第11話「力の差と見えた隙」
「ポイント。フィフティーンエイト(15対8)。チェンジエンド」
眼前に落ちたシャトルにラケットを差し出したままで元気は動きを止めていた。少し経って体を起こしてから上を向き、ため息をつくという流れに沿っての行動をしたうえでコートから出た。額から流れてくる汗を右手に付けたリストバンドで拭きつつ、息を整える。
コート外に置いてあったラケットバッグを持って反対側のエンドへと移動。更にリストバンドを外して予備を取り出し、付け直す。その間に田野もヘアバンドを取り出して頭に付けた。
「何、そのヘアバンド」
「菊池にクリスマスプレゼントにもらったんだよ。もったいないから使ってなかったけど、汗がひどいから」
田野は元気と同じかそれ以上、汗をかいている。ラケットバッグからタオルを出して顔を力を込めて拭いていた。そんな自分達と大場・利を見比べる。
相手もまた、汗はかいていたようでタオルで顔や腕を拭いている。しかしその顔は晴れやかで何か緊張があるわけでもない。一ゲーム目を取ったことからの余裕だろう。
「うーん。なんか、いけそうな気がするんだけどな」
田野がそう呟いた言葉に反応して、元気は振り向く。そこにはタオルを肩に掛けて首を傾げている田野の姿。何かの違和感を自分の中で修正しようとしている。
「俺も。何か掴めた気がするんだ」
15対8というスコアは驚くような数字ではない。かつて同じ大会で勝った際もこれくらいのスコア。ただ、勝ったペアが逆だっただけ。その後、対戦した時も同じ。このままだと差は詰められていないということなのだが、以前と異なることがあった。
「試合時間……なげぇな」
見てみると既に四十分以上経過している。サービスゲーム制はサーブ権を持つ側だけがポイントを取れるため、場合によってはずっとラブゲームのまま試合が動かないことや、ラスト1点から動かないことなどありえる。近年は、その試合時間の長さを是正するためにラリーポイント制を導入する動きが高まっているほどだ。15対8、というのは両方とも得点が多めのため、時間はかかるのは当たり前といえる。だが、以前はもっと早い時間でここまで来ていると元気は思い出した。
「あと、後半の方が点取れたな」
田野が元気の分析に補足する。
八点のうち五点は大場達が十三点を取ってから取り返したものだ。後半で追い上げたが数歩及ばない。そんな印象を持つ。
「あと、なにかある気がする」
あと少しで考えがまとまりそうだったが、審判が試合を再開するように促す。大場と利は試合を早く行いたいのか素早く配置についてサーブの構えまで取っている。
「あとは試合中に見つけるしかないな」
田野と元気は同時にため息をついてコートへと戻る。
大場の斜め前に立ってレシーブ姿勢を取る元気。一ゲームを取られはしたが、手応えはある。今までと同じスコアだとしても、その内容が違う。
(相沢先輩達のおかげだ。早い展開にもついていけてる。ついていけてるだけだから、負けたんだろうけど)
まだ差が目の前にある。二組を隔てるネット。その向こうに立つ大場達よりも更に遠い。それでも、届かない差ではない。何か掴みかけているものがある。
(それを、捕まえる!)
