37.新たな風

 焼失家屋三万戸以上、死者・行方不明者数およそ二〇〇〇。これを多いと見るか少ないと見るかは、後世の歴史家に判断を委ねるべきだろう。

 戦闘終息直後から、折良く飛来していた〈GR〉の空中要塞から多数の救援物資がもたらされ、また天樹の手により仮設住宅が整備されて避難民たちはひとまずの安息を得た。新聞社は〈金色夜鷓〉と〈闢光・機装天涯〉の戦いの様子をこぞって一面で掲載し、また焼け野原になった上野浅草界隈を二五年前の記憶と重ねて報じた。

 ならば天樹の瞬時建築で即座に建物を生やしてしまえばいい、という案には物言いがついた。これを機に周辺地域の街並みを再設計すべきである、ゆえに市民や建築家、都市設計の専門家らと時間をかけて協議すべきであるとの声が政府内で上がったためであり、そんなお題目より早く自宅を再建したい市民たちからは怒りの声が上がった。そうこうするうちに勝手に家を建て始める者や、早速屋台をしつらえて麺や丼を売る者まで現れ、ほんの数日で収拾がつかない状態に陥ってしまった。

 そんな市民の喧噪の一方、事件の背景を追う捜査は着々と進められていた。

 〈下天会〉の代表、選留主こと小野崎徳太郎は、天樹の特定侵略行為等監視取締官から警察へ引き渡され、連日厳しい取り調べが行われている。だが事件後、放心状態になった小野崎は、警察官の問いかけに応じず、時折「真界転生……」と呟くだけの廃人同然の状態になってしまっていた。彼が操っていた規格外の超巨大超電装〈金色夜鷓〉の悪影響と思われたが、それが〈奇跡の一族〉の意識に触れすぎたためであると理解する者は警察にはなかった。

 次いで、三人の博士のひとり、岩城彌彦については、現在も行方不明。だが、〈下天会〉の拠点である〈松濤トゥルーアース会館〉に落下した飛行円盤の中から、彼が用いていたものに酷似した眼鏡が発見されていた。同乗していたと思われる他数名の不法入星者ともども〈金色夜鷓〉に喰われたと推測され、ほどなく捜査は打ち切られた。

 次のひとり、杉下幸之助が発見されたのは、娘が入院する山梨県内の病院だった。帝都での事件から三日後、汚れた身なりで突然現れた杉下は、医者や看護婦の制止も聞かずに娘を連れ去ろうとした。そこで看護婦のひとりを殴り、警察が駆けつけたのである。そしてほどなく、〈下天会〉の関係者と判明。帝都へ移送され取り調べを受けることになる。彼は、「私の技術は完全に実証された」と話した。全電甲の製造に用いた生体置換を、交通事故で植物状態になった自分の娘に適用し、目覚めさせようというのである。しかし〈アルファ・カプセル〉が喪失し、〈金色夜鷓〉も完全に破壊されたと知った彼は意気消沈。素直に取り調べに応じている。規格外の超巨大超電装の製造経路については、概ね伊瀬新九郎が推理した通りであった。

 最後のひとり、ノラ・ボーアについては、〈松濤トゥルーアース会館〉地下で半透明になった遺体が発見された。他多数の信徒と思しき遺体も同時に発見され、頭を銃で撃たれたノラ以外は皆、全身に激しい暴行の痕跡があった。苛烈な私刑である。

 ノラの遺体は、生まれ故郷へ移送するという名目で〈GR〉が引き受けることになった。しかしそもそも、〈GR〉自体が日本の領空を侵犯している。これについては、日本政府とシャーロックとの間で何らかの外交的妥結があったと噂されている。いかに世界平和のためとはいえ、日本国内でのノラの活動はスパイ行為に他ならない。〈GR〉の空中要塞の東京侵入と〈金色夜鷓〉の攻撃からの防衛、その後の献身的な支援活動は、諜報員の活動を相殺するための交渉の意思を日本国政府に示すためとも考えられた。

 おそらく、それらの外交交渉の結果として、日本と英国による次世代主力超電装の共同開発が唐突に報じられた。しかし実態としては、開発を主導するのは日本側の北條重工であり、またひとつ、伊瀬新九郎の憎き敵を肥え太らせる果実が実ったことになる。

 さて、〈下天会〉の富士周辺の拠点である〈天光郷〉にも捜査の手が及んだ。そこで捜査員らが目にしたのは、地形図に存在しない小高い丘だった。信徒たちはそれが一夜にして隆起したと言って信仰の秘蹟のように扱っていたが、科学の目はごまかせなかった。土に含まれる成分が、〈松濤トゥルーアース会館〉地下のものと一致したのである。すなわち、丘は隆起したのではなく、松濤の地下を掘削して生じた土砂を用いた盛り土なのだ。

