第10話「理想と現実」

「お願いします」


 審判の声の後で四者の声が同時に互いへと告げる。始まりの言葉。そして、宣戦布告。大場はコートの外からは考えられないほどの闘志を漲らせて、サーブを打とうとする元気を睨みつけている。失敗すればシャトルが叩き込まれるだけだが、シャトルを打った瞬間に元気の喉元を食い破ろうとするかのようだ。


(なんか、圧力……凄いことになってるな)


 最後に対戦したのは鹿島杯の決勝。その時点から数ヶ月経って、感じるプレッシャーが質も量も各段に違っていた。過去の対戦との間に全道大会を経験してきたことで、大場と利の中の何かが確実に成長している。

 元気は相沢と吉田のことを思いだし、肩の力が少し抜けた。


(そんなの経験済みだってーの)


 元気は「一本!」と高らかに吠えて、ロングサーブを打った。シャトルは低い弾道で大場の左側――センターラインをなぞるように飛んでいく。そのシャトルに狙いをさだめて、体をひねりながら大場はスマッシュを放った。体勢が十分ではなかったために速さはなく、元気がそのままバックハンドで受け取る。


(――ここ!)


 大場が後にのけぞり、利がまだ前へとカバーに入ることができていない。元気は大場側のネット前目掛けてヘアピンを打つ。守る選手がいない場所へと打つことで、シャトルはコートへ落ちるはずだった。

 しかし、シャトルがネットを越えた時にはすでに利が前に詰めていた。


「はっ!」


 放たれるプッシュ。ヘアピンを打った元気の頭上を越えるように突き進むシャトルを田野がロブで高く打ち上げる。元気はまっすぐ後に下がってサイドバイサイドの陣形を取った。


(移動速度もはんぱないな)


 元気が利の姿を確認してヘアピンに集中するまで。その短い間で利は前に詰めた。実際には移動を始めていたのだが、視点の切り替え時に動きを捕えられないのは仕方がない、と割り切る。少しでも思考を過去に置いていては今の二人には速度で対抗できそうにない。


「ストップ! 集中!」

「応!」


 田野が気合いの声を出し、元気が応じる。ロブで奥に追いやったシャトルの下には大場が構えていた。真正面からの位置だと真下にいるのか落下点より少し後にいるのか判断がつきづらい。腰を落としてどんなシャトルにも対抗できるようにと身構えた時、大場の叫びが響いた。


「うぉおおおあああ!」


 構えた状態からジャンプすると、体を大きくうしろに仰け反らせる。Cの字を逆にしたような形になったかと思うと、ラケットを持つ右腕が振りきられた。同時に足も前に出し、体中のばねを使ったスマッシュを解き放つ。

 空気の破裂音を残してシャトルが放たれる。その速度は今まで経験してきた大場のショットとは明らかに違った。元気も田野も反応できずに、次の瞬間にはコート中央へとシャトルが突き刺さっていた。


「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

「しゃオラッ!」


 着地して前に少しよろけた後、大場は拳を掲げてガッツポーズをする。そこに翠山中の選手達が黄色い声混じりの声援を送った。周りが騒がしい中で、元気はシャトルを拾い上げると羽をゆっくりと直す。


「今のスマッシュ」

「……あれだけスマッシュに全力だしてたらそりゃ着地によろけるよな」


 丁寧になおしている間に田野の言葉を聞く。そこで何かしら対策を練ろうという作戦だった。大場・利ペアとの試合では焦ってはいけない。できるだけ長引かせて弱点など探る時間を取る。

 相沢と吉田に言われた言葉を踏まえて出した、今回の試合の作戦。簡単に攻めきられるようであれば、元から勝ち目はない。この攻防には意味がある。


「速さは?」


 最も重要な点。今のスマッシュは取れる速さかどうか。

 今の時点では二人が取れないことを自ら証明しているが、本当はどうなのか。


「取れない程度じゃない。俺達はあれより速いスマッシュを受けてきたんだ」


 自分が体験した中でもっとも速いスマッシュ――相沢のスマッシュに、大場は達していないと元気は感じていた。何度も受けてきたからこそ、そう思える。ならば、十分取れる可能性はある。今、取れかったのはこの試合で初めて、というよりもこの大会で初めて体感した速度だったからだ。一番最後に出されて試合終了よりはよほど良い。


