8.電甲戦隊 対 改造人間

「先生? 晩御飯どうするんですか? 先生!」

 早坂あかりが事務所の扉を開くと、そこは珍しくもぬけの殻だった。

 窓辺の書斎机に主はなく、外から差し込む商店のネオンを映すのみ。本や雑誌の類が詰め込まれた書棚の向こうには、長身がとても収まりそうにない簡易寝台。毛布が起きた時に跳ね除けた形のままになっている。

 だいたいいつも、伊瀬新九郎は事務所にいる。事務所にいるということは調査に出ていないということであり、調査に出ていないということは火急の仕事を抱えていないということだ。簡単そうな依頼なら、のらりくらりと期日を躱し続ける。本人たちで解決できそうなら、報酬を顧みることもなく、依頼を請けずに返してしまうこともある。伊瀬新九郎の日常は、働きたくないという意志を断固として示すためにある。

 酒が飲めずに飲み歩く習慣がないため、夜はいつも事務所で何か書くか読むかしていた。時々屋上で木刀を振り回していることもあったが、その時は物音ですぐにわかった。

 しかし連日だ。このところやけに帰りが遅いし、今日などは帰ってこない。せっかく仙台から客人もやってきているというのに、案内に立つ気配もない。一緒に食事くらいはしたかったのに、結局その機会を得られないまま時間だけが過ぎている。

 足元で鈴が鳴った。いつの間にか室内に入り込んでいた黒猫のマサムネがあかりの足元にすり寄ってきて、物欲しげに鳴いた。

 屈んで、頭を撫でてやる。

「君もお腹空いたよねえ」

 抱き上げようとすると、マサムネはあかりの手をするりと逃れて部屋の奥へと歩いていき、新九郎の椅子、そして机の上へと飛び移る。

「ちょっとちょっと、そこは駄目だって。ただでさえ散らかってるのに……」

 慌てて抱き降ろそうとして、妙なものに気づいた。

 封筒だ。宛先は伊瀬新九郎。差出人は、早坂かをり。君の姉上からだ、と言われて受け取った手紙とは別のものだった。

 封筒に引かれたマサムネが前脚を伸ばし、爪が当たった拍子に封筒の中身が机の上に落ちた。

 見るべきではなかったが、悪戯心と好奇心が勝った。姉と新九郎の間に共通する話題といえば自分のこと――なら見てもいいだろう、とあかりは思った。

 そして便箋を開き、目を見開いた。



 二体ともを引き受けた時は、一方を凍結させておいてもう一体をじっくり仕留めればいいと考えていた。だが会敵数秒で二ッ森凍はその考えの甘さを思い知る。槍の青と斧の黄色の連撃には絶え間がないのだ。

 周期はある。基本的には槍が刀より一歩広い間合いから牽制の突きを繰り出し、少しでも剣捌きや足場が乱れると斧が突撃してくる。そして大振りで隙が大きい斧の男を仕留めようとすると、狙い澄ました槍の一撃が飛んでくる。いずれも、並の力ではない。機械仕掛けの身体から繰り出される攻撃は、いずれも厚さ一米の氷の壁を砕くほど。百戦錬磨の改造人間、二ッ森凍をして、腕の痺れを覚えさしめるほどだった。

 高度を取った戦いができないのも、二体の全電甲戦士と渡り合うことを困難にしていた。高所へ誘う、空中戦を挑むなどして無理矢理に一対一の状況を作れば、労せず仕留められる自信があった。だが、そうすれば周辺に氷の壁で隔離した僧兵たちから狙い撃たれる。壁を常に維持し、いかに剣の腕に優れていようとも撃たれれば死ぬ伊瀬新九郎のところへ僧兵を向かわせないようにし、同時に自分は撃たれれば痛みを感じ隙が生じ全電甲戦士につけ入られるため、射線を常に避け続けなければならない。その上。

「馬鹿力ですわね!」

 〈黄のアックスマン〉が振り下ろしたまさかりを連続生成される決して砕けない氷で上張りした刀で受け、相手の刃を凍りつかせながら押し返す。氷雪の力を防御に用いていること自体が、異常事態だった。同時に右から〈青のランスマン〉による槍の突きが迫る。刀を持たず、利き腕ではない方向。迫る鋒に、常人を遥かに上回る超感覚が反応する。槍の形状と、遣う全電甲の力の向きを感覚し、逸らすために必要な最低限の力とそれをかけるべき場所、瞬間を直感する。並行して、たった今弾き返した〈黄のアックスマン〉が姿勢を整え、武器から氷を払い落とすまでの時間を予測する。

 湿気が閃く氷の粒となり、凍てつく冷気が風となる。凍は右を見もせず、右手に持っていた宇宙超鋼の鞘を無造作に振った。そして自分の足元の氷を融解させる。

 鞘は槍の穂先に衝突。軌道を凍の前方へと逸らされる。同時に凍は後方へと僅かに滑る。

 凍の前を空振りしてすり抜けていく〈青のランスマン〉。そして凍の踵で、氷が一気に成長する。刀を手にし、女学生の装束を身に纏う女の身体が華麗に舞い上がり、爪先が〈青のランスマン〉の頭部を踏んだ。