 そして、その掘削作業――実際には空間の入れ替えを行った存在は、人知れず処刑された。事件から一週間ほど経ったある日の、午前一〇時四五分頃のことだった。

 場所は天樹内部。立ち会いはクロックマンと伊瀬新九郎。執行はポーラ・ノースであった。

「君らはそもそも、天樹に命を与えられた、時間と空間が曖昧な人工高次元生命体であるはずだ」煙草片手の伊瀬新九郎が言った。「それがなぜ、〈奇跡の一族〉への叛逆など企てた? どこに利がある?」

「お前にはわかるはずだ、伊瀬新九郎」と応じたキューブマンは、常に生成消滅を繰り返していた立方体を、一辺三〇糎ほどに固定されていた。「お前も、生みの親を憎んでいる」

「父親のことを言っているなら、あんな男を親と思ったことはないね」

「彼は自由を望んだのですよ。換言するならば、己の使命から逃避した」いつもの何倍も機械的にクロックマンが言った。

「それで〈奇跡の一族〉でも〈アルファ・カプセル〉の中にいたやつの下僕になって、〈下天会〉の悪事の片棒を担いだってわけか」

「抜け穴ですよ。我々異形頭人オブジェクターズは〈奇跡の一族〉から生まれた、いわば身体の一部です。手足が頭に逆らうことは決してできない。しかしこの愚か者は、別の頭に自己を接続し、仮想の身体を作ることで、本来の自分の頭に抗った」

「やっぱり融通が利くんだな、君よりも」

「私はあなたを背中から斬りはしません」

「僕も君を刀で刺しはしないよ」

 金属音が緩みかけた空気を締めつけた。ポーラ・ノースが、処刑刀で床を叩いたのだ。彼の地球来訪は、叛逆した異形頭人の処刑のため。そこへ、クロックマンが早坂あかりの護衛という仕事をねじ込んだのだ。

「言い残すことはあるか、キューブマン」

「私は、オメガではない」とキューブマンは言った。「同じ疑念を抱く存在は後に必ず現れる。この世に生まれた生命は、すべて自由を求めるからだ。そしていつか、誰もが私の正しさを……」

「雇用主との関係に不満があるのか?」新九郎は腕組みで言った。「それならいい方法がある。知りたいか? ……労働組合を組織し、団体交渉を行うんだ。暴力よりよほど有効だぞ。まあ、僕はそういうのは御免だから自営業だが」

「あの時あなたを救うべきではなかった」

「悲しいね。相手が誰であろうと、失望されるのは」

「執行を。スターダスター」とクロックマンが告げた。

 そして刃は振り下ろされた。祈りも呪文もなく、首を落とすためだけの切先の丸い刀は、洋装の男から立方体の頭部を斬り落とした。


 同じ頃、新宿の異星人街となっている白銀街にほど近い路地で、もうひとつの死体が発見された。検分に立ち会ったのは、門倉駿也とその後輩にあたる若手刑事だった。彼らが呼ばれた理由は他でもない。殺されたのが異星人だからである。

「この異星人、先日帝大病院で見た星人に似ています」とその若手刑事が、刺激が強い死体を隠す幌を上げて言った。「医者だと言って、伊瀬新九郎氏が連れてこられた方です。しかし、似ていますが、彼とは違う」

「医者だと? それにしては、随分と禍々しい……」門倉は眉を寄せた。

 カマキリか何かを彷彿とさせる頭部であり、体色も白と緑の中間のような色をしている。しかし明らかに腕が多い。そして、片っ端から機械化されている。機械の頭まで生えている始末だった。

 その背中に、十文字の切り傷。これが致命傷のようだった。

 その時、門倉の頭上から声が降ってきた。

「禍学の遣い手、カッショー星人ナヤゴですわ」

 看板に腰掛けて脚を組む、女学生のような水兵服に羽織を着た、銀髪の女。片手に日本刀を携えた、二ツ森凍である。

 門倉は険しい眼差しを向けた。「君がやったのか」

「ええ、とお返ししたくてたまらないのですが……」

 続いて路地の影から燃えるような赤い短髪の女が現れて言った。二ツ森焔だった。「俺らじゃねえ。どこも焦げてねえし、その刀傷に凍傷の痕もないはずだ。それに、やったのは二刀遣いだよ」

「加えてその男、相当の手練れですわ。あの伊瀬の先生に手傷を負わせましたの」

「俺らを庇っての戦いで、不意打ちだったけどな。それでもあの旦那と渡り合った。そんな化け物が後ろからバッサリ。どういうことだと思うよ、刑事さんたち」

「恐るべき遣い手ということですか?」

「違うな」後輩を制して門倉は言った。「信用していた。手向かわれるとは思っていなかった。油断していたところを、背中から斬られた」

「つまり下手人はカッショー星人ナヤゴの部下、ということですわ。二刀遣いで、手練れの」

「なんだかんだで逃がしちまったんだよなあ。あの赤いの」

「まさか、〈赤のソードマン〉がこれを?」

 焔は頷く。「どういう心境の変化かは知らねえけどな。ま、なんにせよ自由を求めるのは健全な行いだぜ。俺らも鼻が高いってもんよ」

「ええ。一応わたくしたち、彼の先輩にあたりますの」

「君らも、ナヤゴという男に改造されたのだったな。これが……」

「だから、ってわけじゃねえんだけどさ」焔は頭を下げた。「見逃してやっちゃくれねえか。そこのカマキリ野郎は、生きていても不幸せしか生まねえクソ野郎だ。赤いのがどこにいるのか知らねえけどさ、放っておいてやっちゃくれねえか」

