45.Farewell, My Lovely

 ウラメヤ横町、そのウラメヤ側出入口は、叫びと怒号に満ちていた。

 誰もその正しい仕組みを解明できていないが、一定の規則に従えば通行できるはず。この横町は、裏にじっと身を潜めて決して表へ立ち入らない者よりも、表を拠点に裏と接触する、あるいはその逆である者の方が多い。目的は様々だ。会合、物品調達、遊び、生活。共通しているのは、それが非合法であるということ。天樹のお膝元を潜り抜けて宇宙の彼方の無法地帯へ逃げ切るのは骨が折れる。だからこの安全地帯の価値は高いのだ。有象無象が行き交うここで開発され、銀河四方へ拡散した技術も多い。

 その出入口が封鎖されている。

 横町の中央通りでは、同じ歩数での往復を試す武装した男たちが後を絶たない。そして何度も失敗を繰り返し、通行人を捕まえて恫喝する。いずれも、普段は〈倶楽部 キリヱル〉あたりに屯しているのが似合いのごろつきたちである。

 その通りを見下ろす、内部空間がねじ曲がって無限の迷宮と化した、果てのない壁のようなビルの三階に、ほくそ笑む人影があった。

「そりゃあ、こっちにも兵隊を配置しますよねえ」と人間大のカエルが言った。薄手の綿のシャツにステテコ、枯葉色の腹巻き。頭にはカンカン帽を被っている。「おお、怖い怖い。あれ全部レッドスターの兵隊で。いやー、参りますねえ」

「Not閉じる。But縮める。私のMother船のTechnologyです」と金属光沢を放つ青いザリガニが言った。店は破壊されてもバーテン装束のままだった。「ごろつきIdiotはNever通過」

「先生も悪いお人ですわ」と続けて言ったのは、生白いカマキリだったが、機械化されすぎた身体は表皮の色がほとんど見えない。「井ノ内さんは物流。シルビヰの旦那は人流。あたしは技術。全員、ここを使う連中にとって、換えが利かないものを握ってる。しかし……身の危険があることには変わりゃしません。いやね、あたしゃあ返り討ちにするまでですがねえ」

 隠し腕の鋏が唸る。光線銃がくるくると回る。

 井ノ内河津、〈BAR シルビヰ〉のマスター、そしてショグである。

 ウラメヤの出入口を封鎖してほしいという伊瀬新九郎の依頼に応じ、マスターがかつての母船に搭載されていた、億単位の同族を小型船に搭載するための万能縮小装置の設計を提供。井ノ内が部品を特急で手配し、ショグが組み立て・調整を行った。そして極秘試験を経て、そもそも目に見えない門の大きさを一〇〇分の一に縮小したのである。

 決して消滅したわけではない。適切に位置を見極めれば、通り抜ける物体の大きさに関わりなく通過できる。しかし、単純計算で外れ確率は一〇〇分の九九。まず通過できない。

 マスターが睡眠学習に失敗した言葉で言った。

「私はBig恩義が彼女にあります。Talk。Fun to お喋り。このくらいはお安いMatterです」

「わたくしはね、もう少し強かに、やらせていただいておりまして。はい。ちいと旦那にご迷惑のかかるかもしれないご依頼もね、別の方から受けましてね。今回はチャラです。はい」

 帝都東京の善悪彼岸を預かる男と、禍学を捨てて隠棲する男。いずれも只者ではないふたりの視線が井ノ内に注がれた。

 丸々と太った身体を萎ませて、井ノ内は水田の主のように鳴いた。

「いえね、超電装を一機。青く塗り替えて、右腕に妙な紋様まで入れろと言われましてね、ちょいとそれをひとつ、指輪と一式で……」



 ぱちん――と、弾倉が回った。

 弾丸は発射されなかった。刀に手をかけ、煙草を吐き捨て、新九郎は言った。

「子供のぱちんこにも弾はあるものだよ」

「今回はわざとだよ、蒸奇探偵」榊は銃を放り捨て、ポケットから右手を出した。その中指に嵌まる、派手な装飾の指輪。「俺とお前の決着はこっちだろ。なあ、伊瀬新九郎!」

 目は榊を睨んだまま、新九郎は言った。「行け。ここは任せろ」

「でも、〈闢光〉は壊れたままじゃ……」

「大丈夫。奥の手を積んである」そして新九郎は、肩越しにあかりを見た。「さっきの続きだ。僕は、君が欲しいと思っている。僕にとっての君は、この世にふたりといない最良のパートナーだ。もし君もそう思ってくれるなら……君にとっての何年も未来でも、同じように思ってくれるなら」

