44.ラスト・ダンス④

 かつて駅舎だった小高い瓦礫の山頂に立つ。案内を買って出た猫は巧みに安定したところだけを踏み分けて進み、身長二米の大男と一五〇糎の少女が乗っても脚が瓦礫に嵌まることはなかった。

「このまま進んで大丈夫なんですか?」とあかりは訊いた。「駅前って、ウラメヤの入口まで目と鼻の先ですよね。あっちから兵隊が出てきたら……」

「ああ、それは大丈夫。手は打ってあるから。それより……さっきの話の続きだ」

 猫が歩き、鈴の音が時を刻む。

 凸凹の坂道を下る。大きな背中だけを向けて、新九郎は語る。

「年齢の隔たりは、フェアな関係性を阻む。君は賢いし、人の何倍もの速度で、世界のすべてを学べるだろう。でも、人の愚かさや人の邪悪さ、人の醜さは、時間をかけて、少しずつ知っていくしかないんだ。これを安易に学ぼうとすると、君の中に決して消えない傷が刻まれてしまう。そして人の賢さ、正しさ、美しさを、素直に受け入れることができなくなる」

 あかりは、マサムネの歩いた道を少し外れて坂道を駆け下りる。目を見て話がしたかった。こんな拒絶を、背中で語られたくなかった。大きな背中が小さくなるのが嫌だった。

 足下が崩れた。踵の辺りが滑って、仰向けに倒れそうになるあかりの背中を、新九郎の手が支えた。

 マサムネが訝しげに足を止め、鈴の音が止んだ。

 目の前の全部が伊瀬新九郎だった。でも、逆光で見えなかった。

 助け起こされ、息を整え、あかりは言った。

「先生は、愚かでも、邪悪でも、醜くもない」

「過分な評価だ」

「あなたほど賢く、正しく、美しい人を、わたしは知りません」

「そっくりそのまま返そう」

 あかりは唇を噛む。

 降りる。淡々と降りる。自問自答が、頭の中を反響する。まだ奥さんに気持ちを残しているから? 区切りをつけたはずじゃないのか。他に愛する人がいるから? 紅緒との関係は終わらせたのではなかったのか。さほど大切に思われていなかった? ならどうして、その場で拒絶しないで、こんな長口上を打つのか。

 わからない。曲がりなりにもひとつ屋根の下で寝起きを共にし、同じ難題に頭を捻り、同じことに怒り、同じことに喜び、幾つもの死地を、力を合わせて切り抜けたというのに。どうして一番大事な気持ちでは通じ合えないのか。

 胸の中に広がる影。瓦礫の山を下りきり、マサムネがむず痒そうに身体を震わせたところで、あかりは立ち止まった。

 新九郎が訝しむ。「急げ。〈銀甲虫〉の着陸時間が延びれば延びるほど危険だ。師匠とて、守り切れるとは限らない」

 そんなこと、どうでもいい。

 あかりは抱えていた荷物を足下に落とした。

「わたし、行きません」

「いや、君、それは困る。この期に及んで……」

「知りませんよ! 〈奇跡の一族〉が、宇宙の秘密がなんだっていうんですか! わたしは、わたしが認められたいのは、この世でひとりだけ。先生だけなんです!」

「……ああもう! こんなところで癇癪を起こさないでくれ!」

「癇癪!? すぐそうやって小娘扱い! 結局法律だ社会通念だって理屈捏ねても、小娘が鬱陶しいから適当に追っ払いたいだけなんでしょう!?」

「違う!」

「何が違うんですか! 言ってくださいよ! もう法律とかなしですから!」

 ふたりの頭上で、〈仰光〉が二刀を振り回す――本当に振り回している。刀の柄に絡みついた光の鎖を伸ばして、鎖鎌のように操り、残り二機のコード66〈蜘蛛蜥蜴〉を手玉に取る。既に着陸した〈銀甲虫〉に、銃口を向けさせるどころか、頭部を向ける暇さえ与えない。腕を落とし、脚を落とし、頭を落とし、操縦席から這い出した雇われ超電装乗りの眼前へ見事に刀を投擲し、這々の体で彼らが逃げ出すのを確認してから刀を手元に戻す。その直後。

 空を裂く弾けるような発砲音。一条の大口径蒸奇光線砲が迫り、〈仰光〉は振り向きざまに刀の一閃で弾き飛ばした。

 続けて花火のようにふらふらと射出され、空中で点火して一直線に迫る噴進弾の群れ。〈仰光〉が腰を落とし、刀を持った両腕を深く交差させる。

「蒸奇殺法・鎌鼬!」

 とても還暦近いとは思えぬ男の轟く叫び。振るった刀の斬撃が、三日月型の光る剣風となって飛んだ。

 一二の爆炎が空に花開く。その光を浴びて、新九郎の顔がよく見えた。

「……さっきまでのは、僕の信念だ」

「……信念?」

「いいか、早坂くん。一度しか言わないぞ。僕は――」

 その時、けたたましい号笛と共に、次から次へと警察車両が現れる。拡声器で何事か叫んでいる。そして見る間に整列する、総勢三〇名ほどの警官隊。先頭に立つのは、財前剛太郎だった。