 看板の上から凍がひらりと下りて、同じように頭を下げた。「お願いします。マフィア間の抗争と思われる、被疑者不明としてくださいませんか」

 門倉は隣の後輩と、規制線の向こうで野次馬払いをしている警官らに目を向けた。

「頭を上げろ。君らは目立つ」そして眉間を揉み、前髪を直して続けた。「異星人の殺人事件などどこの部署も首を突っ込まない。我々異星犯罪対策課……ここにいる二名が口を噤めば、この事件は迷宮入りになる。後はあの忌々しい天樹の特定侵略行為等監視取締官だが、あの男なら、きっと揉み消す方に同意するだろう」

「じゃあ、いいのか」

「私は君らと話してなどいない。ここで会ってもいない。私は、〈赤のソードマン〉が生存しているなどとは、露ほどにも考えていない。よってこの事件は迷宮入りになる。さっさと消えろ。銃刀法でしょっぴくぞ」

 姉妹が顔を見合わせる。そしてもう一度深々と頭を下げた。

「恩に着るぜ、門倉さん」

「感謝しますわ、門倉さん」

「いよっ、男前。銀幕があんたを待ってるぜ」

「ああっ、なんて眼差し。妊娠してしまいますわ」

「……さっさと消えろと言ったぞ」

 門倉が溜息をつき、目線を逸らして数秒。

 たった今まで甘い声で身体をくねらせていた姉妹は、幻のように姿を消していた。

 門倉はもう一度溜息をつき、後ろの後輩に言った。

「ちょっと煙草を買ってきてくれないか」

「吸われるんですか。知りませんでした」

 いいから行け、と言うと、まだ若い後輩は警官らのところに駆けていき、近場の煙草屋について尋ねている。

 門倉は、服の上から鋼鉄の右腕を撫でた。その腕を失う前、やけに長身の、異星人が相手だとやけに人情派になる、ルールを無視したり敢えて曲解してばかりの先輩刑事に勧められて吸った煙草は、何が美味いのかさっぱりわからなかった。

 ビルの隙間の、珍しく晴れた空を見上げ、門倉は呟いた。

「俺にも、今ならわかる気がするんですよ。先輩」


 その、目線から少しばかり外れた、屋上。

「ちゅうわけでいい感じに収まったからよ、しばらくウラメヤにでも潜んでろや」

「わたくしたちの頭は安くありませんの。でも、お天道さまの下を歩く気になったら、いつでもいらっしゃいなさいな」

 二ツ森姉妹――それぞれ両手に三色団子を二本ずつ。

 その正面に、〈赤のソードマン〉がいた。額の折れた刀は後ろを向き、両腕の刀も、切先を上に向けて鉄の網を巻き、さらにその上から薄汚れた包帯を巻いていた。これも薄汚れた外套を着込んでしまうと、もうこの街にはありふれた、どこにでもいる怪しい男になる。

「礼を言う。ナヤゴの首を譲ってくれたことにも、逃亡の手配も。そして何より……私を目覚めさせてくれたことに」

 姉妹の隣で、あっという間に空にされた団子の包みをまだ呆然と手に乗せていた少女、早坂あかりを、〈赤のソードマン〉の発光機が見ていた。

「失敗したと思ってたんですけど」包みを畳みつつあかりは応じた。「多分、積み重ねたものがあったからです。葉隠先生が額の剣を折った。うちの先生があなたの正体を見破った。わたしは最後のひと押しをしただけです」

「押されなければ、私は転べなかった」

「……これからどうするんですか?」

「悪を学び、悪を追い、悪を断つ。私なりのやり方で」

「一応お伝えしておきます。あなたのお母さまは、明日、竹ノ塚の団地から引っ越されます」

「過去は忘れた。思い出せない」〈赤のソードマン〉は背を向けた。

「それでもお伝えしました。思い出せないふりをしているかもしれないので」

「たまには顔見せに来いよ」と焔。

「あなたが一線を越えたら、わたくしたちがあなたを狩る。ゆめゆめお忘れなきよう」と凍。

 あかりは一歩進み出た。「人ならざる者が合法的に悪と戦う抜け道もあるんです。このおふたりのように、リーガル・アンド・ノンリーサルに」

「その気持ちだけで十分だ」

 そして〈赤のソードマン〉は、ビルからビルへ、路地から路地へと飛び、駆けていき、あっという間に見えなくなった。

「……どうかねえ、あれ」団子を咀嚼しつつ焔が言った。「根性はあると思うんだが」

 ごくりと団子を飲み下し、凍が応じる。「どうにもならなければ、今度こそわたくしが斬って捨てるまでですわ」

 あかりは姉妹の方を向き直った。「大丈夫ですよ。きっと彼も、雲を払う風のひとつになったんです」

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