 明滅する発光機に向け凍は言った。

「あら、失礼いたしましたわ」

 そして跳躍。狙うは鉞の刃を覆った氷を払い落とそうとする〈黄のアックスマン〉だ。氷の粒を吹雪のように巻き上げ、左手の妖刀を右肩の後ろまで振り被る。

 捉えた。半ばそう確信した時だった。

 凍の腹部に衝撃と鈍痛が走った。〈黄のアックスマン〉が、まだ氷の塊に覆われたままの鉞を、大鎚のように振るったのだ。

 弾き飛ばされる凍――石の鳥居を砕き、地蔵尊を倒し、氷結した水面を滑って氷の壁に背中から叩きつけられる。衝撃のあまり壁にヒビが走り、凍は呼吸を失う。

 思い出すのは伊瀬新九郎がもたらした情報である。カッショー星人。暗黒の世界に住まい、禍学の力で生物を兵器へと変える悪魔的技術を持つ集団。他でもない、かつて二ッ森姉妹をこの星から拉致し、生きているだけで星団憲章違反という誹りを受ける存在へと改造した者たちだ。

 この電甲戦隊もまた、彼らの手によって生み出された。つまり、鋼の身体を持つ彼らはいわば、二ッ森姉妹と兄弟姉妹のような関係なのだ。

 槍を構え正面から迫る〈青のランスマン〉。ついに得物にまとわりつく氷を落とし、槍の背後から迫る〈黄のアックスマン〉。痛みのあまり乱れる呼吸を無理に整え、凍は刀を構え直す。柄から伸びた銅色の管が手首に深く刺さり、爪を白く塗った親指が、鍔代わりの歯車を回す。

 一方、やや広間の中心近く、豪熱を秘めた火球が乱れ飛ぶ。足を止めた二ッ森焔は、跳ね回る〈白のウィップマン〉を照準し、右手の巨大な銃を撃って撃って撃ちまくる。氷が砕け、浴衣姿のマネキンが吹き飛び、荷車が消し炭になる。対する〈白のウィップマン〉は回避し続ける。そして直撃弾は、刃のような鞭が切り裂き、渦巻を作った鞭が受け止める。

 その間にも次々と飛来する〈緑のダガーマン〉の短刀。だが、回避動作すらしない焔に殺到するそれは、独りでに逸れていく。焔が生み出す、暗闇でなければ見定められないほどの小爆発が、投擲された短刀をひとつ残らず吹き飛ばしているのだ。

 戦力は拮抗。だがそれは二ッ森焔にとっては予想外だった。たった二体相手に苦戦することなど、改造人間と化してからの焔にとってはありえないことだったのだ。すぐに片づけて、それなりに人間離れしているとはいえ人間である伊瀬新九郎を助ける目論見が外れた。

 〈白のウィップマン〉が壊れたテレビの山の陰に逃れる。ならば丸ごと吹き飛ばしてやる、と豪熱の力を右腕に強く流し込み、前腕に突き刺さった銅色の配管が蠕動したその時。短刀の雨が止んでいた。

 即座に動く焔。果たして、砕けながら吹き飛ばされた大量のテレビが砲丸となって飛来する。鋭利な金属部品に肌を裂かれながらも逃れたところに短刀を両手に構えた〈緑のダガーマン〉。テレビを吹き飛ばした〈白のウィップマン〉は、今度はその鞭を石灯籠に向け振るう。

 交錯する緑の発光機と赤い髪。すれ違いざま、鋒を紙一重で逃れながら肩越しの後方へ銃を向ける。一度つるりとした後頭部に合わせた照準を肩へとずらす。そして引き金を引こうとした時、手首に乱れ飛んだ石礫のひとつが直撃する。

 撃つ。だが、外す。火球は地面に爆煙を上げるのみ。即座に切り返し今度は片手の短刀での斬撃を繰り出す〈緑のダガーマン〉。一合、火花。鈍器のように振るった焔の銃が、緑の刃を弾いた。

 続く連撃に焔は備える。格闘戦の間合いまで近づかれることは、妹との喧嘩を除けば皆無である二ッ森焔にとって、まず間違いなく危機的状況だった。

 だが、〈緑のダガーマン〉は、退いた。

 違和感と同時に、頭上に風切り音。先端に分銅を装着した鞭の音と悟った時には、焔の身体は動いていた。

 突進――背後に弾幕を張りながら、敢えて〈緑のダガーマン〉との近接戦闘の距離を保つ。

 白と緑の全電甲は、遠距離攻撃と近距離攻撃の担当を交互に入れ替えることで、的を絞らせない戦闘を展開している。ならばその目論見を、崩してやればいい。

 〈白のウィップマン〉の鞭は空を切り、氷を割る。〈緑のダガーマン〉は牽制の短刀を放つが、明らかに盲滅法。

 狙い澄ました一発で、跳躍する〈緑のダガーマン〉の着地点を先回りして破壊。さしもの全電甲も平衡を失って転倒したところに、さらに左右の氷の壁を根本だけ溶解させて倒す。

