第09話「二位と一位」
「結局、順当な形になったなぁ」
元気は持ってきたタオルをベンチに敷いて寝転がっていた。フロアを照らすライトから少し外れる箇所にいるため、目を閉じれば光を十分抑えられる。体を横にして先ほどまで行っていた試合の疲れを癒していた。
二回戦を順当に突破した元気と田野はそのまま勢いを殺さずに、準々決勝、準決勝を勝ち抜いた。ベスト4での相手は元気達の代わりにジュニア大会全道予選に参加したペア。やはり強く、ファーストゲームを接戦の末に失ったものの、セカンドゲーム、ファイナルゲームでは流れを掴んで勝利した。勝利によるアドレナリンの放出があったとしてもフルゲームで戦ったならば疲れは残る。ベスト4までくると試合が終わった後と次の間のインターバルは自然と少なくなっていくため、決勝戦は四十分後とされていた。
決勝はその四十分でどれだけ疲れが取れるかにかかっている。
今時点ではベスト4の試合から二十五分が経過していた。
「あんまり体、冷やすなよ」
「サンクス」
目を閉じていても分かる、頼れる相棒の声を聞いて元気は手を差し出す。手の形に合わせるようにスポーツ飲料のペットボトルが差しこまれて、元気はそれを掴むと体を起こす。
その時、鉛のような重さが体を覆った。
「ぅいー。疲れた」
「まあそう言うなって。案外、起きてる方が疲れないぞ」
相棒――田野は隣に腰を下ろして、自分も買ったペットボトルに口をつける。眼下に見えるフロアを眺めたまましばらく中身を減らして、話を続ける。
「ようやくリベンジだな。大場達も特に波乱なく勝ち進んできてて」
「でもあいつら……強くなってたな」
「なんだ、弱気か?」
田野の言葉に元気は答えなかった。
自分達の準決勝へと向かう前に少しだけ大場・利ペアの試合を見ることが出来た。その時には、すでに第二ゲームの終盤。元気達の対戦相手と同じく全道大会に行ったペアを三点に押さえていて、ほぼ攻めたてていた。試合運びも、スマッシュやドロップ、ヘアピンなど自在に繰り出していて、その技量が全道大会前とは明らかに違うと分かった。
「そういや、相沢先輩達も全道大会でやけに強くなって帰ってきたよな」
相沢と吉田も一年前、同じ大会に出ていた。そして大会へと出発する直前とはレベルがいくつも違うような強さを身につけて帰ってきたのだ。全道大会。一つ上のレベルの大会というのはそういう場所らしい。
「女子は一年の朝比奈。そして寺坂と菊池。男子は、遊佐か。ほんと、順当だな」
決勝に残った浅葉中の面々を並べる。
男女一、二年でシングルスとダブルス。8種目のうち四つで決勝に進んでいるプレイヤーがいるのだから、おそらく好成績の部類に入るだろう。田野の言葉に返答すると同時に元気は立ち上がる。
「川岸もなー。石田相手に一点くらい取れればよかったんだけど」
「いや……無理だろ……石田と藤本は鉄板だろうな」
元気からすれば二人とも全道を超えて全国までいくのではないかと思うほどの実力者。その二人に割って入る同世代はまずいないだろう。
会話はそこで一区切りとなり、沈黙が横たわる。元気は一度背伸びをするとペットボトルを持ったまま歩き出す。
「どこいく?」
「トイレ」
元気は少し早足で通路を進んだ。体のだるさを早めになくしておきたいためだ。足の痛みは特にない。体力はどこまで回復できるかは分からないが、試合をこなしてきたという条件は、相手とあまり変わらないはず。
ならば、あとは試合でどれだけ最善を尽くせるか。
用を足してトイレから出た後で、周囲を見回す。
(どっかで気合いを入れたいな)
精神的なものでも後々自分を支えるものになる。
試合とは別に気合いを入れるため大声でも出すか、と歩みを進める。総合体育館の一階はメインのフロアの他に小さなサブフロアへと続く道もある。そこは今は使っていないため閉じられており、行き止まり。逆方向を見ると、奥まったところに中庭を見られるようなスペースがあった。そこで一声叫ぶかと歩みを進めた元気は、死角になっていたところに寺坂がいるのを見つけた。
「寺坂。こんなところで何してんだ?」
弾かれたように元気の方向へと向いた寺坂は声をかけられること自体を忘れていたようだった。同じように聞かれれば自分も上手く言えるか分からない質問。寺坂も語尾を濁しながら笑うのかと元気は思ったが、寺坂は少し青ざめた表情で元気を見返し、力なく頷いてから前に視線を戻す。その様子が気になって元気は更に続けた。
「ほんとどうした? 体調悪いのか?」
決勝を目前に控えて体調が崩れるのは辛い。特に寺坂と菊池のダブルスには因縁の相手であり、体調が崩れては勝てるものも勝てないだろう。傍に近寄って焦る元気を見て、寺坂は少し破顔してから呟いた。
