第06話「試合当日と挑戦の始まり」

 ピピピピピ……と無機質な電子音が連続して鳴り響く。

 元気はゆっくりと目を開けて体を起こすと隣に置いておいた携帯を手に取った。時刻は六時半を指していて、電子音もそこからだ。元気は目覚まし機能をオフにしてベッドから降りて体を伸ばす。足は地上へ。手は空に向けて伸ばすように。


「いててて」


 体を覆う倦怠感と筋肉痛。試合の前日までハードな練習をしていたためであり、寝る前に湿布は貼っていたが筋肉痛はまだまだ残っていた。

 それでも試合の前に体を暖めて行けば痛みも消えていく。どういう理屈か元気には分からないが理由はあるらしいので気にしていなかった。


『諦めるなよ』


 前日の練習が終わった後に相沢に言われた言葉を思いだす。

 結局、吉田と相沢は毎回の練習に顔を出して練習につきあってくれた。曰く、練習がない日に倍勉強しているとのこと。シングルスもダブルスも、時間が空けば自分達や遊佐、更に他のメンバーを相手にしてくれた。どれだけ体力があるのか元気には理解できないくらい、二人は部活の中で誰よりもコートに立っていた。

 その中で、徐々に元気と田野も点を取れるようになってきた。最後の試合では、相沢達が体力消費していたことを加味しても、二ゲーム併せて十二点までは取れるようになった。実際には、それでは話にならないのだが、最初の状態を考えると劇的な進歩だ。


(今日の試合……絶対勝つ)


 自分の諦め癖を自覚してから毎朝続けていること。

 バドミントンや学校の授業で何かしら目標を上げて、それに挑むこと。理想が高くて諦めそうになることを克服するために自分に課したものだが、今日の目標はけして高いところにあるわけではない。手を伸ばせば、そして高く飛べば届くのだ。


「しゃ!」


 元気は寝間着から部屋着に着替えて、気合いを入れるために頬を張ってから部屋から出た。

 勝負の時。学年別大会の朝に元気は踏み出した。



 * * *



 晴れ渡る空に、夏よりは弱いが届く太陽光。そして周りには白い雪。周囲の白さが反射してくる光が眩しくて、元気は目を細めながら皆の到着を待っていた。

 時刻は七時半。あれから一時間も経たない間に支度をして、わざわざ親に試合会場である総合体育館に送ってもらった。そして誰もいない現状。いつもの開場からは三十分ほど間がある。まさか誰もいないとは思わずに元気は少し萎えていた。


(気合い入りすぎて早く来すぎたとか……子供か)


 考えてみれば試合の日でも起きるのはあと三十分は遅かった。どうして今日に限って早いのかを振り返ると、いつもよりも試合をしたくてたまらない自分がいることに気付く。そんなふうに心が躍るのはいつ以来だろうかと元気は考え込んだ。何しろまだしばらくは誰も来ないだろうから、思考の時間は十分あった。そうして自分の心の中へと深く潜っていく。そうすると、やがて一つの結論にたどり着いた。


「そうか。ちょうど一年前の学年別か」


 一年の時の学年別大会。学年別ということで各校の代表枠の幅が広がったために、初めて出場できた公式戦だった。前日の夜はテンションが上がり、今日に近い状態だったことを元気は思い出す。

 それから練習試合や、公式戦。合同練習によって校外で何度かシャトルを打ったが、その時には今のような気持ちはなくなっていた。学年別を終えたことで自分の立ち位置が見えて、心のどこかでずっとそのままなのだろうと思ってしまったのかもしれない。藤本と小笠原ペアに大敗した学年別大会から、何度も勝つと口で言ってきた。しかし、心のどこかでは勝てないと決めつけていて、気持ちだけは持っていようと逃げた。そして、気持ちも抜け落ちてただの言葉だけが残った。


「今度は、本当に、勝つ」


 自分の中でなくなっていた気持ちを、改めて言葉に流し込む。今までよりも力強く張りのある声と感じて、元気は笑った。単純な自分の思考に。

 思考に一区切りが付いたと同時に、駐車場の入り口の方から歩いてくる影が見えた。ゆっくり歩いてくる姿は浅葉中の誰かとは一致しない。そうすると他校ということになる。自分一人で他校の生徒と二人きりという状況は余り歓迎しないなと心の中でため息をついた。人影が近づいて誰かが分かると更に気分が落ち込んだ。


「あ、竹内君」

「……おっす」


 にこやかに高めの甘い声で話しかけてきたのは、大場 湊(みなと)だった。翠山中のかつての第二ダブルス。現在は第一ダブルスとして自分達の世代のトップにいるうちの一人であり、一年前にこの大会で倒した相手の一人だ。


