第04話「サプライズと怒号」
「しゃ! ナイスショット!」
田野のスマッシュが綺麗に相手コートに決まって、元気は相棒へと叫ぶ。田野は親指を立てて返した後に次のサーブを打つべく、サーブ位置へと進んでいく。元気は後ろにまわって腰を落とし、田野のサーブを待った。相手は一年のダブルスペア。年が明け、次の学年別大会に向けての練習だったが、得点は十三対三。元気と田野が相手だと、あっさりとシャトルがコートに落ちてしまい、お互いに練習になっていなかった。そのことは元気も分かってはいるものの、遊佐は年始の家族旅行で休み。女子も、寺坂と菊池。そして朝比奈はジュニア大会全道予選のために地元から移動していた。付き添って庄司が向かったため副顧問の多向しかおらず、その多向は一年女子相手にノックをしている。
「これじゃノックとかの方がいいよな……」
「でも試合感は試合しないと付かないぞ」
サーブを打つはずだった田野が目の前で話しているのを見て、元気は自分が予想以上に試合から意識を話していたのだと気づく。相手のダブルスもモチベーションが下がっているのが見て取れた。ある程度以上の実力の開きに何とかしようとしているが、技量不足もあり元気達を攻めるにはいたらない。
「どうしようかね」
悩んでみてもこれと言った打開策は思いつかない。そのまま試合を終わらせてから、ひとまず一年ダブルス同士で試合をするように言うと、元気と田野は一度コートの外に出た。その場しのぎは可能でも、すぐに限界はやってくる。一年ダブルスが試合を始めたのを見て田野が呟いた。
「ひとまず、一年同士なら大丈夫そうだな」
一年ペアの実力は拮抗していて、どちらが勝ってもおかしくない。勝負に何かペナルティをつけて勝つことに集中させれば自ずと勝つための試合をするだろうし、試行錯誤する手が相手に通じている達成感もある。その感覚を得られれば更に成長していけるはずだった。
「じゃあ、後は俺らと遊佐か」
「遊佐の相手としてなら俺らでもいいけど、俺らの相手とするとやっぱりダブルスじゃないか?」
田野の指摘は一つ一つ、正しい。
シングルス対ダブルスをしているのも、結局は遊佐の練習相手となるためだ。やはりダブルスの練習相手はダブルスしかない。そのために、自分達よりも強いダブルスと試合をしなければいけないが、その相手がいないのだ。
思考の袋小路にさしかかった時、体育館のドアが開く音がした。反射的に視線を向けると、そこには二人の男子が立っている。
田野は呆気に取られて二人を見るだけ。元気も唐突な登場に思考回路が停止した。
「あ……え!?」
それは最近忘れていた立ち姿。
かつて目の前にあり、追いかけていた背中。
髪の毛は二人とも元気が覚えていた時よりも伸びている。バドミントンをするために片方はスポーツ刈り。もう片方は五分刈りとシンプルな髪形だった。でも今は少し伸び気味で、そのことが確かな変化を感じさせる。
「久しぶりー」
「元気にやってるか?」
傍に歩いてきた二人が交互に元気と田野に声をかける。そこで思考停止から回復した田野が慌てて返事をした。
「お、お久しぶりです。相沢先輩、吉田先輩」
相沢武と吉田香介。
今、最も欲している自分達よりも強いダブルス。
近年の浅葉中で最強ダブルスが突然現れた。
「え、あの。何で来たんです?」
元気はまだ回復しきれておらず、声も裏がえり気味だ。その様子に相沢が笑って答える。
「あー、半分は受験勉強の息抜き。もう半分は頼まれたから」
「庄司先生が竹内と田野の練習相手になってくれって言ってきたんだよ。俺らの受験勉強を邪魔しない範囲って制限付きで」
相沢に続けてスムーズに答える吉田。その引き継ぐタイミングも自然で、元気には引退しても二人のペアはまだ色あせていないと感じる。スポーツ推薦が決まっているのか一般入試で高校に行くのか正確なところは聞いていないため、元気は勉強に邪魔にならないかと一瞬考えたが、今は沸いて出てきたチャンスに食らいつこうと決めた。
「あ、じゃあ……練習相手お願いしたいんですが」
「おう。いいよ、やろう」
そう言うと相沢と吉田はラケットバッグを床に下ろして準備運動を始めた。待っている間に元気の中には期待と不安が入り交じっていた。
(今の自分達の力がどこまで通じるんかな)
インターミドルの時を思い出す。
精一杯応援したその背中は市内でも次々の激闘を制覇した。全地区、全道……と続いた先は出場する選手だけしか見ることが出来なかったため分からないが。その結果を後で聞いている。正直なところ、今の元気達が戦える相手ではない。
(でも、引退してからブランクはあるはずだし……確か市民体育館で練習してるってのも聞いたことあるけど。それでも勉強と平行なら量自体は減ってる)
元気が考え込んでいると答えを出すように吉田が言った。
