第05話「失ったものと取り戻したもの」
「寺坂菊池組は二回戦負け。朝比奈はベスト8。これが全道大会の結果だ」
部員達が床に座り、庄司が前で結果を報告する。
先週の土日を使って行われたジュニア大会全道予選。そこに出場してきた三人の結果を部活前に報告する。
庄司の左隣には寺坂と菊池。そして朝比奈が並んで立っていて、それぞれの表情を浮かべていた。寺坂と菊池は少し気恥ずかしくて早くひっこみたいというもの。朝比奈は無表情の中にかすかに悔しさをにじませたようなもの。早くまた練習したいという貪欲な気持ちが浮かんでいる。
(なんか先週からそういうの気づくな)
当人自身からというよりは、当人が纏う体の周りの空気から気配が出ているような錯覚だ。不思議な感覚だがどうしてそんなものを感じ取れているのかは分からない。朝比奈の様子を見てから自分を顧みる。
元気は、相沢に言われたことを心の中で反芻した。
『今のままじゃ勝てない』
それは当たり前だ。だからこそ庄司が相沢や吉田に相手になってもらえるように頼んだのだから。
元気は数日前を振り返る。
元気と田野は相沢と吉田相手に三回ゲームを実施したが、すべてラブゲームに終わっていた。慣れるどころではなく、完璧にやられた。ブランクがあるはずの相手にとことん手も足も出なかったのだ。最終的に吉田も「今のお前等じゃ練習相手になる気もならん」と言って先に帰ってしまった。
相沢も「もう少し相手になるんならもっと来るけど、今のところ週一くらいかな」と告げられた。
学年別の試合は一月の最終週。週一ならば、もう三回しか練習できないということになる。
(それは困るんだけど……実際、あそこまで手が出ないんじゃな)
庄司が話を終えたのか、全員で寺坂と菊池と朝比奈の健闘を称える。軽く拍手を送るのに合わせて元気も拍手をし、立ち上がる。するとそこを見計らったように扉が開いて相沢と吉田が現れた。女子がまたざわつく中でも庄司は手を叩き、練習を開始するように言う。各自、練習するために準備をする中で、元気は吉田に近づいて言った。
「週に一度じゃ、なかったんすか?」
「まだ週に一度だぞ。今日駄目だったら本当に週一度かな」
吉田なりに元気にチャンスを与えているらしい。そのチャンスの対象は元気と田野であるが、厳密に言えば自分のみだろうと元気も分かっていた。吉田達の怒りの矛先が自分。田野は二人に対して十分渡り合っているように見えたからだ。自分だけが、四人の中で何かが足りてないために遅れをとっている。
(何が足りないんだろ)
実力が足りないことは分かっている。だが、田野と自分はそこまで差はない。それでも田野にあって自分にない物があるから差ができてしまうのだろう。
自分の思考をまとめられないままで、元気は部活へと入っていった。
* * *
「ポイント。フィフティーンスリー(15対3)。終わり」
吉田がカウントを告げてコートから出る。元気は軽く息を切らせつつ、ありがとうございました、と呟いてコートから出た。するとどっと疲れが出てコートに座り込む。後からついてきた田野も壁に寄りかかって上を向いた。元気よりもかなり汗をかいて、息を切らしている。
「大丈夫か? 攻めてたもんな」
「ああ……すご……く…………つかれ……た」
田野がいつになくスマッシュやドロップなど後衛らしく攻めていたことが幸いしてか、今回は三点取れた。だが田野の特攻にも等しい攻撃は隙も体力消費も大きく、終盤には完全にバテて動けなくなっていた。田野が必死になっても三点なら、また何か考えなければいけない。
(でも攻撃は通った。相手も別に壁ではないから、攻撃を仕掛けていけば隙はできる。そこを狙う。言うのは簡単なんだけど……)
元気も田野と同じように背中を壁に預ける。隣を見ると、田野は上を向いて口を魚のようにパクパクと開け閉めしながら酸素を取り入れていた。その様子に、元気も違和感を覚える。
(いくら何でも、疲れすぎじゃね?)
