39.The Good, the Bad and the Ugly

「それでは、〈紅山楼〉も代替わりですか」

「一時的ですけどねえ」ゆったりした洋装の紅緒が応じた。「いざって時に格好がつきませんし、そこの阿呆にもそろそろ経営者の心構えを身につけさせたくてねえ」

「ちょっとお、阿呆はないんとちゃうん?」揚羽が頬を膨らませて応じた。

 呼び出されてみれば、引き継ぎの話だ。新九郎が奥座敷に上がると、紅緒と並んで揚羽がいた。紅緒は、まだ身体が動かないほどではないが、いい機会だと主の仕事一式を後継者と見込んでいる揚羽へ一時的に預けることにした。それには、情報屋としての裏稼業も含まれる。その一番の顧客は、特定侵略行為等監視取締官、伊瀬新九郎なのだ。

「手ぶらもなんですので」新九郎は紙袋を紅緒の前に置いた。「御守りです」

 袋を開いて、紅緒は眉をひそめる。「やたらありますが」

「ええ。水天宮と、鬼子母神と、亀戸の天神と、代々木の八幡と……」

「あらあ。全部安産祈願。新さんやるぅ」

「縋りゃあいいってもんでもなかろうよ。大体先生、あんたいつから宗旨変えしたんですか」

「数打てば、ひとつくらい本当に超自然的な力が宿っているかもしれないでしょう」

「まだまだ先だってのに、こんな大はしゃぎして……」

「またまた、素直に嬉しゅうございますって言えばええのに。ねえ新さん?」

「そんなことを言われたら気味が悪くて夢に出そうだ」

「へえ……」紅緒は顔を引きつらせていた。「あたしが、あんたからの贈り物に、嬉しいと言ったら、夢に出るほど気味が悪いと。へえ、そうですか。じゃあこいつは風呂の焚き付けにでもさせてもらいますよ。霊験あらたかでよく燃えることでしょうよ」

「そんな、罰当たりな」

 臍を曲げる紅緒。火に油を注ぐ新九郎。宥める揚羽。しばしの騒がしさがあっても、長続きはしない。互いにいい年の男女だった。

 煙草に火を着け、新九郎は言った。

「先日の件、助かりました。ここの皆さんが早坂くんを守ってくれなかったら、僕らはあのエセ教祖に負けていた」

「困った時はお互い様ですよ、先生」

「でも大したもんねえ。光明星を訪れる最初の人類、って新聞に書いてあったっけね。早坂のあかりちゃん。新さんは知ってたん?」

「ああ。時計から聞いていた」

「悩んだでしょう」紅緒が呟くように言った。「行かせるのが正しいのか。思春期に孤独を友とさせる苦しみを、あの子に強いていいのか。そして、帰ってきてくれるのか」

「それも悩みました。ですが今は……もっと大きい悩みがありまして」


 早坂あかりの身辺は俄に多忙になっていた。新聞にまたも顔写真が出たせいか、どこへ行っても誰かの目線が追いかけてくる。天樹の護衛であるポーラ・ノースがつかず離れずついてくることにも閉口させられた。

 それでも、出発までにできる限りの関係先を訪ねておきたかった。

 井端鉄工所では、職場を失った呂場鳥守理久之進を預かってもらっている。礼儀正しく芸達者な彼は、宿縁ある職場でも可愛がられているようだった。

 代わりが利かない井端の小電装は、事件後も重宝されている。それでもある程度注文は減り、減った分の注文を奪ったのは北條重工なのだとか。

「買収の話もあったのですよ」と井端彩子。背筋を伸ばして膝を揃え、楚々と微笑む姿は〈純喫茶・熊猫〉を訪れる時の彼女だ。

「受けなかったのですか?」

「蹴るに決まってんだろうが」と同じ井端彩子。背筋を曲げて脚を開き、鼻の穴を膨らませる姿は鉄工所の彼女だ。「町工房には町工房の誇りがある。資本じゃ魂は買えないんだよ」