「一本!」
元気の内心での決意と同時に大場が吼え、ロングサーブを放った。コートの内側、自身のバックハンド側を抉り込むようにシャトルが突き進む。元気は思い切って後ろに飛びながらシャトルの軌道にラケットを打ち付ける。
「らあ!」
シャトルを強打。シャトルの軌道を考えて、力一杯打ってもアウトにはならないという確信を持って打つ。
その通りにシャトルはドライブ気味になってサーブを打った大場へと返った。素早くコート中央付近に戻っていてもシャトルの速さのほうが勝っており、大場はバックハンドでロブを上げる。元気は着地してからすぐにそのシャトルを追い、田野は前衛に入る。その背中と、大場と利を視界に収めて、元気はドリブンクリアをコート奥へと放つ。そこからサイドバイサイドの陣形になって相手のシャトルを待った。
(なにが足りないか……ここで打ったらだいたい、駄目だった)
一ゲーム目の情報を整理しながら戦う。
元気が後ろの状態でセオリー通りスマッシュで押した場合、ほとんどは良いリターンを返されて逆に元気が追いつめられ、最後に甘くなったスマッシュから攻めに転じられた。スマッシュに関しては田野に打たせた方が得点できている。そのため、今の状態なら攻めるドリブンクリアの方が効果的のはず。
「はっ!」
大場が追いついてスマッシュを放つ。鋭かったが一ゲーム通して打たれたからか、さほど驚異は感じなくなってきていた。元気は前にいる利にインターセプトされないようにしっかりと上げることを心がける。大場は更にシャトルに追いついて、今度は田野側へとスマッシュを放つ。田野も同じようにロブを返した。今は攻めても崩せないと思ったか、大場はドロップを絡め、元気と田野はとにかくしっかりとロブを上げることだけに集中していた。
(そうだ。あっちの攻めを何とか返してたら、ミスってたっけ)
得点の半分は一ゲーム後半のもの。更に言えば、ラリーが長くなった結果、相手のミスから得たものだった。粘り続ければどうしていいか分からずにミスをするということはある。大場達もその類なのかもしれない。
(試すしかないな)
ドロップを奥深くに上げられた大場は再びスマッシュを放つ。それを元気がまたロブで返す。何度か同じことを大場に対して繰り返す。そこに利を介入させないように。大場と元気達の我慢比べ。やがて大場はハイクリアを打ってサイドに広がった。ラリーを仕切り直すために。
「らっ!」
そのクリアを田野が打ち返す。シャトルはドリブンクリアで狙いは大場。大場を集中して狙って前に出させず、後ろに固定させる。弱い方を狙うのがダブルスのセオリーだが、どちらも自分達より強い以上、どちらか決めて打ち崩すしかない。
「ふんっ!」
大場は再びスマッシュをしかける。田野が打ち返すシャトルの軌道に乗せようとラケットを動かしていく利だが、射程距離から外れるように大きく打ち上げていたため触れることがない。
「らあっ!」
大場は飛び上がり、ジャンピングスマッシュを叩きつけようとする。だが、放たれたシャトルはネットの白帯にぶつかると後方へと落ちていた。
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「しゃああ!」
第二ゲーム、初めて奪いかえしたサーブ。長いラリーの中で相手がミスするのを待って得たもの。奇しくも相沢が言った「諦めるな」という言葉と繋がる。シャトルを受け取って羽を直し、サーブ位置に立つ。視界に見える大場は先ほどまでスマッシュを連発していた反動か肩で息をしていた。チャンス、と畳みかけようとしたが、一度落ち着く。攻め気になると隙ができてしまい、つけ込まれるからだ。
今回、ラリーを制することができたのは防御に徹したからだ。自分達から攻めることはできないが、相手の攻撃を耐え続けることで相手の隙を見つけるか、相手のミスを誘う。これが、今の元気達にできる大場達の攻略法。
自然と、大場達の攻撃力が元気達の防御力を上回った時に負けることとなる諸刃の剣だが。
(もう一つ。何か欲しいな……)
勝つ可能性を上げるための、あと一押し。確実なものでなくてもいい、ほんの少しだけ希望が大きくなる要素。
シャトルの羽を整え終えた元気はサーブ位置を足で踏みしめ構える。そこに、田野が近づいて囁いた。
「竹内。できるだけ、ラリーを長引かせよう」
田野の言葉には力があった。耐えて相手のミスを誘うという消極策よりも、もう少しだけ積極的な何か。元気は田野が何かを見つけたと確信して、返答代わりに吼えた。
「一本!」