自分は疲れてはいるが、体力がまだ余っている。後衛から攻め込むためにスマッシュを多用したことで田野の方が疲れているというのは確かに分かる。だが、自分とあまりにも消費量に差があることに元気は気づいた。
自分達と入れ替わりで試合を始めている遊佐の様子を見る。対戦相手は朝比奈。久しぶりに見た朝比奈は大会の二日間でまた強くなったのか、序盤から遊佐を寄せ付けない。より鋭くなったドロップとスマッシュで遊佐を翻弄していく。得点は遊佐が0点のまま進んでいくが、点数に対して試合時間は長い。自分達が同じ時間ならばどの点数までだったか、と元気は思い出す。
「遊佐もめちゃくちゃ喰らいついてるよね」
声を発したのは、いつしか隣に立っていた川岸だ。自分もまたシングルスであり、レベルの高い二人の試合を見て何かを吸収しようと、たまにコートの二人に合わせて体を動かしている。そうして動いている間に元気に話しかけていた。
「そりゃ、ダブルスと違って一人しかいないしな」
「でも、あれだけ角にも打たれてたり、スマッシュ打ち込まれてるのに何とか返してるから凄いわ」
見ていると、確かに朝比奈に翻弄されてはいても、なかなか得点はさせない。一つ一つのプレイで追いつけていないツケが、最終的にきて追いつけなくなる。たとえば、一つのショットでシャトル四分の一個分追いつけていないなら、四回打てばシャトル一つ分の差がラケットとシャトルの間にできる。そうなれば、取ることはできずにシャトルはコートへと落ちてしまうだろう。
遊佐の場合はその差が目に見えるレベルではないため、実際に打ち損じが起こるまでの時間が長く、ラリーの長期化に繋がっている。実際には、途中で完璧に追いついて打ち返すということもあるから、そのために必死になってシャトルに追いつき、打ち返している。
その中で、どう打てば相手の隙をつくことができるかを試行錯誤しているのだ。様々なことがシャトルが相手から打たれてからコートへと落ちる前までに行われる。
(俺は……どうだろ)
自分のダブルスの試合を振り返ってみる。
分析は大分出来てきている。前衛にシャトルが来た時も、後ろに行ったときも、自分のラケットが届く範囲で打っているはずだ。けして諦めているわけではない。
それなのに、届かない。
「そういや、竹内ももう少しで追いつけそうなんだけどって時あるよね」
「え、マジで?」
川岸の言葉は元気にとって全く想定外だった。今までそのことに関しては問題ないと思っていただけに、川岸の言葉に耳が痛くなる。元気の内心の動揺には気づいていない様子で、川岸は思ったことをただ口にしていく。
「外から見てるとさ。田野よりも竹内のほうが諦めるのが早いのが分かるよ。というか、なんか田野よりも動くのが遅いっぽい」
「遅い……俺が?」
「うん。動きだしが遅いから取れないんじゃないかな。って、俺が毎回そう言われてて早くしようって思ってるから、気づいたかもしれないけど」
元気は改めて自分の記憶をたどる。しかし、川岸に言われているようなことは全く意識していなかった。自分が意識できていなくても、他人から見た光景というのは事実。そう考えると、また違った視界が見えてくる。
(次のショットはどれかとか、思ってる内に。動き出しも遅くなるし、動きも遅くなるからシャトルも取れない……だから、追いつけない)
川岸の言葉から本当の自分を分析しようとする。そこに第三者の声がかかる。
「竹内。少しシングルスするか」
相沢が笑ってラケットを肩口に乗せながら言う。元気はその姿を一別してからラケットを手に立ち上がった。
(ダブルスの俺にシングルスやろうって言ってくるんだから……相沢先輩は何か教えてくれる?)