「ごめんね……大丈夫。ちょっと、緊張してお腹が痛くて」
「ちょっとどころじゃないだろ、顔色」
寺坂が気を使ってはっきりと言わないのかと、元気は更にたたみかける。寺坂が今まで部長に選手にと頑張ってきているのを同じ立場から見ているだけに他人事ではない。その必死さが伝わったのか、寺坂は頬を緩める。
「ありがとう。少し落ち着いたよ」
その笑みは無理しているものではないと元気は思い、ほっとする。改めて理由を聞くと寺坂は困った顔をしてから言う。
「決勝でまた今村と今北とやるのが……やっぱり、ね。気負っちゃって。今度は勝ちたいって思うと緊張もしてくるし」
寺坂の頭の中にはジュニア大会の地区予選の様子が蘇っているのか。または他の対戦の時か。他校のライバルペアに負けたくないという思いは勝利への原動力となり得るが、強すぎれば諸刃の剣だ。元々考えすぎるきらいのある寺坂は、完全に思考の泥沼に陥っている。その様子を見て元気はため息をつくと、背中を軽く叩いた。
「きゃ!?」
「まあ落ち着けや。死ぬ訳じゃあるまいし」
元気も寺坂の気持ちは分かる。そして、寺坂のように考えすぎるタイプは「死んでしまいそうになる」のだ。ここで落ち着ければ苦労はしない。今、寺坂に必要なものは何かを考える。お互いに部長になった直後、何度か部の運営について相談しあった。最近は忘れかけていた記憶が蘇る。その時にどう寺坂を和ませていたか。
「寺坂も十分強くなってるって。自信ないのは分かるけどよ。もう少し信じろって」
「……そう?」
「なら、俺を信じろよ。あとは菊池とか。自分を信じられないなら、自分を誉めてくれる他人を信じるのもいいんじゃね?」
「それって……竹内が考えたの?」
「んや。漫画で言ってた言葉」
元気の言葉に思わず吹き出す寺坂。元気も笑わせることが目的だったため、満足げに頷く。寺坂はしばらく笑った後で落ち着くと涙目を擦りながら元気へと礼を言う。その後で深く息を吸い、吐き出した。自分の中にあった重たいものを体外に吐き出すように。
「……それにしても、これで一区切りなんだよね」
「?」
気を取り直した後で、元気は呟く。その言葉の意味を元気は計りかねた。疑問に思ったことを素直に聞く。
「一区切りって。まだ団体戦あるだろ」
「あるんだけどね」
元気の言う『団体戦』
地区の学校の垣根を越えて結成された十人一チームの二組が、全道大会をスタートに全国で雌雄を決する。
一年前に第一回が開かれた全国バドミントン選手権大会。
学年別大会が終わった後で選考を兼ねた合同練習が行われ、メンバーが決まる。
去年は元気達は外れて寺坂と菊池。あとは男子シングルスの石田と藤本が彼らの学年の中で選ばれた。全国大会が三月ということもあり、事実上二年生最後の大会となるのだ。
だからこそ、学年別を一区切りという寺坂の真意が分からない。
「私の始まりは、この学年別大会だから。中学で初めて試合に出て、初めて優勝したから」
寺坂は一年前を思いだしているのだろう。
その時、寺坂と菊池は女子ダブルスで一位をとった。そこから一年経ち、いつしか立場が逆転して追われる立場から追う立場となった。ぶつかり合い、負けて、ここまで来た。一年前と順位は違っていても、どれだけ自分が成長できたのか。それを占う大会という意味では確かに一区切りなのかもしれない。
(俺はその時から二位だったからな)
圧倒的な差を付けられて負けた一年前。
今でもたまに思い出す、敗北の瞬間。
そこから一年が経ち、リベンジする相手はシングルスへと移り、自分達を追い越して三位だった大場と利が一位となった。
いつまでも一位を取れないシルバーコレクター。
部屋に飾った銀メダルを見る度に、嬉しいような切ないような気持ちになる。いつまでも二位なのではないかと。
だからこそ、今日が二位から脱する時と決めていた。
「なあ」
元気は自然に口を開いていた。ほとんど意識していないこと。今度こそ一位を取りたいと考えていた中で、口が思考を離れて勝手に話し出す。
「今日、今村達に負けたら俺と付き合うってのはどうだ?」
「……は?」
元気の言葉に、寺坂は何を言っているのか理解できないという顔をして見返した。元気は寺坂の動揺を気にせず、言葉を続ける。
「罰ゲームだよ、罰ゲーム。俺と付き合うことになったら嫌だろ。嫌なことを阻止するためには勝つしかないってな」
「別に……嫌じゃないけど」
「……は?」
寺坂の返答に今度は元気が呆気に取られて口を開けたままになった。そして、自分が今まで何をしゃべっていたのか急に理解して顔が熱くなる。自分はいったい今まで何を言っていたのか。自分の口が意志を離れて勝手に話したかのような感覚。慌てて元気は今までのことを否定した。
