第03話「手に入れたものと無くしたもの」

「ぷはぁ。疲れた」


 元気は二人用の狭い机に突っ伏して机の表面を自分で覆った。すぐにウェイトレスがやってきたために、田野に無理矢理起こされて水が入ったコップを置くスペースを確保する。二人とも同じチョコレートパフェを頼んでウェイトレスを下がらせてから、元気は机の背もたれに体を預けて体をだらけさせた。田野は顔をしかめつつ言う。


「だらしない格好止めろよな」

「だってよぉ。遊佐の強くなる曲線半端なくね? それを思ったら俺もぐにゃりとしたくなるわ」

「……意味分からんけど意味分かる」


 互いに外から見ればよく分からない単語を言い合って、ため息をついた。それは落ち込んだことによるものではなく単純に感心したから出たものだ。

 部活の試合形式の内、ほとんどは遊佐との試合に費やされた。元気達のダブルスはまだしも、遊佐のシングルスは他の一年男子では全く歯が立たず、二年の川岸も同様だったため、女子の朝比奈が時間空いた時以外はシングルス対ダブルスの変則試合。更に、一番最後に行った試合では十二対十五とかなりギリギリのところまで追いつめられていた。


「一日でハンデの点減ったな」

「逆に五点じゃなくてよかったよな」


 試合が近くなって遊佐のギアが変わったからなのか。あるいは順調に成長しているからなのか。この勢いだと、ダブルスでも勝てなくなる時がくるのは早いかもしれない。


「朝比奈がいるからまだ練習は大丈夫だろ。朝比奈も女子の中で一人レベル違うんだし、遊佐が強くなれば自分も練習になるだろうから」

「朝比奈さんがどうかしたの?」

「うわっ!」


 急に入ってきた第三者の声に驚いて、元気は田野の後ろを見た。そこには見知った女子が二人。自分達と同じようなラケットバッグに冬コート。下から見えているのは学校指定のジャージ。端から見れば明らかに同じ部活の仲間だった。


「菊池」

「恭平君。今日もお疲れ」


 女子の片方――菊池里香が嬉しそうに田野へと声をかける。田野も心なしか顔が緩んでいて、その様子を見た元気は深いため息を一度つき、椅子を立った。


「あれ?」

「菊池。ここ座れよ。俺は隣に行く」


 周りを見ても、今の時間は空いているのか離れた場所に数組しかいない。元気がすぐ隣の席に水を持って移ると菊池は申し訳なさそうに元気がいた場所へと座った。必然的に目の前にはもう一人。


「いいとこあるじゃん」

「ダブルスパートナーには優しくしとけってな」


 元気の言いように、寺坂知美は笑う。同世代よりも童顔で下の年齢に間違われそうなほどで、実際に少し幼くおどおどとして頼りないところがあった。

 だが実際に今の時点で話してみると、雰囲気がだいぶ落ち着いてきたと元気は思う。

 部が新体制になった当初は同じ部長としていろいろと相談しあっていたが、最近はその会話もなくなった。男子は二年生三人が同時に辞めたことを除けば今まで目立った波乱はなく、女子は引継後から少し前までいろいろ問題があったものの、一つずつ解決していった。それに伴い、寺坂にも皆をまとめる貫禄がついてきたらしい。

 その自信が表に出てきている。


「そういや、ちゃんとおめでとうって言ってなかったな」

「なにが?」

「ジュニア大会の道内予選のこと。頑張って来てくれ」

「ありがと、なんとか先輩の後はついていきたいよ」


 ちょうど元気と田野が注文したパフェを持ってきたウエイトレスに、寺坂も同じものを注文した。元気は先に、と断ってからスプーンで生クリームを掬い取る。隣を見ると田野ははみ出ている部分だけを取って、菊池の口に運んでいた。自然ないちゃつきから目を離し、寺坂に次に言われるであろう言葉を予想して先に言ってやる。口調はほんの少し不機嫌そうに。


「ここのおごりは無しな」

「えー。それ、お祝いじゃなくない?」

「全道で三位に入ったらおごってやるよ」


 しれっと高いハードルを設定する。元気よりも先輩達の後を追うといつも言っている寺坂にはちょうどいい目標だ。だが、その言葉によって寺坂も頭を抱える。


「そうなんだよね……正直、今のままじゃ厳しいなって思ってて」

「やっぱり今村達に負けたからか」

「二位出場も十分だと思うんだけど……差を詰められてるとは思ってないしね」


 市内の現在の実力分布を元気は脳裏に思い浮かべる。

 元気達の浅葉中の他、明光中、翠山中、清華中の三校が市内にあり、それぞれの中学に実力者が何人かそろっている。

 浅葉中では男子なら元気と田野のダブルスが市内では二位と、一年の遊佐のシングルスが今のところ四位。

 女子は寺坂と菊池のダブルスが市内二位に、一年の朝比奈美緒のシングルスが一位。男女共に実力者が一人一組ずつ存在することになる。

 あと、実力者と呼ばれる主だったメンツは明光中には女子ダブルスの一位ペア、今村と今北。清華中には男子シングルスの一位である石田。翠山中は男子ダブルスの一位の大場と利ペア。シングルスの二位・藤本がいる。