「ネタは挙がってんぞ伊瀬新九郎! そのお嬢さんを大人しくこちらへ渡せ!」

 新九郎は舌打ちし、警官隊に怒鳴り返した。「彼女の身柄に関する天樹と政府の協定は済んでいるはずだ! 今更出てきて、そちらの立場がどうなっても知らんぞ!」

「それを含め、署で話を聞かせてもらい、確認したい。ご同行願おう!」

 頭上でまた〈仰光〉が光線砲を弾き返す。四機目の〈蜘蛛蜥蜴〉が、上野山の稜線を盾に、大量の超電装用火器で射撃・砲撃を繰り返しているのだ。

 轟音が止むのを見計らい、新九郎は腹まで息を吸って叫んだ。

「断る!」

「ならば腕ずく……なんだありゃあ」唖然として芝居のかかった仕事の口調が消える財前。

 その目線の先は、渦中のふたりをすり抜ける。

 あかりは振り返った。そして同じく、「なんだが、これ……」と呟いた。

 行進する女学生の軍団。ひとり残らず上野中央女学校の制服姿。その先頭に、見覚えのある白塗りの巨大な送迎車がある。窓から身を乗り出し、拡声器に声を張り上げ、白い二の腕も露わに片手を振り上げるのは、北條撫子だった。

「公権力の! 女性への抑圧を……許すな!」

「許すな!」

「わたくしたち一同、早坂あかりの旅立ちを阻む警察権力の横暴に、断固抗議いたします!」

「断固抗議!」

 軍や警察もかくやという見事な隊列が車の先導で進み、あかりと新九郎を飲み込む。その中に田村景の姿を見つけ、あかりは駆け寄った。

「おケイちゃん何これ!」

「いやあ、撫子さまがさ」眼鏡をくいと上げる景。「あの子言い出したら聞かないじゃん」

「いやいや、そもそも今日、ここ、ってなんで知ってるの。極秘なはずなんだけど」

「連絡あったよ? そちらののっぽの探偵さんから」

 あかりは新九郎を睨んだ。「……先生?」

「必要最低限度の、ごく限られた人員だ。彼女たちもね」

 女学生たちが口々に叫んだ。「その通り!」「男前!」「素敵!」「独身ですか!」「デートに誘って!」「電話番号教えて!」

 新九郎はにやけて言った。「いやあ、これはいい気分だ。呼んで正解だったな」

「馬鹿!」あかりが放り投げた荷物が新九郎の顔面を直撃した。

 よろめきながらも、新九郎は片手を挙げた。「撫子くん、頼んだぞ!」

「お任せください!」撫子は力強く応じた。「我らのモダンガアルのために!」

 それが号令だったのか、女学生軍団は一斉に警官隊へと駆け出した。景も、「最後に会えてよかった。またね!」と言い残してその群れに加わる。

 財前が悲鳴を上げる。女学生らが何事か叫んでいる。「元始、女性は」「太陽であった」「女の道を阻むやつは」「超電装に蹴られて死んじまえ」等々――。

 新九郎は煙草を咥えた。「賭けをしよう。彼女らのうち、平塚らいてうの著作を読んだことがあるのは?」

「〇に張ります」あかりは荷物を抱え直す。

「賭けにならんな」

 頭上から幻之丞の呆れ声が降ってきた。

「遊んでんじゃねえっての。俺はあっちの狙撃機を潰す。ちゃんとエスコートしろよ、新九郎!」

 再びの砲撃を弾き、〈仰光〉が一気に跳躍する。

 その暴風を浴びながら、新九郎はあかりの手を取った。

 引かれる力はただ導くだけで、強くも弱くもなかった。あかりは引かれるに任せて進む。原動機を吹かしたままで着陸している銀色の宇宙機が、次第に大きくなる。つるりとして継ぎ目などない船体下方が開き、階段が現れて接地する。船内から、頭が時計の男が姿を見せた。クロックマンだ。

 そしてついに、乗降口に辿り着いた。

「遅刻ですよ、スターダスター」

「君は時間に拘泥しすぎる、クロックマン」

「そういう顔をしているでしょう」

「洒落が上手くなったな」新九郎は煙草の煙を吹いた。「元気でな。裏切らない後任をちゃんと寄越してくれよ」

「善処いたします――」クロックマンのすべての針が〇時に揃った。「あの男、何を」

 新九郎があかりを背に庇う。

 一同の目線の先に、この街ではありふれたやくざ者がいた。少し寸法が大きい洋装。シャツの胸のボタンを開け、成金趣味の金の鎖で飾る。髪を後ろに長し、右手をポケットに突っ込み、威圧しなければ死んでしまうかのような眼光。何もかもありふれている。しかし、たったひとつ、彼を印象づけるものが、捲った右袖から覗いている。見事な昇り龍の刺青だった。

 榊貴利。左手の拳銃を、新九郎へ向けた。

「やっぱりよお、正義の味方なんざ、柄に合わねえんだわ」

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