「よし、まずはストップいくか」

「応よ」


 田野に同意して、シャトルを大場へと返した。視線は元気達を睨みつけるかのように鋭い。自分達への対抗策を検討しているのは見て分かっただろう。元気には、大場の視線が「どんな策を持ってきても潰す」と言っているように思えた。策を使うのは実力が劣る方。根本的に力量が上ならば、いつも通りのプレイをしていれば自然と差は開き、試合に勝てる。今、自分達がすることは今の大場達の情報を手に入れて、対抗策を練るだけ。


「一本!」


 大場の高らかな声は聞き流し、元気はファーストサーブの位置につく。大場のサーブをロブで返しつつ情報を集めていく。できるだけ攻めさせるために第一ゲームはレシーブに特化しようと決めていた。

 それが前提で、もし、決められるタイミングがあれば決める。

 自分がすべきことを再確認して、元気はラケットを構えた。そこを狙いすまして、大場がドリブンサーブを放つ。軌道の低さからはドライブサーブと言ってもいいのかもしれない。先ほど、自分が打ったサーブを更に高い精度で返されると、元気は何とかオーバーハンドストロークで遠くへ飛ばすしかない。威力に押されたこともあり、シャトルはアウトにはならずに相手コートの奥まで返った。そこには利がサイドストロークの構えでシャトルに狙いを絞っていた。


(――くる!?)


 落ちてきたシャトルを強打する利。シャトルは一瞬で元気のところまで到達した。元気はとっさにラケットをかかげてシャトルに当てることに成功し、ネット前に落とす。大場はネット前に素早く移動してクロスヘアピンで元気からシャトルを遠ざける。元気もサイドステップで追っていったが、ネットぎりぎりに落ちていくシャトルに触ることができず、見送るしかなかった。


「ポイント。ワンラブ(1対0)」


 あからさまなドライブの体勢。予測はできたが、それでも止められないほどの威力。元気と田野にとって現状、利のドライブのパワーは大場のスマッシュよりも驚異だった。比較的目線と平行に飛んでくるシャトルは落ちていくスマッシュよりも取りやすい。それで取り損ねるということは、元気が速度に対応できていないということだ。


「どんまい」

「速いし。大場は上手い」


 自らシャトルを拾ってシャトルを直した大場が次のサーブ位置に入る。相手にあわせるために田野もレシーブ位置を何度か踏みつけて滑らないかどうかチェックした。元気はその後方で大場の姿を見る。


(あいつ……ヘアピンも上手くなってる。正直、藤本っぽい)


 大場の姿に同学年の藤本の姿が重なる。

 練習ではダブルスで何度も対戦しているという。その影響なのか、大場のプレイの端々に藤本との類似点が見える。全道に進んだのもプラスして、藤本に近い力を手に入れ始めているのかもしれない。


(もっとだ。もっと粘る)


 余りに早く終わっては意味がない。粘ってレシーブをして情報を仕入れつつ、相手の体力も奪う。持久戦だとこちらが負ける可能性があるが、大場達の猛攻に耐えなければどちらにせよ負ける。


「一本!」


 声と同時にショートサーブを打つ大場。田野は前に詰めてストレートヘアピンをネットぎりぎりを通る軌道で返した。大場は下から上にシャトルを擦るように打ち込んだ。シャトルは勢いに押されてコート右側へと突き進む。元気はラケットを何とか届かせてロブを打ち上げた。

 後ろに構えているのは利。またドライブが来るかと腰を落として身構える。

 利はサイドストロークの構えを取り、左手で元気へと照準をつけた。そこから体を思い切りしならせてラケットを振り切る。ラケットの遠心力も取り入れたショットは空気を破裂させて元気へと迫る。二度目の今回は、ラケット面を迫るシャトルに合わせて前に押しだした。

 飛んでくるシャトルを更に前で打ち、カウンターで返す。ドライブをドライブで返したことで利も簡単に対応できないはずだった。

 だが、シャトルの行き先に現れたのは大場。ラケットをシャトルの軌道上に乗せようとする。カウンターの更にカウンター。今、前に落とされたら逆に元気が前に詰められるかどうか。


(動け――!)


 打ち終わりで硬直している足に命令する。前のめりになって次の一歩が出た瞬間、乾いた音が元気の耳に聞こえた。


「……え?」


 顔を上げてみると、シャトルがネット前に落ちている。

 大場側のネットの前に。


「セカンドサーバー。ワンラブ(1対0)」


 大場がシャトルを拾い、利に渡す。ヘアピンの失敗を謝りつつ、後ろに下がるのを見て元気はようやく大場がミスしたのだと分かった。


「ナイスドライブ」


 田野の言葉にほっとする元気。自分が打ち返したドライブにさすがの大場も上手く処理しきれなかったのだろう。次は利のサーブということで元気が前に出る。ラケットを構えて次のシャトルを予測しようとしたところで、急にサーブが放たれた。


(!?)