何の意味もなくシングルスをやるとは元気には思えない。だからこそ、挑んでみる。田野が疲れているのに自分だけ、体力がある程度以上回復している現状にも恥ずかしさがあった。田野と同じくらい疲れていないと、相棒に悪いという思い。
「シングルスだと、勝てると思うか?」
「まさか」
相沢の言葉に元気は素直な気持ちを伝える。
シングルスで強いプレイヤー同士が組んでこそ、ダブルスも強くなる。吉田と相沢は卒業しない限り、浅葉中バドミントン部の最強プレイヤーだ。自分が勝てるとは元気は思っていない。しかし、その回答に相沢は軽くため息をついて言う。
「あのな。今のままじゃ、勝てないぞ」
ダブルスで最初に負けた時にも言われた台詞。
全く同じ台詞を言われたことで、元気の中にちくりと痛みが走る。頭の一部に突き刺さったそこからじくじくと痛みが広がっていき、元気は少しだけ怒りが沸いた。
「そんな分かってること何度も言わないでくださいよ。相沢先輩達に勝てないのは当たり前でしょ」
「なんでそう思うんだよ。俺らはもう引退してるんだぞ」
「高校に入ってからも続けるからほとんど休んでないでしょ。そんなに実力落ちたとか謙遜しないでくださいよ。むしろ嫌みです」
そこまで言って元気は相沢から離れる。そのままじゃんけんのために右手を突き出すと相沢はなにも言わずに応じた。
じゃんけんは相沢が勝ち、サーブ権を取る。
「フィフティーンポイントでワンゲームマッチな」
「了解です」
相沢に合わせて頷き、試合が開始された。相沢から放たれたシャトルは大きく弧を描いて元気のコート奥までしっかりと届く。真下に回り込むと、ひとまずハイクリアをストレートに打った。スマッシュを打っても返されるビジョンしか見えなかったからだ。
シャトルは狙った場所に綺麗に飛び、元気はコート中央に腰を落として身構えた。おそらく相沢ならばストレートのスマッシュで来るだろうと、かすかに右側に体を傾ける。
「はっ!」
大砲から打ち出されたかのような音を引き連れてシャトルがストレートに突き進む。元気は予想通りの軌道にラケットを差し出してクロスに大きく打ち返した。相沢はすぐにシャトルを追い、またしても下に潜り込む。
(速っ!)
最小限の動きで元の位置に戻れた元気だったが、次に来たのはまたしてもストレートのスマッシュ。最短距離を突き進むシャトルが元気の目の前に叩きつけられた。
(……速いなぁ)
思わず見とれてしまうほどに相沢のスマッシュは速い。元気は目の前のシャトルをラケットですくい上げて相沢へと渡した。と、そこで相沢の表情が不機嫌に染まっていくのが見て取れる。自分のふがいなさに呆れているのかと元気もため息をついて次のレシーブ位置に歩く。そこで、コート外から声がかかった。
「竹内ー! 諦めるなって! ラケット出しなよ!」
川岸が言っている言葉。
それに聞き覚えがあって元気はタイムを取った。試合形式で練習はしていても試合ではない。相沢も了承して構えを解く。その間に川岸へと近づいて元気は疑問を口にした。
「その言葉、聞いたことあるんだけどなんだっけ」
「なんだっけって……いつも俺の試合で言ってるだろ、竹内が」
「俺が……?」
その瞬間だった。
元気の中でぼんやりとしていた物がはっきりと映し出される。更にバラバラだったパズルが一つ一つゆっくりと、確実に組合わさっていく感覚。元気は川岸に一言礼を言うと、レシーブ位置に戻った。
「タイム、もういいか?」
尋ねてくる相沢にすぐに頷く。今、掴んでいる感覚をすぐにでも実戦したいために早く試合を再開したかった。
「じゃあ、ワンラブ(1対0)」
相沢がカウントを告げて、ロングサーブを打つ。元気はクロスのハイクリアでシャトルをコート奥へとシャトルを飛ばし、コート中央でシャトルを待った。相沢は難なく下に回り込み、スマッシュを放つ。それを元気はクロスで打ち返し、再び中央へと陣取った。
ここまでは、先のラリーの再現。次から、元気の試したいこと。
(――ここだ!)