 自分と田野にとっての目下のライバルは翠山中のダブルスの大場と利ペアだ。


「俺らだけだもんな……市内のシードで今回のジュニア大会出てないの」

「仕方がないでしょ。誰にだって体調不良の時はあるもの」

「女子も?」


 元気の質問にすぐ答えようとして寺坂は顔を赤くした。会話の展開を読んだのだろう。元気に「馬鹿」とだけ言って軽く叩く。

 元気は笑いながらそれを受け止めて、場の空気を沈めようと真面目に言った。


「お前等が行ってる間にこっちももう少しマシになっとくさ。先輩達も全道でめっちゃ強くなってたんだし、お前等も行けるんじゃない?」

「そうだね……頑張るよ」

「おう」


 それからしばらく、元気はパフェを食べることに集中する。桃華堂のパフェは安くてボリュームがあり、更に美味しいというだけあり、市内でも圧倒的人気を誇る。元気達も疲れた体と頭に癒しを与えるため、食べることも多かった。やがて女子二人にもパフェが目の前に並べられ、いくつか会話を交わしつつも食べることに集中する。

 そして先に食べ終えた元気はスプーンでちまちまとパフェをつついている寺坂を見ながら思った。


(いいよな……寺坂達は)


 自分の中にある嫉妬心が浮かび上がってくる。

 寺坂と菊池のダブルスは今は二位とはいえ、一年の学年別大会では同世代で一位となったことがある。更には、先輩達と共に他校の選手からも選抜される団体戦にメンバーとして選ばれ、補欠ではなくちゃんと出場した。

 寺坂は先輩の後を何とかついていく、と言って満足していないようだが、端から見れば結果は一つずつ出ているのだ。

 対して自分はどうかと元気は振り替える。

 一年の時の学年別大会は、当時の翠山中のトップダブルス、藤本・小笠原ペアに大敗しての二位。二年になってのインターミドルも三年生の壁が厚くてベスト8。代替わりして最初の市内大会「鹿島杯」では、藤本のシングルス転向でダブルス一位不在だったにも関わらず、学年別大会で三位だった翠山中の大場・利ペアに負けて二位だった。

 元気自身、成長を感じているため全く成果が出ていないということではないが、その成長が他校の――翠山中のダブルスよりも緩やかなのは確か。


(どっかでヒヨってるだけなんだろうけど……どうしたらいいだろ)


 寺坂と自分の差は必死さだと元気は考えていた。

 必死になって先輩の功績に近づこうと努力している者と、強くはなりたいが明確な目標はなく、あくまで先輩は先輩。自分は自分の元気。差が付くとすればそこしかないはずだった。ならば必死になればいいと頭のどこかで自分が告げる。しかし、その反対側に立っている自分は告げる。才能の差、という言葉を使って。


(才能の差っていうのだともう仕方がないし……どうしたらいいんだろうな)


 考えようにもすぐに答えが出てしまい、それ以上考え続けることができない。考え尽くしてぼんやりしていると、他三人もパフェを食べ終えたようだった。そこで田野と菊池が立ち上がる。


「じゃあ、先に帰るわ」

「じゃねー、トモ」

「二人ともお疲れさま」


 田野と菊池が去っていくのを眺めていると、寺坂が笑う声が耳に届く。視線を移すと、同じように二人を眺めて、少し笑っていた。その幸せそうな表情を見て元気は心臓が跳ねる。


「――げほっ。ぅう"ん!」

「ん? どうしたの?」


 元気は傍にあったコップの中の水を一気に飲んでから何度か咳をした。心配そうに見てくる寺坂に大丈夫とジェスチャーで示してから落ち着くまで咳をする。

 やがて咳も止まったところで深呼吸をし、ようやく平常に戻った。


「どしたの?」

「あ、いや……なんでもないよ。それにしても、あいつらもあんまり雰囲気変わらないよな」


 話題を逸らそうと田野と菊池の話を始めると、寺坂も乗ってくる。


「そうだよね。もう少しで一年経つのに。私は彼氏いたらあんな風になるのかなって思う。もう少しふわふわしそう」

「え、まだ相沢先輩諦めてないの?」


 一年以上前からたびたび恋愛相談――という名目の愚痴を聞いていただけに、元気も自然に問いかけたつもりだった。

 元気の言葉に寺坂がじろり、と擬音を鳴らすような目線を向けてきた。元気は素直に「すみません」と畏まって謝る。謝罪に満足したのか、寺坂は軽くため息を付いて話を続ける。