 完全にタイミングを外されて、ショートサーブでシャトルが運ばれる。元々前にいた為に取ることは問題なかったが、プッシュができずロブを上げた。後ろにいるのは大場。ジャンプして大きく体を反らし、スマッシュを放つ。その姿はまるで引き絞った弓のようだ。シャトルは勢いがついて元気の体へと向かう。体を横にずらしてバックハンドで勢いを殺そうと、元気は前に出た。反応はできている。大場達は予想以上に速かったが、予測を越えた訳ではない。


「はっ!」


 声と足の踏み込みで強打を打つと見せかける。しかし、実際はシャトルが当たった瞬間に勢いを殺してネット前に落とすことが目的。それを実施しようと足を必要以上に踏み込んでラケットを出した。

 そこで、シャトルが勢いに負けて宙を舞っていた。


「なっ!?」


 打った元気も思わず声を出す。だが、ネット前にふらふらと上がったシャトルを、利がラケットを振りかぶって狙いを付ける。元気も田野も一か八かでラケットを振るも二人の間を抜けてシャトルがコートへと叩きつけられていた。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」

「おぉおお!」


 ネット前で利が吼える。それから後ろにいた大場へと歩み寄ってハイタッチを交わし合った。その様子を見てから元気はラケットを見つめて軽く頭を叩いた。


「くそ。上手く返せなかった」

「こっちの予想以上にシャトルが伸びてくるんだろうな……しばらく攻略できないかも」

「絶対取ってやる」


 シャトルを拾って利に返し、レシーブ位置につく。次は田野へ利がサーブを打つ番。先ほどのようにタイミングを外してくるのか、と思った矢先にロングサーブが放たれた。低い弾道を一瞬だけ速く進み、空気抵抗で急激に落ちていく。田野はラケットを出したがシャトルには届かず、元気はちょうどダブルスのサーブライン傍に落ちるシャトルを見ることしかできなかった。


「ポイント。スリーラブ(3対0)」


 二点連続。

 しかも狙いをつけていたにも関わらずの失点。

 元気の目には、大場と利が一回り大きくなったように見える。


(思ったより力の差があるのか……なんだこれ)


 一つラリーを制しているとはいえ、最初から数えれば三連続。一瞬しか流れをくい止められていない。試合を展開する中での材料を集めようとラリーを続けたくても続けられない。大場と利の力でねじ伏せられている。


「力の差なんて、最初から分かってたろ」


 元気の思考を読んだのか、田野がラケットで軽く元気の肩を叩く。元気にもレシーブ位置に着くように言ってから、後に言葉をつけた。


「考えて、実践。まずサービスオーバー取ろう」


 田野へと頷いて、レシーブ位置で前を見る。利が既にサーブの体勢を整えていて睨みつけていた。


(そんな殺し屋みたいな目で見るなよな……)


 目からの圧力を逸らしつつ、元気は身構える。リードされていることはひとまず忘れて、このラリーを制することだけを考える。先のことを考えると可能性が広がり、いろいろと難しい点が増えていく。それを防ぐために一つずつクリアしていく。今の自分達にはそれしかできない。


(お前等なら、もっと先のこと考えられるんだろうけどな)


 利はまたノーリアクションでサーブを打つ。今度はショートサーブ。元気はシャトルが打たれるのと同時にネット前に詰めていた。そしてラケットをシャトルに合わせて、押し出す。

 だが、シャトルはネットに阻まれて元気側へと落ちていた。


「ポイント。フォーラブ(4対0)」

「ラッキー!」


 大場の気合いの入った声を耳に入れつつ、元気は天井を見上げてため息をついた。今のようなミス自体はたまに経験することだ。そもそもネットをぎりぎり通るような軌道のシャトルを打つのは難しい。ネットに触れれば反則であるため、打つ側としてはラケットはできるだけ動かさないように当てていく。だが、それだとヘアピンしかできないことになるため、強く押し出せるようにラケットワークを磨くのが前衛の役割でもある。

 元気のネット前でのヘアピンやプッシュの成功率は、実力者達の中では高くはない。体に急制動がかかる時など状況によって確率は下方修正される。いつでも同じ精度で打てるかどうか。その差が徐々に現れてきていた。


(なんとかしないとな……)


 元気はシャトルを返しつつ打開策を練る。

 だが、大場と利の壁は元気の前に高くそびえ立つ。


 学年別二年男子ダブルス決勝戦

 4対0で大場・利ペアリード

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