相沢からスマッシュが放たれる。それは先ほどのコースとは異なり、元気から離れるように打たれた。だが、元気はそれについていって、ラケットを伸ばす。
「この!」
強引に振ったラケットはシャトルを捉え、ストレートに打ち返す。崩れた体勢を立て直す頃には相沢もシャトルに追いついていて、バックハンドで打ち込む体勢。とにかく中央に戻ろうとしたが足は動かない。
「はっ!」
相沢はクロスドライブで元気のいない方向にシャトルを打ち込む。元気はそのシャトルが見えた瞬間、自分の動きの軌道が見えた。そして、待ち受ける結末に抗おうと叫び、足に強引に力を入れて、飛び出す。
「うぉおおお!」
ラケットを伸ばして追いかけるも、今度はシャトル一個分届かなかった。シャトルがコートに落ち、元気は飛んだ勢いを殺すためにコートの外まで走っていく。Uターンして戻ってきてシャトルを拾うと相沢へとシャトルを飛ばした。
「今度こそ、ストップです!」
「足りないもの、分かったみたいだな」
元気の言葉に対して、相沢は柔らかな笑みと言葉で返す。
シャトルに届かなかったにも関わらず、相沢の顔に先ほどまでの不機嫌なものはなかった。それどころか元気の行動に満足して、笑みを浮かべている。相沢の言葉に元気は頷き、答えた。
「俺、諦め癖がついてたみたいですね。先輩達にも、藤本達にも。利達にも」
客観的に自分を見れていなかった。それを川岸の言葉から自覚して、何が足りないかが分かった気がした。それを試そうと同じラリーにして、取れなかったショットに直面して、見えたのだ。
シャトルを見送っていた自分が。
早い段階で『対応できない』と頭の中で分析して、ラケットを出すことを止める。その考えを力でねじ伏せて、とにかくラケットを出し、更にシャトルを追いかけた。結果、一つラリーは続いた。その後の一撃も結果的に間に合わなかったが、それでも足と手を動かして、何とか届かせようとした。だから相沢は満足したのだ。
「入学した時の竹内とずいぶん違うから心配してたけど、やっぱり駄目だったな。だから何か気づいてくれればと思ってシングルスしたんだ」
「入学……?」
「最初に来た日に俺に喧嘩売ったろ?」
相沢の言葉に元気は過去を振り返る。
中学一年の入部当初。相沢はダブルスは強いだろうがシングルスはそこまでではないと高をくくって、元気はシングルスで戦いを挑んだ。その結果はぼろ負けだったが、シャトルを沈められる度に悔しがり、どうしようか試行錯誤したものだった。
「今のお前は視野も広がったし、いろいろ考えられるようになったけど。その代わりに、諦めも早くなってた。少なくとも試合はラケット出せば何かが変わるんだから、いろいろ考えて勝手に未来を決めつけるのは、駄目だぞ」
「……そう言われると全部先輩に諭された感じなんすけど」
相沢に自分が考えたことを全て言われたことで元気は不快になる。最も、その不快さは今まで自分で気づけなかったことが大半を締めているが。
「続ける? シングルス」
「……止めていいですか? ダブルスに集中したいんで」
元気の言葉に相沢も同意して、試合は終わった。田野を見ると立ち上がって軽く柔軟をしている。ある程度体力は回復したようだ。
「すまん、田野」
「いいよ」
全て分かっていたのか、元気と同じように分かっていなかったのか田野の態度からは分からない。しかし、元気は一つ、吹っ切って相沢へと告げた。
「残り期間、どっかで絶対勝ちます」
「その意気その意気」
相沢はそう言うと休憩しにその場を離れた。その背中に元気はさりげなく頭を下げる。面と向かって頭を下げることが、今までよりもしゃくに障ったから。
「いっちょやってやろうぜ、田野」
「ああ」
田野と拳を合わせて元気は決意を新たにしていた。
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