「ずいぶん早いね。他の人も早いの?」

「俺は早く来すぎたの。大場もそうなんじゃね?」

「俺はいてもたってもいられなくて、早く来たんだよ」


 大場は屈託のない笑みを浮かべ、元気はそれにげんなりした。

 大場は天然と呼ばれる人種だった。

 試合では闘志を前面に押し出して何が何でもシャトルに喰らいつき、相手を攻めたてるスタイルだが、そこに力を使う為なのか試合以外では全く雰囲気が異なっている。

 小学校低学年にも見えそうな緩んだ顔と軽い天然パーマな髪の毛。二つ合わさっていると、全体的にふんわりとした雰囲気も強まる。同学年では童顔に入るため、同世代からもマスコット的な扱いを受けているらしい。

 自身でも分からないが元気は気に入られていて、試合の合間や大会が終わった後に話しかけられる機会が多かった。マスコット的な扱いに対する愚痴までも聞いている。


「まあ家も近いしね。今日はやっぱり第一シードかな。生まれて初めてだから緊張するよ」

「藤本と小笠原はダブルスに戻るつもりないの?」

「そうみたい。でも、未だに一ゲーム取るのが精一杯なんだよね。ダブルスとして身近に目標があると嬉しいよ」


 既にダブルスから抜けた二人は、自分達でいう相沢と吉田の立ち位置。しかし、違うのは先輩と同輩。後者の方が接する機会も多いし、試合もしやすいだろう。こうして差が付いていくのかとも考えるが、そこは何かしら考えて逆転するしかないのだろう。


「今日は俺らが勝つからな」

「うん。楽しい試合をしよう!」


 闘志をぶつけてもするりと躱される。それも試合前と試合中の違いだ。試合中だと倍のプレッシャーを跳ね返されてしまう。

 元気はふと気になったことを尋ねた。


「楽しい試合って、大場はどんなのだ?」


 時間がまだあり、他の浅葉中の面々が来るまでの場繋ぎの意味もあって会話を続ける。大場はそう問い返されたことが意外とでも言うように目を丸くして首を傾げる。そして少し考えた後で言った。


「そりゃ、一点を争うようなスリリングな試合でしょ?」

「……そうかい」


 元気は半ば予想していた答えが返ってきて、会話を止めてしまう。そういうスリリングな試合は出来るだけ経験したくはなかった、と少し前までの自分は思っていたのだろう。圧倒的に勝つか、負けるか。普通に勝つかしか最近は経験できていなかった。先輩達のように実力が拮抗していてなかなか勝負がつかない展開になる前に、試合は終わっていたのだから。

 だが、今の自分は違う、と元気は思っている。

 今の自分ならば大場を満足させることができるだろうか。


「利(とし)もきっと同じ気持ちだよ」


 相棒の名前を出して目を輝かせる大場。元気はその眩しい笑顔を直視できず「分かった分かった」と手であしらった。どちらにせよ、強敵であることは間違いない。最近の試合を優先的に反映するため、第一シードは間違いなく、大場・利のペアだろう。第二シード以降は、ジュニア予選の結果が反映されていれば元気達は落ちているに違いないが、それでも竹内は第二シードだろうとは思っている。前回は自分のせいで不戦敗だったのだ。今回で白黒つけさせてもらえるはずだ。


(その、はずなんだけど……あ)


 元気が自分で思ったことに自信がなくなったところで、また駐車場入り口付近に人影が現れた。今度は複数人。そして女声が混ざってうるさくなった空気が届く。自分のところか、他の中学の女子達だ。また雪の反射光で顔は見えなかったが、光の中に背が低い女子が一人混ざっているのを見て、浅葉中のバドミントン部だと分かった。

 目視できる距離まで近付いてきた女子の中で、背が低い女子――寺坂が元気へと声をかけてきた。


「あ、おはよう竹内。大場君もおはよう」

「おはよう寺坂さん」


 挨拶をして笑う大場に寺坂以外の女子が黄色い悲鳴を上げる。そこから順次おはようと大場へと声をかけてそのまま話しかける女子が殺到して、自然と元気は外側に押し出された。そんな光景が展開されるのは分かっていたため、元気は少し前と同じ種類のため息を付いた。


「相変わらずの人気だね」

「他校の生徒にこれだけ絡んでるの初めて見たぜ」


 集団には加わっていない寺坂が元気へと話しかける。しかし心なしか頬が赤い。冬の寒さの中を歩いてきたにしては赤さが多かった。


「そう言うお前も照れてるんじゃね?」

「あ、分かる? さすがにあんな顔で挨拶されたら誰だってドキッとするよ」


 そういうもんかね、と誰にともなく呟いて元気は入り口の中を眺める。体育館の事務員が行き来していろいろと準備が進んでいるのが見て取れた。早めにきてしまって大場と話したことで一度萎えた闘志に再度火が灯る。


