第08話「初陣と経験」

「男子二年ダブルス、試合番号12番。浅葉中、竹内君、田野君――」


 アナウンスがかかった瞬間に、元気は靴紐を一度ほどく。足先の方から交差している部分を上に引っ張り上げ、一つずつ念入りに締め上げていく。

 足首の側に到達したところで、最後に蝶々結びできつくしばり、準備完了。


「しゃ! 行きますか」

「行かれますか」


 元気の言葉に即座に返す田野。気合い十分な元気とそれをいい意味で受け流す田野は小走りにフロアの方へと降りていく。

 階段を抜けフロアへの扉を開くと、今、試合をしている選手達の熱気が伝わってきた。


(やっぱり、上から見てるのとは全然違うよなー)


 何度か線審を務めるためにフロアに降りてはいた。男子三人分減ったことでいつもよりも頻度は多い。だが、それだけに試合モードとそれ以外の時の落差を強く感じた。

 自分達が試合をするコートに入る。相手は翠山中の溝口・宮前ペア。どちらも小柄で男子の中では背が低い元気よりも更に小さいように映った。素早いドライブの応酬をしながら体を暖めている。今までの公式戦では見たことがないため、実力としては二番手か三番手。どちらにせよ、翠山中というところが元気を熱くさせる。


(あいつらも大場達みたいに藤本と打ってるのかもしれないな……)

「油断大敵だぞ、竹内」


 元気が考えていたのと同じタイミングで田野が言う。そのちょうどよさに思わず元気は笑ってしまった。いきなり笑った元気を不思議そうに眺めている田野へと手を上げて礼を言う。


「ああ、サンキュな」


 ネットを挟んで向かい合わせになり基礎打ちを始める。ドロップショットから前に出てのヘアピン。そしてまた後ろに移動してのドロップ。前後への移動を繰り返していくうちに体が暖まっていく。やがてほどよく汗が出てきたところで審判がやってきた。他の一回戦で負けた選手だろう。

 審判がポールの横についた時点で四人とも基礎打ちを止め、田野は元気のいるエンドへと進んだ。二組とも示し合わせたわけでもないのに自然とファーストサーバーのほうへと集まる。

 お互いに準備が整い、元気が一歩前に出で相手のファーストサーバーとじゃんけんをして、負けたことでサーブ権を取られてしまった。


「ドンマイ」

「あいよ」


 田野に軽く返答してから左足を前に出し、右足を後ろにする。自分が一本の線となり、斜め前にいる相手と直線で結びつくように。

 ここまで淡々と動作を続けている自分に、元気はいつも以上に心が落ち着いていることに気付いていた。


「イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」

『お願いします!』


 四者四様の声と共に試合が開始された。

「一本!」と大きな声を出した溝口はいきなりロングサーブを放つ。軌道や飛距離はダブルスで用いるロングサーブとしては、精度が高い。元気は無理せずにハイクリアでシャトルを奥へと飛ばす。その間に体勢を立て直し、次の攻撃に備えるつもりだった。

 シャトルを追っていったのは宮前。スマッシュをするには十分な高さのシャトルを狙いすまし、元気の予測通りに打ってきた。


(――あれ)


 元気はバックハンドで持ったラケットを前に出し、更に一歩前に踏み込む。迫ってきたシャトルを余計な力を入れずにただ当てて、柔らかくヘアピンとなって返り、前にいた溝口も動くことが出来ずシャトルは邪魔されることなくコートへと落ちていった。


「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」


 シャトルを拾おうとした溝口へ、顔の前に手を持っていって謝る仕草をしてから、ラケットをネットの下から通してシャトルを拾う。少し傷ついた羽をしっかりと揃えて元気はバックハンドサーブの体勢を整えた。


「一本!」


 ショートサーブのサインを出しながら叫び、ショートサーブを打つ。溝口は前には出てこず、ロブを飛ばした。全く前に出てくる気配がないことに、元気は相手の傾向を軽く分析した。


(無理しないで、粘ってシャトルをコートに落とすという作戦なんかな?)