「別に諦めてるんだけど。でもたまーに会って、優しくされると勘違いしちゃってムカつく」

「たまに会うんだ」

「家が近くだし。ほんと、会いたいなーって時には全然会えなくて。もういいよって思ってか。遭遇率高くなるんだもん。やってらんない」


 小学校時代から意識をしていた相手ならば仕方がないのかもしれない、と聞きかじりレベルの知識しかない元気でも思える。

 自分達の一つ上で、近年の浅葉中バドミントン部で最もいい成績を残したダブルスペアの一人。自分にとっては憧れ。寺坂も憧れと混ざってそういう感情があったのならば、引きずってしまうのも仕方がないのかもしれない。


「じゃあ、新しい恋愛したら? 俺とか空いてるぞ」

「……は? あんたこそ、早坂先輩のこと好きだったんじゃないの?」

「俺は部活来なくなったら冷めた。そんなもんじゃね?」

「ひっど! あんたの気持ちってそんなもん!?」


 そんなもん扱いされた自分の恋愛感情。自分もまた、一つ上の女子に憧れなのか恋なのか分からないものを感じていた。だから少しは寺坂の気持ちも分かるし、恋愛についての愚痴も聞けた。自分は相手が部卒業後に、たまに廊下で姿を見るくらいで本当に接点がなくなった。そこで気持ちが覚めたのだから、寺坂のような気持ではなくて一時の憧れレベルだったのだろう。自分の中を振り返ってみても、もうその当時に感じた心地よいような、不安なような気持ちは思い出せなかった。


「ま、人の恋愛は面白いってね。そろそろ出ようぜ」


 元気が伝票を持って立ち上がる。既にコートを着ながらだったので寺坂よりもワンテンポ早い。寺坂も自分の分を取ろうとしたが見あたらない。元気は自分が持つ伝票をひらひらとさせて言った。最初のパフェが来た時点で座席を変わったことに気付いた店員が気を利かせて、伝票の記載を寺坂と元気をまとめていたのだ。


「じゃあ、ここは俺のおごりで」

「え、そんないいよ」


 当初はおごって欲しいということを言ったが、実際にしてもらうつもりは寺坂にはなかったのだろう。しかし元気は指で伝票を挟み、ひらひらとさせながらレジへと向かう。


「いいよ。なんかさ、いろいろ考えることあるだろうけど。全道、頑張ってこいよ」


 元気は返答を効かずにそのままレジで会計を済ませて外に出た。その後ろへコートを着た寺坂がすぐに追いつき、扉を閉めた。外は少し雪が強くなってきていて視界が白く霞み始めていた。


「おわ。すげぇ雪だな。気をつけて帰ろよ」

「……ねえ、竹内」


 寺坂と帰る方向が逆である元気は、早めに帰ろうと走りだそうとした。そこに声をかけられて立ち止まり、振り返る。

 そこには何か言いたげな表情をした寺坂がいた。


「どうした?」

「私の思い過ごしならいいんだけど……なんか変じゃない、最近」

「なにが?」


 寺坂は自信がないのか一度別の方向を見て、会話にワンクッションを置く。雪が強くなってきて早く帰りたい元気は、少し不機嫌になって会話を促す。


「なにがさ」

「なんていうか……ごめん。上手く言えないや。ただ、前より気が利くようになったねって」

「……それって前が気が利かない奴だったってことか?」


 元気は自嘲気味に笑う。確かに、入学当初は先輩を挑発して試合をしたり、どうにかして強くなろうと周りを巻き込んで迷惑をかけたりもした。目の前に集中する余りに周りが見えなくなっていたんだろう。そう分かっているから、寺坂の言葉も特に怒りを覚えるものではない。


「ま、そうだろうけど。俺も部長としてだな――」

「部長になってしっかりしてきたっていうのはあるかもしれないけど、別のこともある気がするんだ」


 寺坂のその言葉は、元気も予想していなかった。言った本人も根拠がないのか目が泳いでいる。更に尋ねようとした元気だったが、寺坂が吹雪に片手で顔を隠すのを見て、ここにいるのは限界だと悟る。


「まあ、その話は別の日にでも聞かせてもらうさ。今は帰ろうぜ。んじゃな」


 自分から先に走れば寺坂も帰る。そう思って元気は帰路についた。少し進んで後ろを振り返ると、寺坂らしき影が雪の中に消えていくのが見えた。思った通り帰ったらしい。


(俺が変わった、か……)


 根拠のない寺坂の言葉。しかし、元気の中に引っかかるものがある。それはけして幻ではなく、確かに存在している。


(俺の何が変わったんだろうな)


 一年半前の入学時。

 一年前の学年別。

 そして、数ヶ月前の部の引継。

 自分が部の一番上として部長となり、皆が見渡せる位置にきた。変わらなければいけないものはたくさんあっただろう。しかし、逆に変わってはいけないものまでも変わってしまったのではないか。

 そんな焦燥感が元気の中に沈殿していく。

 吹雪の中を一歩ずつ、負けないように進む。だが、元気は徐々に迷宮に迷い込んでいくような気がしていたのだった。

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