「や、やめやめ! 何言ってんだ俺」
「……竹内も大丈夫? 頭沸いてる?」
寺坂は軽口を言って笑う。その笑いは徐々に大きくなっていった。元気は恥ずかしかったが、笑われるのもしゃくに障り何とか逆襲しようと会話の糸口を探る。そこで、先ほどの会話を思い出す。
「と、ところで、どういうことだよ! 俺と付き合うの嫌じゃなって!?」
動揺が言葉に出て噛んでしまう。その様子を見ておかしさに小刻みに肩をふるわせつつ、寺坂は答えた。
「だって、別に嫌いじゃないし。付き合うのは嫌じゃないよ。ただ異性として別に好きじゃないから付き合う理由がないだけだよ」
さりげなく元気にとってショックな言葉を呟いて、寺坂は立ち上がった。顔は晴れやかで、ほんの少し前とは全く顔が違う。腕を上に伸ばして「うーん」と唸り、勢いよく手を振り下げるとそのまま前に踏み出した。
「話し相手ありがと。おかげで緊張解けたよ」
「……そりゃよかった」
「お互い頑張ろうー」
寺坂はそう言って先に駆け出す。元気もゆっくりと後をついていく中で、自分の体の疲れが感じられないことに気づく。寺坂と話している間に頭も体も眠っていた状態から覚醒したのかもしれない。
(ちぇ。あそこまではっきり言わなくてもいいだろうに)
寺坂にとっては自分は完全に恋愛対象外。元気自身、特にそこまで求めている気持ちはなかったが、完全否定されると何となく悔しくなる。だが、あまりに関係ない話をしたからなのか体の力も抜け、頭の中も軽くなる。
「緊張してたのは俺の方だったかもなぁ」
呟いてから歩きだし、入り口付近で軽く体を動かしいながら試合を行えるような状態を整えていく。だるさが抜けてから、今度は試合をするために筋肉を解していく。やがてじわりと汗が体の表面に浮かんできたところで、アナウンスが流れた。
「試合のコールをします。一年男子シングルス、決勝。浅葉中・遊佐君――」
一年男子から順番に名前を呼ばれていく。
決勝は残り八試合で同時に行われる。
一年の男子シングルスから順番に試合がコールされていき、やがてその時がやってくる。
「二年男子ダブルス決勝。浅葉中・竹内君、田野君。翠山中・大場君。利君。第八コートにお入りください」
「よっし、行くか! って、やべ。ラケット……」
名前を呼ばれて一気にフロアへと入ろうとしたが、ラケットバッグが客席にあるのを失念していた。慌てて取りに帰ろうと二階への階段に向かう。すでに呼ばれた選手が小走りで降りていくところを逆走しようとしたその時、田野がラケットバッグを二つ持って降りてくる。
「お前のことだから忘れてると思ったよ」
「サンキュ! さすが相棒!」
「借りは返せよ」
田野からラケットバッグを受け取って早足でフロアに向かう。
扉を開いてから真っ直ぐに自分が試合をするコートへと足を向けた。
走りながら元気は周りを見回す。
選ばれた八組。二十四人。
この場所に立つためにたくさん練習してきた。斜め上を見れば浅葉中の部員達がいる。練習しても、ここに来ることが出来なかった選手達。
そして、元気は、小杉や小浜。重光を思い出していた。成長がいまいち見込めず、試合にもでられない現状に見切りをつけた三人。試合にでることすらないままバドミントンを止めた仲間達もいる。
「どした?」
周りを見ている元気に田野が尋ねる。試合前の時間に余裕はない。早めに基礎打ちを始めるのは基本だ。元気は我に返って田野へ「なんでもない」とだけ言うと田野から離れてネットの逆側に回り込む。
(別に俺らが頑張った結果、ここにいるってだけだ。こられなかった奴らの分まで、とか漫画の主人公じゃないんだし)
基礎打ちを始めると、視界の外に大場と利が見える。
現役のダブルスの中で一位。すでに何度か地区の中では優勝しているためか、決勝にくることが当たり前のように型にハマっている。
その姿を見て内側からこみ上げてくる思いがあった。その思いに元気は身を委ねる。
(最後に、俺らが型を崩す。二位は、もういらない)
二位と一位。その差を埋める時がやってくる。
『諦めるなよ』
相沢の言葉。どんなにピンチになっても相手に付け入る隙は必ずある。
その言葉を胸に刻み込み、元気は田野から打たれたシャトルを手に取った。
「試合を始めます」
協会役員が審判としてコート横に着き、四人はそれぞれの位置へとついた。
二年男子ダブルス決勝。
竹内・田野 対 大場・利。
試合開始。
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