「ああそうだ。俺らもさすがにインターミドルの時の実力はないからな。ただ、なるべく勘は鈍らせないように打ってるから、お前等の相手にとして不足はないよ」
「吉田先輩達で不足とかおかしいっす」
反射的に言葉が砕ける。三年がいる間は使っていたはずなのに、いつしか元気なりに丁寧な言葉遣いになっていた。もう以前の状態が違和感を覚えるほどに。
「よし……んじゃ、やりますか」
吉田と相沢は空いているコートに向かって歩き出す。手にはすでにシャトルを持っていて、基礎打ちをしてから試合を始めるのだろう。元気も田野と一緒にコートへ行き、半分を使って基礎打ちを始めた。するとそこに女子部員が集まってくる。
「吉田君。久しぶりね」
「多向先生。お久しぶりです」
副顧問の多向も部員達と共にやってきて、距離的に近かった吉田へと話しかける。打ちながらでも気にせず答える吉田に、多向は続けて言った。
「来るのは庄司先生から聞いてたから、これからどんどん宜しくね」
「勉強の妨げにならなきゃいくらでも」
「そうよねー。あ、せっかくだから練習一ゲーム見学させてね」
その多向の言葉の後ろに並ぶ女子部員達。朝比奈と寺坂、菊池を除いた女子部員達が相沢と吉田のダブルスを見ようと集まっている。
(しゃれにならんって……これでぼろ負けしたら逆に怒られそう)
先ほどの一年ダブルスとの試合を思い出す。あまりに実力差があれば、試合にならない。現役時代では全く、ではないが相手にはならなかった。
(そういえば……どうだっけ)
自分達がどれだけ相手にならなかったのか、という具体的な記憶を思い出せない。公式な試合で対戦したことはなく、練習では何度も試合をしたはずだが、インターミドルの市内予選の後は強化練習の名目で二人は校外で練習していた。結局、そのまま練習で試合をすることもなく引退したのだ。直前の記憶が強く、ただ相手にならなかった、という結果だけが強く元気の中に残っている。
(とにかく、昔は昔。今は今か。どうにかがんばろ)
息と共に緊張も抜ける。なるようになるしかないのならば、目の前の問題を片づけるしかない。女子が見てようと見てまいと、結果はそこまで大きく変わらないだろう。
「うし。じゃあ、試合するか」
相沢と吉田の言葉に元気達は頷く。そのまま、田野が元気のサイドへ。相沢が吉田の傍へと歩き、自然とペアで臨戦態勢が整う。元気と吉田がじゃんけんをして、元気がサーブ権を取って構える。
(まずは……一本。ショートサーブ)
ネットを挟んで向かいの吉田に向き合った時、元気は背中から汗が出るのを止められなかった。喉も乾き、体は更に固くなっていく。まるで周囲の空気が自分を締めあげてくるような錯覚。得体の知れないプレッシャーに、元気は呻く。
「竹内?」
後ろから田野が心配そうに声をかけてくる。すでに試合を始める声はかかっている。あとは元気が打てば始まるのに、硬直したまま動かないのだから。
元気はサーブの姿勢を保ったままで息を吐き、吸う。そうすると体の固さが多少は取れた。
「だ、大丈夫」
もう一度、吉田の視線と自分のそれを交差させる。体を固くする錯覚の原因は、吉田から来る圧力だった。ほんの数ヶ月前までは練習の度に味わっていたのに、少し離れただけで体は忘れてしまっていたようだ。実力がある者から発せられる何か。自然と頭の中でイメージが具現化し、自分の体に影響を与える。これに抗うには、まずは気持ちで負けないことだ。
「一本!」
元気が吼えて、ショートサーブを打つ。それはネット前に綺麗に弧を描くが、前に突進してきた吉田がプッシュを打ち込む。元気の中でもベストサーブにも関わらず、コートに強く打ち込まれてしまった。
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
いつしか審判を始めた多向が言っているのを背に、田野が落ちたシャトルを拾って吉田へと返す。どんまい、と元気へと声をかけてきたのに対して、元気も曖昧に笑って返した。
(今のをあそこまで打たれるのか……凄いよな)
ネット前ぎりぎりの位置での強打はリスクを伴う。
ネットにラケットが当たってしまえば反則で、もしショットが決まっても無効となる。そのラインを見極めて、微細なラケットワークの処理をすることで強打も可能になるが、それには経験値と研ぎ澄まされた集中力が混ざりあうことが必要だ。両方とも、現役から離れた吉田や相沢には存在していないだろうと元気は思っていた。
(もし現役の時より弱くても……俺らよりよっぽど強いわ)
元気は苦笑いしつつ、レシーブ体勢を取る。サーブを打とうとする吉田からの圧力は更に重さを増しているように元気には感じた。ショートサーブには神経を最大限に使う、最も繊細なショットであるからこそなのだが。