 新九郎は刀にかけていた手を離し、帽子を取った。

 そして、あかりの頭に被せ、また背を向けた。

「それを返しに来てくれ。いいね?」

「それって」あかりは新九郎の、洗いすぎて色の落ちた着物の背を掴んだ。「I love you, too.ってことでいいんですか?」

「ニュアンスを汲み取った翻訳は君の方が得意だろう」

「じゃあ、そう解釈しますから!」クロックマンに抱えられるようにして、あかりは〈銀甲虫〉に乗り込む。乗降口が上がる。大きな背中が見えなくなる。

 榊が右手を掲げる。「暴龍招来! 見よ、俺の超電装……」

 新九郎が胸元の流星徽章に触れる。「星鋳物ホーリーレリクス第七号ナンバーセブン闢光クラウドバスター〉……」

「絶対返しに来ますから! 絶対!」

 振り返った新九郎の顔が見えなくなる。最後の横顔は、黒縁眼鏡をかけて、微笑んでいた。



「〈九悶龍・改三〉!」

「鎧よ来たれ!」

 電光が散る。砂が舞い、石塊が跳ね、瓦礫が吹き飛ばされる。ふたつの円形の星虹門が開く。空間を飛び越えて巨大な物体を呼び出す量子倉技術の産物だが、一方は正規品でもう一方は海賊版。だが、機能自体はいずれも十分だった。

 巨大な円盤を地面に置いたような門から、青く塗られた機械の腕が現れて榊を拾い上げた。そしてのそりと、数年ぶりに日光を浴びる囚人のように、一機の超電装が姿を現す。機体自体は四八式〈兼密〉の横流し品だ。だが、左腕が極端に軽量化され、外した部品も流用して右腕が突貫作業で強化されている。かつての〈改〉〈改二〉には及ばないまでも、大型の筋電管が二本取りつけられている。拳の装甲は強化されているものの、手指機構は破損している。耐久性は考慮しない、工業製品としての美点の一切を捨てた、一戦限りの仕様である。塗装は青だが、子供の作った模型のように荒い。しかしとりあえず曲げて溶接して留めた右腕外装には、それだけで田舎の公民館の人寄せになりそうな、見事な昇り龍の紋が描かれていた。

 その名も〈九悶龍・改三〉。飛び去る〈銀甲虫〉には目もくれない。

 一方、空に開いた穴のような門は、境界面が鏡のように滑らかだった。虹の光が降り注ぎ、宇宙最強の力のひとつが姿を現す。地響きを上げ、瓦礫を跳ね上げての着地をすべての目線が仰ぎ見る。頭に頂く偃月。怒りに震えるような眼光。だがその機体はあまりにも傷だらけだった。

 ほぼ全損した装甲は交換品の製造と取りつけ作業が間に合わず、音に聞こえた黒鋼は胸部周辺と右大腿部にしか装着されていない。残る全身を覆う封印帯は、まるで傷を隠す包帯のように風になびく。両肩の鎧も装着されていない。そして何より、左腕がなかった。肩の付け根が封印帯で包まれて膨らんでいる。

 しかし、光の力をその身に宿し、曇天に雄々しく立つ。その名も星鋳物第七号〈闢光〉。

 長くは保たない。短期決戦仕様はいずれも同じ。

 接近する〈九悶龍・改三〉を前に、警告用拡声器を有効にし、新九郎は言った。

「青い超電装。龍の紋。君、知ってるぞ。早坂くんがここへ来た日に……」

「今更か!」榊も同じく拡声器で叫んだ。「今日拳一発で倒れるのは、お前の方だ! 伊瀬新九郎!」

「それはどうかな」新九郎は操縦席に新設された釦を叩いた。

 〈闢光〉の左肩の封印帯が弾けた。そして内部から飛び散る無数の黒い千鳥格子の切片。そのすべてが翠玉宇宙超鋼だった。

 そして根元に据えつけられた、光線砲の収束レンズに似た部品。その正体は――。

蒸奇亡霊オルゴン・ゴースト!」新九郎は号令する。

 失われた左腕は修復不能。その代わりに搭載されたのが、〈斬光〉と同系統の蒸奇亡霊を活用した、要時生成する光の腕だった。半ば透き通る翠緑の光が根元から先端へと集い、かつてそこにあった〈奇跡の一族〉の遺体の左腕と同じ形を成す。そして飛び散った翠玉宇宙超鋼の切片が、光の腕の表面をひとりでに埋める。

