第07話「変わらないものと変わるもの」
開会式が終わり、早速試合開始のアナウンスが流れる。第二シードの元気達は二回戦の最も遅い時間からのため、しばらく観戦にまわることになった。
一年の男子シングルス、女子シングルスと名前を呼ばれて次は二年の男子シングルス第一試合。そこで川岸の名前が呼ばれた。
「なんとか勝ってくるわ!!」
「行ってらー」
「てきとう!?」
元気の投げやりな言葉に反応しても、すぐに川岸はフロアへと向かった。基礎打ちの相手として田野が一緒についていく。見送った後で同じ小学校出身だったということを思いだしつつ、元気は川岸の試合を見られる位置に歩いていった。川岸の試合は十二あるコートの内の七番目。壁際で少し見づらい場所だ。
(相手も同じだろうけど……どうなるかな)
川岸は初心者から着実に力をつけてきた。
油断しなければ一回戦も負けないはず。手に持っていたプログラムを開いて相手の名前を見ると、明光中の下田勇気という文字が目に入る。それは小学校で同じクラスにいた男子と同姓同名だった。
(まさかな……下田って太ってたし、運動神経悪かったし)
二年遡ればまだ小学生だったにも関わらず、元気にはもう遠い過去のように思えていた。それほどまでに中学以降の勉強や部活、学校行事での刺激は大きく、それまでの自分の世界とは全く違っていた。
物思いに耽っていると田野と川岸がコートにたどり着き、打ち合いを始める。それに少し遅れるようにして明光中のゼッケンをつけた男子がやってきた。一人は中学で購入する中学特有のTシャツ。その背中に「下田」と名字が入ってたゼッケンをつけていた。
(いままで試合に出たことなかったんだろうな)
試合機会がない場合、ユニフォームも用意が間に合わないケースもある。その時はほぼ無地の白いTシャツにゼッケンというのも認められていた。ユニフォームが、中学生が着るには少し値段が高めということもあるが。
つまりその白Tシャツが自分の知っている下田なのかもしれない、と元気はじっくり見てみる。
ちょうど元気に背中を向ける形で基礎打ちを始めた下田は、スムーズなフットワークでコート後ろに下がり、ドロップを打つ。そこから前に出て、返ってきたシャトルをヘアピンで返し、また後ろへ戻っていく。
その一連の動きを見ただけで、元気には下田の力量がある程度見て取れる。第一シードの下に入る割には少し実力が高い。基礎打ちの間は問題ないが、試合の中では体力がなかったり、上手く打てなくなったりするのかもしれないが。それまで試合に出たことがなかったとしても、練習で急激に成長して実力をつけた可能性もある。
(油断大敵だぞ、川岸)
元気が心の中で川岸へとエールを送った。
二組に遅れること数分で審判がやってくる。中学の大会は敗者審判制であるため、この試合の次は負けた選手が審判を行う。第一試合と決勝はバドミントン協会の役員が審判を務めることになっていた。
「練習を止めてください」
審判の声に田野と相手側のパートナーがコートから出て、そのまま線審に入った。そして川岸と下田が互いにいる側のコート中央へと歩み寄り、握手を交わす。
そこからじゃんけんで川岸がサーブ権を取ると、下田はエンドの変更を申し出る。元気と下田の居場所が変わった時、元気にも下田の顔が見えた。
(……やっぱり、同じ下田かも)
少し遠目なので自信はなかったが、下田の顔は元気の記憶にあるものと重なる部分はあった。その頃よりも、だいぶスリムになっていたが。まさか見るはずがないと思っていた場所で見てしまった昔の友人の姿、元気は不思議な感覚に陥った。
心臓が少し鼓動を速めたところで審判の声が聞こえる。
「イレブンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』
元気の動揺を余所に、試合が始まった。
川岸がロングサーブで飛ばしたシャトルに追いつく下田の動きはやはりスムーズだ。そこから放たれたスマッシュは十分に力がこもったもの。まだ体勢が十分な川岸もとっさにラケットを出して打ち返すのが精一杯だった。だが、そのシャトルがコートに落ち、まず一点が川岸へと入る。元気から見ても川岸がほっとしているのが分かった。
(いいのが来たけど……次からどうなるか)
下田のほうには特にショックがないようだった。つまり、川岸が今のスマッシュを取れるかを試したのだろう。次からはまた他のショットで揺さぶってくるはずだ。
(それくらい考えてるとしたら……川岸は負けるかもしれない)
