36.三分間の奇跡

 奇跡の力がぶつかり合う花火大会の下、観光地化した街路を我が物顔に埋める八百八町の庶民たちの喧噪の中に、その女のきゃらきゃらして婀娜っぽい声が響いた。

「あれえお兄さん、変わったもん着てはりますなあ」

 やけに薄着の、ほとんど下着みたいなワンピースからは、白い脚とたわわな乳房が惜しげもなく覗く。減るもんじゃなしと割り切り、見たいなら見ろと開き直り、むしろ向けられる目線を楽しんでいる節もある女は、もっぱら揚羽と名乗っている。その揚羽は、長い自慢の黒髪をまるで目線を吸い寄せるための魔法の道具であるかのように払い、目の前の、なぜか自分に見向きもしない男の頭部を無造作に掴んだ。

 否、頭部ではない。正確には、頭部を覆っている特殊偏光投影皮膜を掴んだのだ。市井ではもっぱら偽装皮膜ばけのかわと呼ばれており、一度被ってしまうと、外人であっても一見するとどこにでもいる人間の顔と区別がつかない高性能な製品も最近は多く出回っている。

 だが、吉原の大見世で最上級の座敷を預かる彼女は、客がちゃんと人間であるかを見分けるために、偽装皮膜を見破る目を養っていた。

 ずるり、と皮膜が外れ、中から現れる異形の顔面。艶のない灰色の、石のような表面をした、機械である。〈下天会〉の全電甲だった。

 周囲の避難民がざわつく。事態を悟った全電甲は、隠し持っていた刀を構えるや否や、地面に叩きつけたゴム鞠のように跳躍した。その頭部の電眼は、胸元を苦しげに掴み、額に脂汗を浮かべて頭上を睨む、葡萄茶袴の女学生に焦点を合わせていた。あの少女を始末せよ、という最上位の命令が、彼、いや、元は彼女だったものの機械の身体を駆動させていたのである。

 しかし、その全電甲が放物線の頂点に達した時、真横から飛来した火球が、最新鋭の禍学の産物を焦げた鉄屑へと変えた。

 街灯の上に器用に片足で立ち、手にした巨大な銃の握り拳ほどもある銃口に息を吹きかける、燃えるような赤い髪の女。二ツ森焔である。

「皮肉なもんだぜ。最後には同業者に追い立てられるとは」

 一方では、腰の曲がった白髪の老人が、人混みをひょいひょいと抜けて、別の男の偽装皮膜を引き剥がす。彼もまた、人を見分けることにかけてはどこぞの私立探偵以上の目を持つ、〈紅山楼〉の知恵袋にして懐刀、粂八老人だった。

「ありゃあ、こりゃたまげた! あんたメカなのかい!」

 白々しい叫びの最中に、小雪が散る。その全電甲は動くことすらできなかった。足下が、突如出現した氷により固められていたのだ。

 そして避難民の肩から肩へ飛ぶ女がひとり。女学生風の水兵服と肩ほどの長さに揃った銀髪が舞い、身動きが取れない全電甲の脳天へ、左手の刀を突き刺した。二ツ森凍だった。

「そして狩るわたくしたちは、同類ですわ」

 三次元印刷により量産された全電甲たちは、元を正せば〈下天会〉に拉致された女郎たち。そして一体残らず、カッショーの禍学により生み出された改造人間。

 そして路肩に停まったまま、押し寄せる避難民で身動きが取れなくなった警察車両の上に乗り、我が物顔で叫ぶ女がひとり。知る人ぞ知る〈紅山楼〉の女あるじ、紅緒だった。

「気の毒だけどねえ、あたしの男のために死んでもらうよ! お前たち、気合い入れな!」

 その足下では、洋装がすっかり埃まみれになっても蜥蜴の尾のような前髪の角度だけは乱れない刑事と、彼を抑える狸腹の上司が揉み合っていた。

「女! そこから降りないか!」

「落ち着け駿ちゃん、畏れ多くも〈紅山楼〉の女将さんを……」

「知っています! しかし誰であろうとこのような狼藉は許し難い! それと門倉です!」

 いきり立つ門倉。紅緒は煙草を吹かし、蜥蜴のような男を見下ろして言った。

「誰であろうと、ねえ。汚れ仕事の女に乗られるのが、気に食わんってえんじゃないのかい?」

「知ったことか! いいから降りないか!」

「へえ。……あんた、門倉さん。先生の元後輩だったっけかね」

「だったらどうした」

「そのうち、うちにおいでなさいな。一番人気の子をつけたげるよ」

 呆気に取られる門倉。代わりに声を上げたのは財前だった。

「……羨ましい!」

 門倉は顔を引きつらせる。「警部、妻子ある身でなんてことを。幻滅しましたよ」

「いやしかしだな、こんな厚遇は……俺も鼻が高いぜ」

「ナニを高くしてんですか!」

 その時、頭上から焔が鋭く叫んだ。

「一斉に来る!」

 直後、人波があるところは割れ、あるところで跳ねた。潜んでいた全電甲が隠密衆の手を逃れ、突撃を開始したのだ。狙うは早坂あかりただひとり。そのあかりは、頭上を凝視したまま身動きする様子もなかった。