 たった一回のロブでそう思ったのは、元気達も似たような戦法を取ったことがあるからだった。もし本当にその通りならば、純粋な実力差が出てくる展開になる。


「はっ!」


 田野が後ろからストレートスマッシュを打つ。ここまでの構図は先ほどの相手と同じ。

 だが、ここからは違った。田野のスマッシュで放たれたシャトルを溝口はバックハンドで捉えようとしてラケットのフレームにぶつかってしまい、コート外へと落ちていた。


「しゃ!」

「ナイッショー!」


 元気は田野とハイタッチを交わして次のサーブ位置に移動すると、今度は宮前が元気を睨む。自分達の思い通りに試合が進まないとにストレスを感じているような顔。対して元気は一回だけ息を吐いて、サーブの姿勢を正した。点差がある時と点差がない時は、特に集中する。


(今の状況だと後半追いかけられるかもしれない)


 そこまで考えて、元気は一度思考を止めた。情報を整理したところで考えすぎないように次のラリーに集中する。考えすぎるようになった元気に対して、吉田が伝えた一つの策。このやり方で以前のように目の前のシャトルに集中していた自分と、最近の考えすぎて上手く動けなかった自分の利点を融合しようというのだ。


(上手く行くか分からないけど……)


 元気は宮前に向けてサーブ姿勢を取る。しっかりと相手の目を見て、更に白帯を出来るだけギリギリで抜けるようにイメージする。

 放たれたシャトルはネットよりも少し浮き気味になり、宮前はプッシュを元気の右サイドに打ち込んできた。打った直後に上手く反応できず、シャトルの後逸を許したが、そこには田野がカバーに入っている。


「そのまま!」


 田野は声を出すと同時に、元気の姿をブラインドにするようなクロスへのショットを打つ。ネット前に落ちるように加減された軌道。宮前は元気の体によって隠れたシャトルを見つけるのが遅れ、ヘアピンを打つのが精一杯だった。


「はっ!」


 そのヘアピンも不十分な体勢で打ったためにネットから浮き上がる。それは、元気にとって打ちごろとなり、前に飛び出してバックハンドプッシュで叩き込んだ。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」

「しっ!」


 元気は振り返って田野とハイタッチ。

 たった二点だが、今までの自分達とは違うところが見え始める。


「竹内。気づいてるか?」

「……なんとなく」


 サーブの間は長い時間の会話できない。田野の言葉に最小限の回答をしてから、元気は次のサーブに入る。ショートサーブを打つと溝口がプッシュを打ってきた。宮前はストレートだったが、溝口はクロス。しかし、元気は自分の目の前を通り過ぎようとしていたシャトルの軌道に、ラケットを合わせた。

 打たれたシャトルに対して、シャトルを打った時のバックハンド持ちのままでラケットを動かして打ち返す。角度がつかなかったためにドライブが宮前へと飛ぶことになり、宮前は速度についていけずにシャトルを見送った。


「ポイント。スリーラブ(3対0)」


 元気は自分のラケットを眺めてから次のサーブ位置へと入る。

 今のシャトルも確かにタイミングは早かった。だが、元気にはシャトルが通る軌道が見えた。打たれるその瞬間、シャトルがどういう軌道を通るかということが見えて、自分の届く軌道に合わせてラケットを振った。


(速いのに慣れたから……これくらいの速度だと見えるんだ)


 相沢と吉田との試合。相沢の大砲のような後方からのスマッシュに、前衛での吉田の驚異的な反応速度によるネット前。点は簡単に取られていき、逆に自分達の弾道が低いショットはほぼ叩き落とされた。住んでいる速度の世界が違うと感じていた練習の間。

 今、おそらく相手がそう思っているだろう。

 元気達と相手ペアとの間には隠しきれない速度の差がある。


(練習の成果は、生きてる)


 次のサーブを打つ。今度はネットの上ぎりぎりを通る軌道となり、プッシュはされずロブを上げられた。後へ移動した田野は勢いよく腕を振り、インパクトの瞬間に止める。押し出されたようになったシャトルは平行から斜め下へと弧を描いて相手のネット前の着地点に落ちていく。スマッシュの動きをフェイントにされたため、宮前は前に出るのが遅れてしまい、シャトルを拾えなかった。


「ポイント。フォーラブ(4対0)」


 元気は小さく気合いを入れて次のサーブへと進む。そこに田野が近づいてきて相手に聞こえないようにと顔を傍まで寄せてきた。


「竹内」

「ん、なんだ?」

「サーブ。荒いぞ。これくらいの相手ならいいけど、大場達には通用しないぞ」

「……分かってるって……っと」


 話していたところにシャトルが返されて、元気は慌てて受け取る。田野が不安そうに視線を送っていたため、元気は更に言葉を続けた。


「分かってるよ。なかなか良くならないかもしれないけど、それまでフォローよろしく」

「お前な……分かったよ」


 田野は呆れた思い笑いつつ後に下がる。腰を低くして元気のサーブの後、シャトルが打ち込まれた際に即座に反応できるように集中力を高めた。

 田野の表情の意味は何となく分かった。試合をしているコートの中では、外から見えない奇妙な繋がり、がある。簡単に言えば、相手の考えていることが分かる、ような気がする。

 本当に分かっているわけではないのかもしれないが、練習時や普段の生活時よりも、予測通りに互いが動いていることが多かった。


(俺もお前が取れるって信頼してるぜ)