元気のショートサーブ。シャトルは無事にネットぎりぎりを越えて大場へと向かう。大場は右足を踏み込んだ衝撃を利用してシャトルを軽く弾く。元気はシャトルを追い、ロブを上げてから左サイドに広がった。後ろに回った利は元気と田野、二人の間へ向けてスマッシュを放つ。しかし元気は最初から取るつもりはなく、一歩前に出た田野が再びロブを返していた。
(後ろにいったやつにとにかく打たせる。長引かせれば、チャンスはくるはず)
田野は何かを掴んでいる。だからこそ、ラリーを長引かせるように言ってきた。そう信じられるからこそ、元気は打ち込まれるスマッシュやドロップを何とか後ろに返した。前にいる大場には触れられないように。
「――ら!」
利が打つショットが十を越えたところで、いらつき混じりの声と共に放たれたスマッシュがネットを揺らし、コートにシャトルが落ちた。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「おおっしゃ!」
元気は自分で思ったよりも大きな声を出して田野とはいタッチを交わした。相手のミスとはいえ、粘って返し続けたからこそ。粘り勝ちの結果に田野は確信を持ったのか、元気に小さな声で告げる。
「ほぼ間違いない。あいつら、ラリーが長引くと攻めが単調になる」
「……そう、か。なるほどな」
元気は一ゲームを思い起こす。シャトルが返されたことであまり考えている時間はない。田野もすぐに離れて元気の後ろについた。元気は一ゲームの終盤のこと。そして今のことを思い出す。確かに、ラリーが長引いてくるとスマッシュを打ち込んでくる割合が多くなり、さらにそれをネットに引っかけて得点を許していた。
(……そうか。自分よりも強い相手との戦い方、か)
大場達にも藤本と小笠原というダブルスがいて、練習はしているだろう。だが、二人ともシングルスに転向したため、その頻度は減っているはず。ならば、残るのは自分達よりも実力が劣るペアだけ。
元気と田野も練習で味わったこと。実力差があると練習にならない。自分よりも強い相手を攻略するというのは何度も挑み続けなければ戦う際のコツは掴めない。
「一本!」
次は利へとショートサーブ。今度は少し浮いてしまったが、プッシュされたシャトルを田野が弾き返す。中途半端に打ち上げてしまい、そのまま利が後ろに下がってジャンプして打ち込んだ。だが、手打ちとなり威力はなく、元気は咄嗟にラケットを振って打ち返す。反動も重なってシャトルは奥へと飛んでいく。普段ならばアウトになるようなタイミングだったが、威力に押された結果、ぎりぎりライン上に落ちるような軌道となった。
大場が追いついてすぐにスマッシュを放つ。元気の真正面にシャトルが向かい、元気はバックハンドで奥へと弾き返す。先ほどと同じことの繰り返し。
映像の焼き増しのように。おそらく客席から見ている仲間達や他校の選手達には同じ展開で退屈に映るかもしれない。それでも、元気はためらいがなかった。派手なスマッシュを叩きつけて勝つことも、ネットにスマッシュを引っかけさせることも、同じ一点には違いない。元気に選べるのは後者だ。
(実力が足りないことなんて分かってるんだよ! でも……もう二番ばっかりは嫌なんだ! どう見えるかなんて知らん!)
ひたすらに奥へと返し続ける。前に隙があるとしても、攻めに転じることができるとしてもひたすらに上げるだけ。攻め続けさせて、相手にミスをしてもらう。これが、自分達の戦術。勝つための細い道筋。
「おぉおお!」
大場のスマッシュに一瞬、ラケットを出すのが遅れて元気は打ち上げてしまう。それを前にいた利が捕え、コートへとシャトルを叩きつけた。
「セカンドサービス、ワンラブ(1対0)」
何かがほんの少しでもずれれば、シャトルを上手く返せない。そして、その隙を見逃すほど相手は甘くない。攻めて隙を突かれることも、攻められて守りを崩されること。ほんの少しだけ後者のほうが勝つ可能性があるだけのことだと良く分かる。自分達は結局のところ、背水の陣を敷くしかない。
「どんまいだ! 一本!」
落ちたシャトルを拾って田野が元気へと言う。いつもあまり感情を出さない田野もここにきて前面に気合いを押し出していく。どんな細い道でも諦めずに進む。相沢達との練習を通して得たもの。諦めない心。例え間に合わないと分かっても、ラケットを出し続ける。それによって何かを変えること。
「一本!」
田野のショートサーブを打ち込む大場。そのシャトルに追いついてロブを返す元気。
大場と利が攻め続けて、元気と田野が耐え忍ぶ構図は、そのまま第二ゲームの終わりまで続き――
「ポイント。フィルティーンテン(15対10)。竹内・田野! チェンジエンド」
遂に大場達から一ゲームを奪っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます