38.告白

 一連の戦闘は街に深い傷を刻んだ。だがそれと同等以上に傷ついたのは、二体の星鋳物である。

 第A号〈斬光〉については、戦闘終結の三日後には臨時の星間連絡船に乗せられ、〈奇跡の一族〉の本拠である光明星へ移送されていった。装甲は削られ武装は破壊され、電想系も戦闘終結まで動いていたことが不思議なほどの損傷であり、修復はほぼ新規建造と同等になる。それでも、骨格たる〈奇跡の一族〉の遺体への損傷は軽微だった。

 ポーラ・ノースについては、当面の間地球に留まり、早坂あかりの護衛を継続することになった。愛機が壊れていては、彼も仕事ができないのである。浅草演芸場の兄弟との水入らずのひとときを過ごす彼は、まるでこのまま地球に永住するかのような勢い――とは伊瀬新九郎の言である。

 一方の第七号〈闢光〉については、戦闘終結直後に時を遡らねばならない。

 必殺の蒸奇殺法・十文字斬りで〈金色夜鷓〉を仕留め、〈アルファ・カプセル〉を破壊した〈闢光・機装天涯〉は、直後に失力し、上空およそ八〇〇米から落下した。奇跡の力により再構築された細身の姿は次第に元通りのずんぐりとしたものに戻り、重力に従って落下。隅田川の川面に落着しようとした。

 その時、赤い光の玉が、傷だらけの〈闢光〉の胸からふわりと抜け出し、落下の加速度に制動がかかった。

 仰向けに、ゆっくりと川へと沈む星鋳物。

 その様を見つめる市民たちの中、ひとりの男が飛び出した。葉隠幻之丞である。彼はためらいなく空中要塞の岬から宙に身を躍らせ、抜け出した〈奇跡の一族〉を空中で捕まえて胸に納めた。そして川へ飛び込み、沈む星鋳物から疲労困憊の伊瀬新九郎を救出しようとした。しかし、伊瀬新九郎も考えなしではない。もう指一本も動かしたくない男の長身を水上へと引っ張り上げたのは、封壜に納められていた蒸奇獣、〈黒星号〉だった。かくして、犬のような奇妙な生き物に襟首を咥えられた無様な姿で、新九郎は師との再会を果たすことになった。

 〈闢光〉の損傷は重篤だった。全身の装甲も武装も再建造と同等の修復作業が必要になるのみならず、左腕は〈奇跡の一族〉の遺体に修復不能な損傷が及んでいた。つまり、義手の装着を前提とした再設計を要するのだ。黒鋼の悪鬼が再び帝都にその勇姿を示すには、少しばかり時間が必要だった。しかし、当の伊瀬新九郎は「右腕さえ残っていればどうにかなるさ」と楽観的だった。

 大騒ぎになったのは天樹と、その上位たる星団評議会である。銀河地政学的に最大の要衝である地球における、星鋳物の不在。加えて、六号監視官は死に瀕している。星団評議会の直属の戦力として機動的に投入されてきた〈斬光〉も大破した。この難局に際し、星団評議会は斜め上の解決策を捻り出した。第〇号〈仰光〉と葉隠幻之丞の一時的な復帰である。

 〈殲光〉襲撃事件の際に帰還を果たし、損傷を負った〈闢光〉の修復のために部品を使用された〈仰光〉は、現在完全に修復されて天樹に封印・安置されていた。修復されたものの運用方針が決まらないための一時的な措置だったが、ここへ来て温故知新が求められたのである。

 〈奇跡の一族〉とともに逃亡していた葉隠幻之丞は、本来ならば変わらず追われる身である。彼はまたも、自らの有用性をもって身の安全を勝ち取ったのだ。当然、ここまでの流れが彼の計算通りである。丸腰で帝都にのこのこ帰ってくるほど、葉隠幻之丞という男は、愚かではなかった。悪知恵の働かせ方ならば、師である彼は弟子である伊瀬新九郎の上を行くのである。

 そんな幻之丞が睨みを利かし、火事場泥棒で帝都の覇権を掠め取ろうとする勢力がひとまず大人しくなる一方、本来その任に着くはずの伊瀬新九郎を待っていたのは、助手ともども連日連夜の査問であった。

 星団評議会としては、訊きたいことは山程あるのだ。

 伊瀬新九郎には、星鋳物への異生物の寄生、かつての五号監視官との接触、〈金色夜鷓〉の怪光線の影響、その他諸々。早坂あかりには、何を置いても〈アルファ・カプセル〉との接触。ふたり揃って、〈奇跡の一族〉が定める禁忌を山ほど破り、最大機密を土足で荒らしたのだ。

 ふたりの査問への対応は、見事に正反対だった。

 新九郎が何もかも知らぬ存ぜぬで通し、「僕が何も知らない方がそちらも都合がいいだろう?」と凄む。一方のあかりは、禁忌も醜聞も関係なく、何もかも馬鹿正直に喋り、「いやあ、目から鱗でした。荒唐無稽な神話にも何らかの元ネタがあるんですねえ。火のないところになんとやらですよ」などと腕組みで頻りに頷く。

 新九郎は星鋳物の信任を受けた者であり、これが絶対の身分保障となる。一方のあかりにも、とある事情から身分保障が生じており、現役の〈奇跡の一族〉から成る星団評議会としても、結果さえ伴っていれば多少の非合法行為には目を瞑らざるを得ない。むしろ逆に、弱みを握られた格好にすらなっている。ふたりには天樹の麓の宿舎があてがわれていたが、不思議なことに数日ごとに部屋が綺麗に、食事が豪華に、階層が上になっていった。そして一週間ほどで、それとなく行く手を阻んで逃亡を阻止せんとしていた天樹の機械兵が、機械執事と機械女給に変わり、ある程度自由な外出も許されるようになった。

 それぞれに多忙だった。

 新九郎は仮設住宅で早速珈琲屋を始めていた大熊武志を訪ね、彼が持ち出してくれていた銀行の通帳と土地建物の登記の書類を受け取った。そしてキューブマンの処刑に立ち会い、政府と天樹の生活支援制度について調べて、事務所の跡地に机と幌だけを設え、アメヤ横町の跡地に並び始めた闇市を訪れる人々向けの無償の法律相談窓口を作った。しかし、開設してほんの数時間で自身の銀河標準語の拙さを思い知ることになり、翌日からは絶対に助手を連れてくるという決意を固めることになる。

 一方のあかりは、まず実家に電話をした。戦闘に巻き込まれた姉の無事な声に、あかりは安堵した。クロックマンに頼み込み、暫定運行が再開した一番列車に一等席を取ってもらってとにかく実家に帰ってもらっていたのだ。

 交わした言葉は、別れの挨拶だった。

「……そう。あなたが決めたなら、私は止めないわ。そもそも、誰にも止める権利なんてない。きっとあなたの中には、人の何倍も速い時間が流れているの」

「大きくなって帰ってくるから。きっと、誰もが羨むモダンガアルになって、帰ってくるから」

「もうなってると思うわ。昔の私なんか目じゃないくらい」そう言って、かをりは寂しげに笑っていた。

 次いで、幸いにも戦火を逃れて避難所となっていた上野中央女学校を訪れた。そして、炊き出しに忙しい担任教師を見つけ、「お世話になりました」と頭を下げた。

 比較的保守的な校風で知られ、良妻賢母を育てることを旨とする上女において、将来の自立を公言し、実際に特例を使って職に就き、そして家政科目の成績が壊滅的だった早坂あかりという生徒は、決して歓迎されるものではなかった。それでも、組織と個人は同一ではない。その担任教師も、あかりの選択に心からの祝福を送った。そして、

「きっと誰もがあなたに憧れる。あなたのようになろうとする。そして世の中がすっかり変わったら……あなたが私の生徒だったと、自慢してもいいかしら?」

 と言った。もちろんです、とあかりは応じ、級友たちへの挨拶を手紙にして託した。

 親しい友人の元も訪ね歩いた。田村景は大泣きし、たぶん初めて、店の甘味を奢ってくれた。そして、彼女が書き溜めているという少女小説の原稿を見せてくれた。田舎から出てきた少女が、実は大財閥の落とし胤である遊び人の男とひょんなことから夫婦のふりをした同居生活を送ることになり、日々の生活に奮闘しながら、悲しい過去から本当の愛を知らないその男との絆を深めていく物語だった。

 結末はまだ書かれていなかった。物語は、男に旧華族の令嬢である婚約者が登場して、少女の方にも学生服がよく似合う同世代の実直なボーイフレンドができて、大きな選択を前にふたりの心が揺れ動くところで止まっている。

「どうして続きが書けないのかやっとわかった」と景は眼鏡に落ちた涙の汚れを拭いつつ言った。「これは、あかりちゃんのつもりで書いたから。どっちかを選ぶなんて、そんなの違うんだよね。もっとデカいのさ、お前さんは!」

「結末の前に大きな試練ってのは、すごくそれっぽいと思うけど……」

「あかりちゃんはうちらの主人公なんだよ。だから、斜め上にすっ飛んでいってほしい。結末は、結ばれなきゃ駄目だけど。でも、だから」景は眼鏡をかけ直して言った。「寂しくなんかないからな! あたしゃあ、寂しくなんかないから!」

「大先生になってるかなあ、おケイちゃんは」

「なってるよ! 向上心がないやつは馬鹿だって……」

「漱石先生も言ってるしね」

「どっちがどうなっても、うちら友達だかんね!」

 また眼鏡が涙で濡れている景に、「当だり前だべ!」とあかりは応じた。

 北條撫子には手紙を送っておいた、今度こそ一家で別邸に一時疎開してしまった彼女には会う手段がなく、電話番号もわからなかった。投函してから、果たしてちゃんと届くのか、届いたとして山のような郵便物の中から見つけてもらえるのか不安になって、同じ者をもう一通認めて麹町の屋敷に足を運んだ。郵便受けに入れようとしてそもそも郵便受けが見当たらず、右往左往しているともちろん守衛に止められ、結局守衛に手紙を渡すことになった。

 そして、事務所跡で法律相談に応じる伊瀬新九郎に合流した。

 かつての戦火を生き延びた建物も、上野駅前で派手に繰り広げられた戦いを前に持ち堪えることはできなかった。焼け跡には、一階の喫茶店の椅子だったものや、二階の事務所に積み上げられていた書籍が、見る影もなく焦げ果てて転がっている。火の手は収まってしばらく経つのに、辺りにはまだ焦げ臭さが漂っていた。

 幌を張った下には、即席の相談所。廃材で組んだ机の上には『休憩中』と書いた板きれを置いていて、袖看板の飾りだった緑青色の鬼灯を重しにしている。足下には鬼灯探偵事務所と書かれた看板がある。少し煤けているが、これは焼け残ったのだ。

 当の伊瀬新九郎はというと、焼け跡をせっせと掘り返している。

「いや、参った」人並み外れた長身を縮こまらせて、伊瀬新九郎は言った。「大体案内する先は定型化されるんだ。しかし、生活支援はともかく、なんでもいいからなんとかしてくれという相談が多すぎる。第一これは私立探偵の仕事じゃない。世の法律の専門家は何をしているんだ。最も彼らが求められている時に、てめえは高見の見物か。おめでてえやつらだよ」

「強い人たちなんですねえ。不安をとりあえず吐き出せば、後は自分でどうにかしちゃうってことですよね?」

 煙草に火を着けつつ新九郎は応じた。「ま、物は言い様だね」

「前に、先生に相談すると何も解決してないのに解決した気になるって聞いたことがあるんですけど」

「ちょっと待て。誰から聞いた」

「それって、その人が本来持ってる力を引き出す、手助けをするってことなんですね」

 んー、あー、と曖昧な声を出してから新九郎は言った。「福祉とはそうあるべきだと僕は思う。施すだけでは何も変わらない。もちろん、変わらないことは施さない理由にはならない」

「わたし、先生のことよくわからないです。馬鹿に真面目だったり、呆れるくらい不真面目だったり」

「人生、切り替えが大事なのさ。……おっ、これは」新九郎は瓦礫を押し退け、煤を払い、うぬぬと唸り、「よいしょ」と言いつつ何かを掘り出した。

 あかりにも見覚えのある衣装箪笥だった。かつて夫婦の寝室、少し前まであかりの居室になっていた部屋に置かれていたもの。焼けてはいるが、下の方はあまり火が回らず、消火の水も浴びていないようだった。

 新九郎はあかりに背を向けて次々と引き出しを開けていく。

「この箪笥、依子のご両親が結婚の時に買って下さったんだよ。桐は火災に強いし、いい職人の仕事なら、気密性も高い。焦げた部分も削れば新品同様さ」

「よくできてますよねえ。上の方はお洋服で、真ん中が簡着物で、下の方はお着物で」

「実家から使っていたものを持ってくる、とはならずに新品なのが、彼女らしいよ」新九郎は、煙が箪笥に当たらないようにそっぽを向いて煙草を吹かす。「受け継がれた技術に、現代の需要。民芸品は権威じゃなくて、常に更新され続けるものだ」

 さらに引き出しが開き、現れた衣装にあかりは、自分の心臓が高鳴るのを聞く。

 思い当たったのだろう、新九郎もそれを取り上げて振り返った。「これ、似合ってたよ」

 先日のお祭りの時に着た浴衣だった。あかりは顔から火が出そうになる。今にして思えば、あまりにも大それたことをしていた。着ていいよと言われたからといって、まだ彼が思いを残している女性の持ち物に袖を通したのだ。

「本当に実家から持ってきた着物もあるんだ。よかったらあげるよ」

「そんな……頂けません」

「服は着られた方が幸せさ」と言って、新九郎は別のところをせっせと掘り始める。

 無造作に開かれた箪笥に、畳紙に包まれた着物が覗く。鮮やかな赤と淡い赤と白が続く鱗三角模様。幾何学的でモダンで、まるで竹久夢二の挿絵の世界から飛び出してきたかのようだった。手に取れば、それを颯爽と着こなす女性の姿が目に浮かぶ。派手さの中の品。堅さの中の遊び心。これに見合うようになれたら、と思う。

「鏡台の方は駄目か」と新九郎が呟いた。「あれは、そんなにいいものでもないからなあ……」

「もしかして」あかりは肩から提げていた鞄に手を突っ込み、避難の時に慌てて持ち出したものを取り出した。

 花開いた、形状記憶金属の髪飾りだった。

 受け取った新九郎は目を丸くした。「そう。これだよ。どうして……」

「いや、その、大事なものなのかな、と思いまして」

「大事、というのは、少し違うな」新九郎は片膝をつき、その髪飾りを瓦礫の上にそっと置いた。焼け跡に、枯れない花が咲いたようだった。「高価な物じゃないし、劇的な思い出があるわけでもない。でも、何かを区切るなら、これが要る。そんな気がする物なんだ」

 新九郎は、新しい煙草に火を着けて花の前に差し、十字を切って手を合わせた。

 かつて弔った人と、思い出と、傷ついたこの街と、失われたすべての命に、その魂が安らかならんことを、新九郎は祈っていた。あかりは、後ろ髪を留める、まだ蕾の髪飾りに触れた。

 風が吹いて、煙草の先から灰が散った。新九郎は立ち上がって言った。

「〈奇跡の一族〉の死に際して行われる儀式が、星霊憑依交信アストラル・アセンション実験だ。今回で第六次。つまり、彼らの長い歴史の中でも、まだ五回しか行われていない。彼らはなかなか死なないからだ。その実態は、半精神生命体である彼らが死の間際にのみ接触できる、超次元生命との対話だ。遺体を機械で包んで兵器にすることも、依代を用いることも、そもそも汎銀河調停機構と星団評議会の組織も、星霊憑依交信実験で得られた示唆によるものだそうだ。そして、その場には、本来語り合えぬ者同士を繋ぐ、〈奇跡の一族〉自身が持ち得ない力を持つ存在が同席する必要がある。この星では、彼らは特級異星言語翻訳師リンガフランカーと呼ばれている」

 あかりは頷いて応じた。「天樹の六号監視官が選んだのは、わたしでした」

「拒否もできるが、君は、行くんだね」新九郎は、長身からあかりをじっと見下ろしていた。「君は人と異なる時間を生きることになる。彼らの発祥星である光明星は、他より時間の流れが速い特異重力空間の中にある。君は、僕らの何倍も速い時間を生きることになる。ひとりだけ、あっという間に大人になってしまうんだ」

「わかっています。クロックマンさんから聞いた時はちゃんと理解できなかったんですけど、今ならわかります」あかりは、見下ろす目線を正面から受け止める。「外の人たち同じ速さにならないと、同じ世界に触れることはできない。きっと、外の人たちからすると、わたしたちはなぜか全然歳を取らない変な生き物なんですよ」

「物語の主人公は、歳を取らない。僕も君も、誰かの夢なんだ」

 その時、表通りの方から声がした。休憩中の看板に耐えかねた相談者のようだった。その隣では、〈BAR シルビヰ〉のマスターが、袖のような手の中に取りつけられた機械の手を振っていた。もう片手には、差し入れらしい包みを持っている。

「ああ嫌だ嫌だ。働きたくない。誰か代わってくれ」

「あの、先生」渋々表へ出ようとする新九郎を、あかりは呼び止めた。

「どうした。いる間はせっせと通訳してもらうぞ。世の中には適材適所という言葉があってだね……」

「好きです。愛しています。先生」

 ふたりの時が止まった。

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