではなく大場達へも。あくまで中立でこのゲームへの応援だ。
元気はサーブ位置に立って何度か足を踏みしめつつ尋ねる。
「なあ、田野」
「なんだ?」
「寺坂と菊池。勝ったかな?」
「分からないよ。こっちに集中してたから」
自分が逆に問われても分からないだろう。同じことを言うと分かった。だからこそ、この試合は終わらせなければならない。
「じゃあ、勝って帰ってから聞こうぜ」
「……おっけい!」
元気は大場へと構え、田野はその後ろで腰を落とす。
本当の力を出してきた大場と利。
何とか食らいつく元気と田野。
「一本!」
「ストップ!」
四人の声が同時に響き、試合が動く。
互いの全てを賭けての試合は更に続き、試合開始から二時間半を越えたその時。
学年別大会二年男子ダブルス決勝戦の勝者が、決まった。
「ポイント。フィフティーンサーティーン(15対13)。マッチウォンバイ――」
会場を埋め尽くす拍手が審判の言葉をかき消すほどの音量の中で。
元気はほっとして大きく息を吐いた。
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