 それでこそです、とあかりは応じた。

 ヒグチオートでは、自宅件事務所を失った二ツ森姉妹が働いていた。焔の方は勝手に二輪の修理を請け負い、凍の方は車へのこだわりが強すぎ、毎日のように店主を呆れさせていた。それでも、武器を持たない時は始終愛車を弄り倒していた彼女たちの腕前は確かで、寄る年波との戦いが守勢に回った店主にとっては大助かりの従業員になっていた。

「時間がずれるのなら俺らも経験済みだけどさ、どうにかなるもんだぜ」と焔。

「ええ。帰ってくれば彼がいますわ。今と変わらず、手助けしてくれるに違いありませんわ」と凍。

 それなんですよねえ、と応じてあかりは二の句が継げなくなる。すると目の前には、何もかも聞き出してやるとばかりににんまりと笑った姉妹の同じ顔があった。

 陸軍憲兵隊小石川駐屯地にも足を運んだ。守衛の男には名を告げる前から敬礼され、前後左右に護衛の兵士がついて事務所まで案内される。道すがら、瓦礫の撤去が進められる超電装の格納庫が見えた。そして機甲化少年挺身隊を率いる沖津英生大尉の居室へ入り、あかりは彼ともども室内で待っていた少年を思わず指差して言った。

「……ミイラ!」

「誰がミイラだコラ」と応じたのは、包帯でぐるぐる巻きにされた小林剣一だった。

 一連の戦闘で重傷を負った彼だったが、危ういところであかりの危機を救った功績は部隊内での英雄扱いに十分なものだった。折られた鼻は整形され、あちこちの骨折には筋電甲の技術が適用され、専属の軍医がつくという一兵卒にはあり得ない待遇を受けていたのだ。さすがに装着している手足は民生用だったが、本人は復帰の意欲に満ちあふれていた。

 一方の沖津も重傷を負ったが、翌週には木刀を握っていたというから驚かされる。あかりを出迎えた時は、壜の中に模型船の部品を慎重に差し入れようとしていた。聞けば、両手首が新品になったため、繊細な作業の勘を取り戻すのに難儀しているとか。それ即ち、剣技の巧拙に直結する。

「本当に行っちまうのか。その光明星で、えーと、アストラなんとかが……」

「星霊憑依交信実験ね。できれば実験終了後も星団評議会下で特使付の通訳をって言われてるけど、まあ、そのうち地球には帰ってくるつもりだし。盆暮れ正月とはいかないけど」

「我々の時間軸では、さほど長くはならないのだろう」これもピラミッドの中で冒険家に襲いかかりそうな風体の沖津が言った。「だが、その時君は何歳になっているか」

「特異重力空間にどれくらい滞在するかわからないんですよねえ。わたしは非武装艦にしか乗りませんから、超光速航行ができますし、亜光速移動のウラシマ効果は最小限にするって言われてますけど……帰ってくる頃にはおばさんになってるかも」

「大丈夫なんだろうな」声を荒げ、あちこち痛そうにしながらも、小林はあかりの方を真っ直ぐに見て言った。「お前、この街に来た日だって、この前だって、俺が助けたんだ。忘れてねえよな。お前は危なっかしいんだよ」

「わたしから見ると小林くんもかなり危なっかしいんだけど……」

「なんだとコラ」

「わかってるよ。小林くんだけじゃない。わたしは、たくさんの人に助けられて守られたから、今日までやってこられた。その人たちのたったひとりが欠けただけでも、わたしはここにいなかったと思う。でも、支えられたわけじゃないって思ってる。わたしを支えているのは、このわたしの二本の脚なんだ」