 空中に上がった二体を凍が斬り捨て、地上を走ろうとした二体を焔が狙い撃った。さらに二体を、粂八老人と普段は〈紅山楼〉で運転主をしている男、普段は揉み手で客を出迎える男――その実態は吉原の忍者集団である男たちが取り押さえる。

 そうして全員の注意があかりから周辺へと散った、一瞬の隙。

 建物の硝子を突き破って新たな全電甲が出現した。両腕に固定式の刀、額にも折れた刀、頭部には赤い発光機。〈赤のソードマン〉だった。

 騒然となり逃げ出す避難民たちと、微動だにしないあかり。隠密衆はもちろん、さしもの二ツ森姉妹の反応も遅れた。焔の火球は間に合わず、凍の動きを慌てふためく市民が阻む。

 姉妹が、目線も交わすことなく互いに同じ覚悟を決めた。

 今、最優先するべきは、早坂あかりの命である。彼女という要を失えば、空の戦いは敗北に終わる。最終的な勝利のためならば、市民を犠牲にすることもやむを得ない。

 だがその時、新たな濫入者が絶叫とともに現れる。顔面には鼻血の跡。腫れ上がった頬。片手片足の筋電甲は、足の方が短く腕の方が長く、まるで手長猿か何かのように不格好だった。

「間に合っ……た! 今度こそ!」

 そして〈赤のソードマン〉に真横から衝突したのは、全身の痛みに耐え、仲間の筋電甲のうち無事なものを装着し、小石川から駆けつけた小林剣一少年だった。

「無事か、伊達娘!」

 あかりは目線だけを向けて応じた。

「ありがとう! 黙って! 気が散る! ごめんね!」

「ひでえ」

「だってわたしが復号し続けないと、次のページがなくなるの!」怒鳴り返して、声を潜めてあかりは言った。「だからわたしはここにいる。そうですよね、依子さん」


 〈金色夜鷓〉が放つ、目にも眩い閃光の連鎖。その怪光によって乱される世界の中で、〈闢光・機装天涯〉の額の偃月飾りが外れて右手に収まる。EWE攻撃はその動作そのものを暗号化したはずだった。

 蒸奇光線砲の連射も、刀を抜いた黒鋼には届かない。防御あるいは回避されるという現実そのものが本来ならば暗号化され、発射から連想される着弾という結果が自然の摂理として発生するはずだった。

 だが刀は抜かれる。光線砲は弾かれる。

 瞬時に復号されることだけが理由ではなかった。刀は抜かれることを、光線砲は弾かれることを望まれていた。大気に散らばり世界を満たす蒸奇の一粒一粒の向こう側から発せられる抗し難い力が、伊瀬新九郎の背を押す風だった。

 光が集まり刃を成す。最初は揺れ動く炎、そして転じて、硝子のように透き通る。

 機体に合一した〈奇跡の一族〉を介し、伊瀬新九郎は何者かの存在を感じていた。思い出すのは、迷い込んだ異世界での出来事だった。翻訳される時を待つ本。読まれない物語は存在しないことと区別がつかない、と依子は言った。