 指先まで繋がった鎖帷子を装着したような、宵闇色の左腕。これが新九郎が搭載を急がせた新装備である。

 突貫作業であるため操縦系の改修は未完了。思考で動かす電想系を使うしかない。すると、雑念を払い、一動作に全精神力を傾けるための儀式として最も適当なのは、名を叫ぶことなのだ。

 電想通信が繋がる。葉隠幻之丞だった。旧式の〈仰光〉にも、臨時投入にあたり電想通信機が搭載されていた。

「狙撃機は片付けた。すぐに行く。無茶はするな」

「手出し無用!」新九郎は怒鳴った。

 〈闢光〉が腰を落とし、上体を捻り、新たな左腕を大きく後ろへ引いて構える。まるで、左直拳を繰り出す瞬間の拳闘士の姿を写真に収めたよう。

 榊は叫ぶ。「腕は太さだ! 太さは力だ! 力があれば、勝つ!」

 〈九悶龍・改三〉が龍の紋が描かれた右腕を振り被る。地響きを上げる。装甲の隙間から蒸奇が噴出する。二本の大型筋電管に雷光が散る。

 対する〈闢光〉――左腕の、前腕半ばから先の切片装甲の隙間から、赤熱した橙色が漏れ出す。圧力が上がる。操縦席に増設された圧力計の目盛が回る。そして針が臨界の赤線を越えたと同時に、新九郎は声を張った。

「必殺、蒸奇鉄拳弾ロケットパンチ!」

 まだ間合いに入らない〈九悶龍・改三〉に狙いを定め、〈闢光〉が渾身の左直拳を放った。

 ただの素振りではない。切片装甲が花のように空中へ広がり、露わになった光の前腕の中程が炸裂する。同時に左腕を丸ごと包むほどの爆炎。〈九悶龍・改三〉と榊が怯み、そして驚愕した。

 

「なんじゃこりゃあー!」

 〈九悶龍・改三〉が咄嗟に昇り龍に彩られた拳を合わせるも、右腕ごと崩れる。追加した部品が飛び散り、本来は地上走行の補助にも用いる豪腕を支える高剛性鋼管骨格が、藁のように折れ曲がり破断する。無惨に切り裂かれる昇り龍。

 対する新九郎は、両目で睨む先をずらす。右腕から操縦席を貫く直線軌道を、やや上へ。鳴り響いていたラプラス・セーフティの警告が止む。発射までの操作系は未完成だが、発射後の誘導については完成していた。流星徽章が変形した眼鏡と連動した、視線誘導なのだ。

 発射に爆炎が伴う都合上、視線誘導は相性が悪い――後で天樹に伝える文句を頭の中に書き記す。それともうひとつ。

「どうみても鉄の拳ではない……」

 光り輝く左腕が、〈九悶龍・改三〉の頭部を粉砕した。

 幻之丞の〈仰光〉がひと仕事終えて戻り、〈闢光〉の隣に立って刀を納めた。

 仰向けに倒れる〈九悶龍・改三〉。新九郎は文字通りそれを尻目に、視線誘導を空へ向けた。

 光の拳が空へ登る。高度を上げる〈銀甲虫〉を追い越し、そして雲の中へ飛び込んだところで、拳の形を維持していたペンローズ・バリアの拘束を解いた。

 炸裂――重く湿った雲が円形に散り、透き通る青空が見えた。流線型を描く銀の機体が、燦々と降り注ぐ日差しを受けて、その青空の中へと登る。全高四〇米の星鋳物が見上げ、六六六米の天樹を遙か下に見て、彼方、宇宙の涯ての光明星へと突き進む。

 〈闢光〉が右手を振る。〈仰光〉がそれに倣う。

 二機の足下に集うすべての人々が、やはり手を振り、叫び、涙する。

 新九郎は操縦装置から腕を下ろし、煙草に火を着けた。

 駅前で青い超電装を拳一撃で倒して、そして事務所で、寝たふりをして彼女を待った、あの日のことを思い出した。

 吸って、吐く。狭い操縦席が煙る。新九郎は呟いた。

「今日はやけに、煙が目に染みる……」

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