点数が少ない序盤では、各自どんな戦力を持っているのか探るのが定石。それはあくまで、ある程度以上のレベルのプレイヤー間で行われる。川岸は最近ようやくシングルスの試合でも様になってきたような状態だけに、そういった駆け引きをするにはまだ早い。
だが下田はもしかしたら、そういった駆け引きができる程度には強いかもしれない。
「一本ー!」
少し間延びしたようにも聞こえる川岸の声。そしてロングサーブ。下田はシャトルの下に着くと再びストレートにスマッシュを放った。先ほどと同じ軌道のシャトルを捉えた川岸はストレートに打ち返す。更に下田はスマッシュをクロスで打って、川岸はサイドに走っていく。シャトルに追いつくとバックハンドでネット前にシャトルを落とした。
そこに詰め寄ってきた下田だが、ラケットが届く前にシャトルはコートへと落ちていた。
「ポイント。ツーラブ(2対0)」
下田はラケットでシャトルを拾い上げて、川岸へと返す。その表情はやはり変わっていない。
(……なーんか変だな)
元気は違和感に首を傾げる。様子を見ているようで、実は本当に届いていないだけなのかもしれない。混乱してくる頭を一度リフレッシュして、逆に川岸の動きに注目してみた。
まだ序盤の二点だけだが、川岸の動きはいつもよりも良いように見える。このままの調子が続けば、いけるかもしれない。
「川岸、一本ずつ行こう!」
外から見て心配しても、結局どうするかは川岸自身にかかっている。ならば、少しでも後押しするように応援するだけ。
川岸は元気の方を振り向いて頷いてから、サーブ姿勢を取る。そのまま何度か深呼吸をして気息を整えた上で、しっかりと言い放った。
「一本!」
高く上がったシャトルは飛距離が足りない。しかし、下田は遠くにくると予測していたのか、前に慌てて移動してハイクリアを打つ。予想とは違う軌道でシャトルが来ることに対応しきれていない。
川岸はシャトルを追って強引に飛び上がって体を入れると、フォアハンドのままハイクリアを打った。バックハンドで遠くへ打ち返すのは技量が必要で難しいため、今の川岸のように打つプレイヤーも多い。しかし、川岸のプレイは引退した相沢のものによく似ていた。
相沢と吉田に憧れて中学からバドミントンを始めた川岸。成長度は一番低かったが、今、ここで試合をしているだけでも、辞めていった小浜や小杉、重光よりも進んでいる。諦めなかった結果が、ここにある。
下田からのハイクリアをスマッシュで打ち込む。下田はバックハンド側に来たシャトルをクロスに打ち返す。シャトルの速度には慣れているらしく、そう簡単に通さないという雰囲気が見て取れた。それを川岸も分かったのか、追いついたシャトルを次にはドロップで前に落とす。飛距離が短いストレートのドロップ。下田は前に詰めてヘアピンで落とした。川岸は打って着地してからすぐ前に移動していたため、難なく追いつきロブを上げる。シャトルに追いついた下田はストレートにスマッシュを放つ。
(ずいぶん、分かりやすいよな)
川岸の右側。下田から見て左側を重点的に狙っている。隙を作るのにたまにクロスへと打つが、ラリーの組立は川岸の右側から入っていた。そういう癖なのか狙いなのか、判断材料は増えていく。
元気は頭の中でできるだけ客観的に情報を整理する。声援に交えてアドバイスが出来ないことはないだろうが、あまり詳しくも出来ない。何より、今の距離だと相手にもバレる。
(一番いいのは、あいつ自身が気づくことなんだけどな)
何度目かの相手のスマッシュを打ち返した後で、逆にスマッシュを打ち込み得点する川岸。相手の無表情とは対照的に嬉しそうにシャトルの羽を整えている。外からの心配を余所に川岸は「一本!」と大きな声で言うと力の限り打ち上げた。
同じようにシャトルを追い、スマッシュを打つ下田。
だが、そこで今までと違うことが起きた。
「はっ!」
川岸はバックハンドで持ったラケットを前に出し、更に自らも前に出た。その結果、今までよりも数歩分だけ早くシャトルに追いつき、相手コートに返る。そのカウンターに下田は反応できず、シャトルを見送った。
「ナイスショット!」
元気も思わず口に出し、川岸へと送った。今までのタイミングから読んだのか、タイミングも軌道もドンピシャリ。点を取られた下田も初めて動揺した顔を見せて、すぐに頭を振っていた。切り替えを行ったのだろう。更に川岸のサーブ。同じように「一本!」と叫んで勢いよくラケットを振り、インパクトの直前でぴたりと止める。その結果、シャトルは最小限の力で弾かれて相手コートへと入っていく。後ろめに構え、更に後ろに移動していた下田は下半身が追いつかずにシャトルを取れなかった。