 一行先で何が起こるか。蒸奇の向こう側にあるすべての意識が、伊瀬新九郎を突き動かし、次の言葉を訳出する。

 威嚇の鳴き声を放ち、両手に蒸奇殺刀を構えた〈金色夜鷓〉が迫る。新九郎は息を吸い込み、〈闢光・機装天涯〉が刀を大上段へ振り被った。

 ペンローズ・バリアが弾ける。無数の電光の中で、刃と刃が激突する。斜め十字に組んだ〈金色夜鷓〉の刀の突撃を、〈闢光・機装天涯〉の一刀が跳ね返す。

 新九郎は息を吐いた。

「鋭!」

 風を切る二の太刀、三の太刀。月光に鋭音が溶け、時間が止まったような沈黙が下りた。

 そして〈金色夜鷓〉の巨体が後方に跳ね飛ばされた。同時に、一六対三二枚の羽根が、蒸奇殺刀を作っていたものも含めてひとつ残らずすべて砕けた。

 蒸奇殺法・鬼ノ爪――息もつかせず肉薄。左右から迫る巨大な金色の尾を、新九郎は同時に見た。

「蒸奇殺法、月代」

 退きながらの横薙ぎの一閃が、わずかに欠けた円弧を描き、三本爪を突き立てようとする尾を弾く。そして一転、突撃。尾の射程の内側へ潜り込む。

 続けざまの突き技。〈金色夜鷓〉は猛禽の左脚で蹴り飛ばそうとする。すべて想定内だった。

 飛行する相手への迎撃技、蒸奇殺法・鳥刺し。師曰く一反木綿と戦うために編み出した技であり、新九郎が本当に鳥相手に使ったのは夢の中での一回だけだった。これで、現実でも一回。

 刀を引き抜く。金色の左脚が輝きを失い、灰色になって爆発。飛び散る部品が形を失っていくのを目の端で捉えながら、刀の切先は鳥の喉元へ向いた。

 〈金色夜鷓〉がいやに人間染みた金色の両腕を交差する。物の数ではない。

 再びの突き技――だが今度は、鳥刺しよりも踏み込みを深く。

 二本の腕ごと、切先が喉元を刺し貫く。嘴が酸素を求める生き物のように開閉する。その苦悶を冷徹に睨む〈闢光・機装天涯〉が刀を捻る。引き千切られる金属。新九郎は叫んだ。

「蒸奇殺法、兜落とし!」

 天に向けて斬り上げ、〈金色夜鷓〉の首が飛んだ。

 角と牙の生えた巨大な鳥の首と、一対の巨人の手首が満月に重なり崩れる。

 しかし、本体は尚も止まらなかった。

 全身を痙攣させながら、羽根も足首も手首も頭も再生していく。同時に全身に生える蒸奇光線砲の砲口。

 新九郎は舌打ちした。

 破れかぶれのような乱射を、〈闢光・機装天涯〉は乱数機動で回避。折れ線の光跡が尾を引いた。

 時間がなかった。

「身体を半分借りるぞ、伊瀬新九郎」とかつて五号監視官だった者が言った。「幻之丞の技を使う。君なら追従できる」

「蒸奇殺法なら一応免許皆伝のはずだが」

「四十八手の次、四十九手目の技だ」

 そこに地面があるかのように、〈闢光・機装天涯〉が腰を沈めた。

 脇構えの切先が下がり、踵よりも低くなる。蒼白の刃が炎と燃えた。

 そして繰り出す、居合いのような斬撃。一瞬だけ生成された長大な蒸奇殺刀が光線のように閃く。夜空を照らし、月光を裂いたそれが三、四、五――数えて八。

「蒸奇殺法、八岐大蛇」

 再生しかけた金色に筋が入り、青竹に鉈を当てたように九枚おろしに割れた。

「あの野郎!」と新九郎は声を上げる。「これ、僕の十文字斬りの応用だ! クソ師匠め、パクりやがった!」

「まだ再生している。やはりアルファの心根を断たねば」

「ならば本家の技を見せてやる!」

 〈闢光・機装天涯〉が全身から青い光を発した。

 掲げた刀が満月を突く。聳える天樹を背中にし、歪な人型の右手で蒸奇の渦が燃え上がる。〈金色夜鷓〉は、再生しながらも背を向けて逃れようとする。息せき切った選留主が言った。

「あなたも見たはずだ。奥様との幸せな時間を。なぜ捨てた。なぜ戻ってきた」

「そうあれと望まれた。それにね」新九郎は口の端で笑った。「

 伸びる刀の、真っ向唐竹割りの一閃。続けざまに独楽のように回転しながらの横一文字の斬撃。帝都の夜空に月より眩しい十字光が輝き、その中心で、ひとつの命が途絶えた。

 かつて、未熟な人を愛したがゆえに、未開文明への介入という星団憲章の第一にして最大の理念を犯した大罪人。最初の一体ゆえにアルファ。だが、古代の神話は彼にプロメテウスと名をつけ、記憶に留めている。すなわち、彼の存在は口承されていた。語り伝える物語というものは、彼が地球を訪れる前から存在していた。

 彼がいなくとも、人類は火を操っていただろう。

「蒸奇殺法、十文字斬り……斬り捨て御免」

 刃が砕け、〈闢光・機装天涯〉の頭頂部に、偃月飾りが再び収まる。

 月光をかき消し、空を青く染めるほどの光が、帝都の空を満たした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る