「お前さあ、俺片脚ねえんだけど、そういうこと言うか? なあ」

「いや小林くんは人より強い脚があるじゃん」

「確かに」

「だから……今までありがとうね、小林くん。沖津大尉も、ありがとうございました」

「おう。元気でな」

「君の力になれたのなら何よりだ」と沖津は言って、小林へ水を向ける。「それだけでいいのか。彼女に、言いたいことがあるのだろう」

「言いたいこと?」

「それは……」小林は目線を逸らしてしまう。「別にどうでもいいっていうか。眼中にないってわかったっていうか……」

「え、何? 意味不明なんだけど」

「今が最後だぞ小林。男を見せろ」

「大尉まで、なんなんですか一体」

「うるせえ!」と小林はひと声叫び、部屋に沈黙が下りる。それから、ぽつりと言った。「その……敬語だよ。そう、敬語」

「は?」

「いや、その……。俺の方がちょっと年下なのに、タメ口で喋って悪かったっていうか」

「いやそれどうでもいいんだけど。大体、曲がりなりにも軍人さんなんだから、ちゃんとした話し方しないと駄目でしょ」

 うるせえ、と結局敬語も何もない小林。深々と溜息をつく沖津。何か今ひとつ噛み合わないが、これは、心の中を暴いてまで解き明かすべき謎ではないとあかりは直感して、そのままにしておくことにした。

 上野署の刑事たちも訪ねた。上野署の建物が焼失してしまったこともあり、刑事たちは都内の各警察署に預かりの身分になっていた。いつもひと組だった財前と門倉のうち、会えたのは門倉だけだった。彼は経験を買われて、新宿界隈の異星人街の担当に収まっていた。

「小野崎の身柄が軍に抑えられそうなんだ。どうにか一度、伊瀬新九郎との接見機会を作ろうと財前さんは奔走していてな。毎日会議、打ち合わせ、会議で私もろくに連絡を取れんのだ」

「お世話になりました、と伝えておいていただけますか」

「お安い御用だ」門倉は彼にしては珍しい微笑みを見せた。「君には非礼を働いた。たかが小娘と舐めていた己が恥ずかしい。伊瀬新九郎のところから独立したら知らせてくれ。翻訳の仕事ならいくらでも回せる」

「ご信頼に見合うわたしになるよう、精進してきます」

「それと、一応君には伝えておこう」署内の耳と目線を気にして、門倉は声を抑えた。「〈赤のソードマン〉は生存している。だが、無害だ。やつの母親だという女が竹ノ塚の団地に住んでいたことは知っているな?」

「ええ、はい、一応」

「彼女が先日団地を退去したのだが、その時に、〈赤のソードマン〉らしい人影の目撃情報があったそうだ。団地の建物の上で、まるで見送りに現れたかのように。以降の目撃情報はなく、完全に行方をくらませている。目撃情報も、誤りということで処理されるだろう」

「縁は残ったんですね。よかった」

「……驚かないのだな」

「いえっ、まさか、驚き桃の木山椒の木ですっ! いや、ここ最近驚きばかりで、ちょっとやそっとじゃ騒げなくなったっていうか」

 ならいいが、と応じた門倉だが、何かを察したようだった。刑事の勘の前に、隠し事などできないのだ。

 ウラメヤのショグにも会っておこうと思ったが、止められてしまった。身の安全が保証できないと、ポーラ・ノースに泣きつかれたのだ。

 〈紅山楼〉にも挨拶に行こうとしたが、新九郎に止められてしまった。今や有名人になってしまったあかりが訪問しては迷惑になるし、そもそも女学校も出ていないような年齢で足を踏み入れていい場所ではない、とのことだった。

 それでも、手紙は出しておいた。お世話になった筋は通したかったし、現在はフレイマーが〈紅山楼〉の世話になっている。なんでも、雰囲気を盛り上げる照明作りにひと役買っているとか。

 それに、伊瀬新九郎には知られたくない、紅緒への頼み事もあったのだ。


 東京警視庁霞ヶ関本庁舎。その地下に三年ほど前に新設されたのが、異星犯罪者用の特別留置場だ。星外技術をふんだんに用いたその場所に立ち入るには生体認証が必要であり、内部は電波暗室化されている。一方で接見室は金属が一切用いられず、金属生命体の類にも対応する。非常時には超電装の装甲と同規格の宇宙超鋼の鋼板が用いられた三段の扉が閉じ、内部を脱気するあるいは任意のガスを流すこともできる。