元気は無理せずに後ろに打ち上げることを心に決める。
すると、急に吉田からの圧力が弱まった。
「一本」
静かに呟いて、吉田はショートサーブを放つ。元気は当初の予定通りきたシャトルをロブでコート奥に打ち上げる。そこに相沢が回り込み、ラケットを振りかぶる。
「うおおおっら!」
相沢は飛び上がり、高い打点でスマッシュをストレートに打った。放たれたシャトルは真っ直ぐに元気の目の前の床に着弾した。構えていたラケットを、元気は全く動かすことができなかった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
女子のほうから黄色い悲鳴が上がる。特に一年女子はほとんど三年と絡む機会もなかったために、相沢と吉田の試合を間近で見るのは初めてだ。自分達と次元が違う強さということを今のラリーで理解できたのだろう。
(スマッシュも速くなってる気がする……いや、俺らが遅さに慣れたんだな)
より速いスマッシュ、威力あるスマッシュを打つプレイヤーが元気達の身近にいなくなった。一つ上の世代は相沢や、翠山中にいわゆるスマッシャーが存在した。相沢の他、スマッシャーと呼ばれる人種のスマッシュは、速く、そして強い。相手に「打てない」と思わせる力が内包されていた。
今の自分達の世代は速いスマッシュを打つプレイヤーは他校で思い当たる人物は何人かいるが、シングルスプレイヤーにしかいない。結果、元気達はスマッシュに対して経験不足となる。
「ほら、竹内。次の位置ついて」
田野から促されて、元気は田野の背中を見るような位置につく。サーブは吉田から田野へと打つ形。田野は前傾姿勢で前に飛び出すように構えた。ショートサーブを打つように誘っているように元気には見える。
(でも、誘っても誘わなくても。吉田先輩は、来る)
吉田はショートサーブを打ってきた。田野は読み通りと前に出るが、シャトルがネットぎりぎりを通過してくるためにラケットを強くは振れず、ふわりとした軌道で相手コートに落ちていく。それを相沢が拾ってロブをあげた。後ろに移動した元気がシャトルの少し後ろへと回り込んでスマッシュを放つ。狙うのは今、シャトルを打ち上げた相沢。ストレートに目の前へと落とすのは自分がやられたことの再現。もう一つは、真正面は意外と取りづらいという経験則から。
相沢はシャトルをバックハンドで捉えて低い弾道で打ち返す。そのシャトルを打ち落とそうと田野がラケットを伸ばしたが、僅かに届かずにシャトルは再び元気の元へ。
(クロスで――!)
バックハンドの体勢で右腕を後ろに持っていくように体をひねる。飛んできたシャトルに照準を合わせて、右腕を解き放つ。タイミング良く打ち抜かれたシャトルは逆サイドへと突き進んだが、そこに瞬時に移動した吉田がバックハンドでシャトルを叩き落とした。
「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「やっぱり駄目か……」
吉田の動きは元気の想像の範囲内だった。吉田だけではなく相沢も、今までのラリーで感じた中では、実力の低下は見られない。実際には実戦の感が鈍っているに違いないのだ。去年の八月中に引退して今は一月。単純に考えても五ヶ月経っている。その間に練習はたまにしているとはいえ、普通に部活をしている自分達よりもしているはずがない。
それでも、元気は確信する。
今の自分達では「実力が落ちている」という差を分かるレベルにはならないと。
「うっし。次、一本」
相沢の声がネットを挟んだ先から聞こえてくる。
(まずは慣れ、かな。勝つより)
一ゲーム使って、今の吉田と相沢の戦力を分析する。それから一点ずつ取れるようになる。今後の練習の展開が頭に浮かんだところで、元気はいきなり大きな声で名前を呼ばれた。
「竹内! やる気ないのか!?」
声に視線を向けると、吉田がサーブ姿勢を解いて元気を睨み付けている。試合を見ていた女子達も、試合をしていた一年男子も急な怒号に怯えて硬直していた。
先ほどから熟考すると時間を忘れてしまう。今までなかったことに自分でも驚きつつ、吉田には悟らせないように咄嗟に用意した嘘を言った。
「すんません。どうも朝から体調いまいちで――」
「今のままじゃ勝てないぞ」
その声は鋭く、小さく。そして確かな怒りと共に元気の耳へと入ってきた。
声の主は吉田ではない。相沢のほうから。
声を発した相沢自身からは、元気は怒りも、その他の感情も感じられない。それでも、元気には相沢の周りに怒りが堆積しているような気がしていた。相沢の表情のかすかな変化、空気の変化を感じなければならないようなものが。
自分の唾を飲む音が、やけに耳の奥で響いた。
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