(あいつ……自分から先に仕掛けたか)
様子見に徹しているように見えた下田を分析して、川岸が先に動いた。
得点は5対0。
十一点ゲームではすでに中盤に入っている。そのことを分かっているからこそ、下田も焦り始めて表情に出しているのだろう。川岸はサーブ位置に構えて下田がレシーブ体勢を整えた瞬間にシャトルを打ち上げる。大きな弧を描くサーブよりも弾道が低めのドリブンサーブ。アウトになる危険もあったが、それを考慮してか偶然か飛距離は短い。下田は強引にスマッシュを放ったが、ネットに邪魔をされてしまい、また川岸に点を献上する。
焦りが焦りを呼ぶ光景に、元気は少し安心する。このゲームはおそらく取れるだろう。油断は禁物だが、川岸には心配ないことだ。
「一本ずつー!」
再度、声をかける。一本ずつ集中して取っていけば、最後には勝つ。それは相沢や吉田が言っていた言葉だ。苦しくなると先を気にして遠いと感じるが、それはその場の一点の積み重ねだ。どんなに辛くても、どんなに時間がかかっても、最後の一点を先に取れば自分達が勝つ。
だからこそ、相手がマッチポイントを迎えても諦めない。
理論上で言えば、10対0からでも逆転は可能。それを川岸は忠実に守る。憧れている先輩の言葉だからこそ。
「一本!」
川岸が七点目を取りに行く声を聞いたところで、元気は自分のところへと走ってくる一年生女子が見えた。自分に用があるという予想は当たり、少し切れた息を整えながら元気へと言う。
「すみません、竹内先輩。ラインズマンお願いします!」
試合に出る人間が重なった結果、各校一人ずつ出す線審が足りなくなったということだった。特に浅葉中は二年生が三人辞めている分、いつもよりも少ない。元気は了解の返事をして歩き出す。
(頑張れよ、川岸)
最後にちらりと川岸の様子を見てから、その場を後にした。
* * *
「勝ったー!」
控え席に戻ってきた川岸は開口一番そう言った。元気は気づかれないようにほっと息をつく。
自分が線審に駆り出されてから戻ってきても、川岸の試合は終わっていなかった。何がそこまで時間をとらせたのかと思ったが、また見に行こうとしたところで試合が終わっていた。握手をして勝者のサインをしている川岸を見て、勝ったのだと分かってほっとした。息をついたのは実は二回目だったのだ。
「あ、そうだ。相手の下田ってやつが竹内によろしく言っておいてって。知り合い?」
「……ああ。同じ小学校のやつだよ。おんなじ名前とは分かってたけど、やっぱり同じやつだったんだな」
元気は下田と川岸を見て思う。
時間が経っていろいろと変わっているのは自分だけではなく、川岸も、下田も同じように変わっていく。
「ずいぶん苦戦したみたいだけど。最初の方は押してたよな。どうした?」
「第一ゲームはあっさり取れたんだけど、第二ゲームでいきなりねばり強くなってさ……俺の苦手なコースばかり狙ってくるようになってきて。打っても先回りされたみたいに追いつかれてカウンター喰らったり」
やはり最初のほうは川岸の弱点を計るために打っていたのだ。しかし、下田の予想以上に川岸が粘り、弱点にも何とか対応したことで勝ったのだろう。
自分もまた、川岸の実力を過小評価していた節があると気づき、気づかれないように頭をこづく。
(ほんと、諦めないことが、力になる)
相沢と吉田から受け継がれた言葉を心の中で呟きながら、元気は思いをはせる。
今日の自分は常に昨日の自分よりもよい自分。そこを目指して諦めずに進めば、きっといい結末が待っているはず。
下田も一瞬分からないくらいの風貌へと変わっていた。バドミントンをして痩せたのだろう。川岸も入部したての頃は学校の周囲をランニングするだけで息を切らして、その後は何も出来なかった。それが、一試合を苦戦して終わっても息が多少切れているくらいで動けなくなることはない。
進み続けていれば変化は必ず訪れる。
自分達にもそれが訪れることを確信しつつ、元気はコートへと視線を向けた。徐々に試合が消化されていく様子に体の奥底からこみ上げる闘志。体が震えて早く試合がしたいと叫びたくなるのを押さえた。
元気と田野の試合まで、あともう少し。
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