 その最後の生体認証を開き、財前剛太郎は伊瀬新九郎を招き入れた。

「俺はここまでだ。俺がやつに接触すると後で面倒になりそうでな。お前さんなら、軍も額に青筋を浮かべるだけだ」

 感謝します、と応じて新九郎は左右に開いた扉を抜け、廊下を進む。背後では扉が閉ざされる。

 接見室は、一〇畳ほどのささやかな空間だった。不可視の防壁を挟んで、簡素な丸椅子だけが置かれている。

 壁の向こう側には、選留主――小野崎徳太郎がすでに座っていた。宙を見つめ、口を半開きにしていた。アルファとの深すぎる接続の副作用だった。

 新九郎は腰を下ろし、脚を組んだ。

「ずっとお前のことを考えていたよ」と新九郎は言った。返事はなかった。構わず続ける。「お前は、この世界が物語の中であることを証明しようとした。だが、それはいつからなんだ。アルファがお前を選んだのか、お前がアルファを選んだのか、それとも……お前は証明するためにそもそも生まれてきたのか」

 新九郎は懐に手を伸ばしたが、煙草もライターも外で警官に取り上げられていた。

 仕方なく息をついて、新九郎は続けた。「人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。〈下天会〉の名はここから取ったのだろう。すると、お前は〈下天会〉を立ち上げたその時には、この世が夢幻であることを暴こうとしていた。違うか?」

 反応を窺う。選留主は、呆然と斜め上の方を見上げているだけだった。口の端から涎が垂れていた。

「どうやらこの世界は、いくつもの夢が重なり合って生まれたらしい。向こう側にいる誰かに希望を与えるために。これは、ただの仮説に過ぎないのだが、お前も同じなんじゃないか? 幾つもの悪しき存在が重なり合って、お前が生まれたんじゃないのかと、僕は考える。僕が誰かの夢ならば、お前は誰かの苦しみや絶望なんじゃないのか。お前がやってきたことは、もしかしたら……」新九郎は言葉を切った。

 老いた髭面の宗教家が、目に尋常でない輝きを宿して新九郎を見ていた。

「それ以上の思考はいけないよ、伊瀬新九郎」と選留主が言った。だが、声が違った。無邪気で幼い、少年の声だった。

「……やはり残っていたか。愛と理を喰らう下天の者。〈アルファ・カプセル〉の主」

「君と話すために、僕は僕の存在の、最後のひと欠片をこの男に繋ぎ止めたんだ。長くは保たない」

「僕に、何を」

「多くの愛を踏みにじり、多くの理を歪めた。この男は、あちら側にかつて流布した狂気を集め、天から堕ちて生まれた存在なんだ。そしてあちら側から帰還した君が、語り、思うほど、世界の界面は揺らぐ。だから口を噤むんだ、伊瀬新九郎」

「死んだ嫁に会ったなんて言い触らしたら、とうとう気が触れたかと笑われるよ。だがお前は、なぜ僕に沈黙を望む?」

「僕はこの世界と、君たち人間が大好きなんだ。滅びてほしくない。だから君に沈黙を望む。界面が破られないことを望む」

「無様だな、お前は」

「愛するとは、無様になることだからね」髭面がにやりと笑う。

 新九郎は、爛々と輝く男の目をじっと見つめた。

「いいだろう」と新九郎は応じた。「語れば僕は、選留主と同じ存在になる。僕は口を噤む。だから、安らかに逝くといい」

「ありがとう。君を助け、僕の声を聞き、世界を復号したあの少女によろしく」

 選留主の身体が力を失う。新九郎は立ち上がる。

 また斜め上の方を呆然と見ているばかりに戻ってしまった男を見下ろし、新九郎は言った。

「僕は主役になっても、悪役にはならないさ」

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