 元気は息を一つ吐き、目の前の相手に集中させる。シャトルが通る軌道を明確にイメージ。自分は、そこにシャトルを通してやるだけ。


「一本!」


 気合いの声と共にシャトルを打ち出す。空間に描き出した軌道を進んでいくが、少し外れて浮き上がる。元気はラケットを掲げて前に詰め、溝口の打つコースを限定させた。

 溝口は元気のラケットをかわすような軌道でシャトルを打ち込む。そこにはすでに田野が構えていて、バックハンドで強打する。シャトルの先には宮前がいたが、シャトルの速度に反応できず、腕に当たって弾かれていた。


「ポイント。ファイブラブ(5対0)」

「しゃ! このまま行くぞ!」

「応!」


 元気の咆哮に重ねる田野。

 そこからは圧倒的なワンサイドゲーム。元気の前衛の反応速度と田野の後衛からのスマッシュ、フェイントに溝口と宮前は対抗できず、着々と二人は点を取っていく。

 そして――



 * * *



「ポイント。イレブンスリー(11対2)。マッチウォンバイ、竹内・田野」


 一ゲーム目、二ゲーム目を共に11対2で勝っていた。終わった後で元気と田野は二人で大きく息を吐いた。


『ありがとうございました』


 四人で握手を交わし、コートを出る。勝者のサインを終えたスコアを持って、審判が溝口達のところへと向かう。それを視界に収めながら、元気はラケットバッグにラケットを詰めて背負った。


「あ、寺坂達も終わったみたいだぞ」


 田野の言葉に視線を別のコートに移すと、寺坂と菊池が自分達と同じように勝者サインをしていた。互いに第二シード。その一試合目に負けてはいられない。


「……なあ、あいつら。優勝できるかな」


 元気は言ってから口を押さえる。全く言うつもりのなかった言葉が口をついて出た。そのことに自分でも訳が分からない。田野はその元気の様子に気づいたのか、軽く笑って返す。


「さあな。ただ、あいつら。この前の試合の時は、鹿島杯の時に比べてだいぶ競ってたはずだし。今回はいけそうな気がする」


 秋に行われた市内大会『鹿島杯』では惨敗。

 その次のジュニア大会地区予選では惜敗。

 ジュニア全道大会では二回戦負けだが、それはライバルである今村と今北も同じ成績だ。試合を見ていく中で、二組の差はそこまでないように元気には見える。だからこそ、負けているのはそれ以外の差なのか。

 では、その差を埋めるのはなんなのか。

 元気は言葉で言い表すことはできないが、その「なにか」を二人は持ち始めているように思える。


「俺達も、いけそうな気がする」

「俺達は違うだろ」


 田野は一度言葉を切って歩き出す。試合を終えてフロアを出ようとしてる寺坂達に追いつこうとしている。言葉の真意を聞こうと元気も慌てて追っていった。


「おいおい。俺達はじゃあなんなんだよ!」

「俺達はいける、だろが」


 田野はそう言って振り返る。その表情に冗談はなく、心の底から自分達が勝てると信じている。


「練習までの俺達ならいけるかも、だったけど。今の俺達ならいける。大場と利に思い知らせてやろうぜ」

「……なんで今の俺らなら?」

「気合いの違い」


 田野にも明確な根拠はない。それでも純粋に勝つと信じている。勝つと信じて、勝つために何をしたらいいかと考えているのだろう。女子も同じ。そこまで月日は経っていなくても、寺坂も菊池も成長している。相手もまた同じだけ成長しているかもしれないが、そこで止まるわけにはいかない。追いつき、追い越すまで。


(よし。やったるか)


 すでに田野は先を歩いている。寺坂の隣を歩いている菊池のところまで追いついて、隣に並んで話し始めた。それを見て、元気も笑うしかない。


「あいつも、クールに見えて彼女好きだよな」


 きっと菊池達も勝てると言いたかったのだろう。本人は否定するだろうが。そう思うことにして元気はフロアに出る扉まで来る。その扉を開けようとしたところで、逆サイドから開いた。


「あ、竹内だ」


 扉を開けて出てきたのは大場と利。声をかけてきたのは大場だ。すでにユニフォーム姿で臨戦態勢に入っているからか、朝とは口調まで変わっている。試合かと尋ねようとしたところで試合のコールがされる。大場と利の名前とコートが呼ばれると、ちょうど今、元気達が試合をしたコートだった。


「決勝まで来いよな!」


 大場だけ話し、利は頭を下げるだけ。そのまま元気の逆を辿るようにコートへと向かう。その背中を見ながら元気は決意を新たにする。


「今日は、勝つ」


 二年男子ダブルス。

 竹内・田野組。二回戦突破。

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