「寺坂。今日はお前等も絶対勝てよ」

「……んー、約束は出来ないけど頑張る」


 自信を持って言葉を返せないのは、寺坂の脳裏に勝つべき相手の姿が再生されているからだろうか。

 何か言葉を続けようと口を開いた元気だったが、同じタイミングで体育館の入り口の鍵が開く音がした。そして事務員が扉を開けて、中にはいるよう促した。時刻は七時五十分。時間は十分ほど早いが、外で待機していることでの影響を考慮したのだろう。元気はタイミングを失って彷徨った言葉を飲み込むと中へと入った。



 * * *



 観客席に自分達の陣地を作り、選手達全員で体育館の床にコートを白線テープで描く。一通りの作業を終えてまた客席に戻ってきた時には庄司が全員分の試合スケジュールを持ってきていた。元気はそれを開いてすぐに自分達の位置を確認する。ダブルスのトーナメント表の左上、第一シードは大場と利。そして右下の第二シードは――


「ほっとした?」


 後ろから田野に話しかけられても元気はただ頷くだけ。

 第二シードの位置には竹内・田野の名前。そして第三シードと第四シードはそれぞれジュニア大会全道予選に出たペアだ。


「最低でも二位確保しないとな」

「何言ってんだ。一位だろ」


 田野の言葉に反論して、元気は他の部員の位置も確認していく。二年女子ダブルスは寺坂と菊池が第二シード。そして一年女子シングルスでは朝比奈が第一シード。そこから戻って二年男子シングルスでは。


「え、まじか!」


 元気と同じタイミングで試合プログラムを見たのか、川岸は心から落胆した声を出していた。


「第一試合からで、しかも勝っても石田とだ……」


 第一シードの下に配置された川岸。一度勝つと、自分達の世代で最も強いプレイヤー、清華中の石田哲治と当たることになる。元気は気になって庄司に石田のジュニア大会での成績を聞いた。


「先生。石田ってこのまえの全道大会って何位だったんですか?」

「石田は三位だった。あそこは小島といい、シングルスが強いやつが集まっていくんだな」


 一つ上の世代の最強プレイヤーの名前が出てくる。同じ中学だけに納得のいく順位ではあった。市内ではなく全道で三位。広い北海道の中で多数の実力者が出てくる中での三位。石田の実力は推して知るべし。


「あとはな。竹内にはショックだろうが、藤本も三位だ」


 元、ダブルスでのライバルの名前があがって元気はついに掌で額を覆う。全道大会は一位と二位が全国に行くため、いわゆる三位決定戦は省略される。つまり、順調にいけば決勝の場では全道大会でつけられなかった決着をつける試合となるはず。

 藤本にそれだけの力があったのなら、シングルス転向は時間の問題だったのだろう。そして全道ベスト4の実力を持っているプレイヤーとのダブルス練習で力を付けている大場と利。いろいろと過去のことを振り返った後で、元気はプログラムを閉じた。


「しゃ。強い奴がみんなシングルス行ってるんだし。ダブルスで勝つ」


 その言葉に庄司も田野も呆気に取られていた。そこまで変な発言をしたかと二人を交互に見るが、庄司は少し笑ってその場から離れる。意味深な笑みを浮かべられた当人として、元気はどういうことだと田野に言う。田野もまた同じような笑みを浮かべて答えた。


「なんか、一年前くらいのお前っぽかったぞ。今の」

「……そうか?」

「ああ。言うことは言うけど実力足りなくて空回ってた頃に」

「それ、けなしてるよな」


 田野は悪い、と笑いをおさめないまま謝る。その様子に元気はため息を付くが、自分もまた顔が笑みの形を作っているのに気づく。


「そうだな。今は……どうだろ」

「前よりは有言実行できるんじゃないか?」


 田野の言葉に元気は軽く拳を田野の左肩口に当てる。


「勝ったるか」

「ああ」


 元気は「よし!」と気合いを入れ直すとラケットバッグを持ってフロアへと駆け出す。後ろから田野も何も言わずについてくる。視線の先にはすでに練習を開始している他校の生徒。その中に、かつてのダブルスライバルだった藤本と小笠原。そして現ライバルとして戦っている大場と利の姿も見える。自分達にはない強さを持っている他の学校の選手達。全て含めて、元気は決意する。


(目の前の相手を全力で倒す。それだけだ)


 竹内元気。中学二年次の学年別大会。

 一年前の自分への挑戦。

 一年後のライバルへの挑戦が今、始まる。

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