 轟音の中、氷塊の上に焔は着地。もがく緑を氷越しに見定め、銃口を向けた。

「一〇年早いぜ、からくり野郎」

 目一杯の力で撃とうと引き金に指をかけた時。

 白い鞭が焔の手首に絡みついた。鞭の主は無論、〈白のウィップマン〉。届かない距離と見越していたはずだったが、見れば鞭が明らかに伸びている。そして、引っ張られまいと引き返すと、なおもゴムのように伸びる。白い発光機が我が意を得たりと笑うかのように明滅する。

「やべえ」

 〈白のウィップマン〉が跳躍した。さらにそこへ鞭の弾性力が加わる。焔は、力が急に失われて姿勢を崩す。さらに足元の氷塊の下から、強力な電磁気が発せられる。

 まず、〈緑のダガーマン〉が、腕力による投擲ではない、電磁投射により八本の短刀を同時に放った。氷を貫きながら挺進したそれらのうち一本が、焔の右足を裏から甲へと貫通した。

 次いで、側方から自身を砲丸と化して飛来した〈白のウィップマン〉による両足の蹴りが、咄嗟に防御した焔の左前腕と、肘の強化骨格を砕き、さらにその下の左肋骨までもをへし折った。

 焔は弾き飛ばされ、仰向けに氷の上を滑り、線路の枕木にぶつかる。

 しかし、なおも立つ。幸いにも無傷で動く右腕を上げ、爪を朱色に塗った右手の親指が撃鉄代わりの歯車を回す。

 他方、伊瀬新九郎もまた、奇怪な器物と氷の柱が連なる中を駆け抜けながら、幾合も全電甲男と刃を交わす。疲れ知らずの命知らず。全身が鋼鉄の〈赤のソードマン〉は、鋼の刃を恐れない。文明が植えつけた刃物への根源的な恐怖を持たない存在は、伊瀬新九郎を戸惑わせる。少なからず、実戦剣術は真剣が与える示威効果を見込んでいるからだ。

 地面に斜めに突き刺さった廃列車の上から〈赤のソードマン〉が飛び降りる。両前腕部に固定された一対の刀を振り被る。人体よりも明らかに重量物。新九郎は平突きの構えを取る。蒸奇殺法・鳥刺し――飛行する怪物を仕留めるための技で迎え撃とうとして、脳裏に迷いが去来する。

 殺していいのか。

 無論、明らかに殺されそうになっている以上、正当防衛は成立する。法ではなく、倫理の問題だ。

 彼らは、元は人間と思われる。あるいは他の直立二足歩行の種族かもしれないが、カッショー星人は原則的にその星の生物を生体兵器の素体にするから、まず人間と考えていい。つまり、彼らも被害者なのだ。本来であれば、保護し救済の手段を探るべきだ。

 だが同時に、救済が可能だとも思えない。地球に存在するありとあらゆる科学をもってしても、二ッ森姉妹を元の二十歳の女に戻すことはできなかった。電甲戦隊とも言うべき彼らは、彼女たちに輪をかけて人間としての原型をと留めていない。

 飛来する〈赤のソードマン〉。新九郎は突きを合わせることをやめ、横っ飛びに避けた。地面に張った氷が砕けて飛び散り、宙に舞ったそれらが落着するより早く、〈赤のソードマン〉が地面を滑るように跳躍する。

 新九郎は刀を半ば鞘に納める。赤の発光機と一対の刃が迫る。新九郎は腰を落とし、目を閉じる。〈赤のソードマン〉が両腕を交差させる。新九郎はなおも目を閉じ、ぴたりと静止。そして。

「鋭っ!」

 突進の速度をつけた二刀と居合に抜いた一刀が激突。一撃では、互いに仕留められない。一瞬の間に幾重にも刃が交錯し、火花が舞い散る。そして交差した二刀と一刀が鍔迫り合う。力と力の押し合い。当初は拮抗し、やがて新九郎がじりじりと圧される。体格には勝っても所詮は生身。蒸奇仕掛けの力には敵わないのだ。

 新九郎の帽子のつばと、〈赤のソードマン〉の額の折れた刃が触れる。

「そんなものか、蒸奇探偵」

「ひとつ訊きたいんだが、君らのなんちゃらの守り人というやつ、流行ってるのかい?」

「知りたければ、貴様も洗礼を受けろ」

「嫌だね。僕が信じるのは焦げた珈琲と蕎麦屋のラーメンだけさ」

「減らず口を!」

 力任せに均衡を崩す〈赤のソードマン〉。たたらを踏み、左手で帽子のつばに触れる新九郎。

 目の端で、祭壇の上に立つ髭面に白装束の男を見る。親指と人差指の輪を両手で重ねて無限の印を組み、何かを見ているとも何も見ていないとも取れる曖昧な目線を周囲に巡らせている。その懐に異様な気配を感じ、新九郎は身震いする。ようやく理解する。選留主が隠し持っている物こそ、葉隠幻之丞を恐怖させ、二ッ森凍を戸惑わせた存在。

 新九郎は叫ぶ。

「選留主! 〈アルファ・カプセル〉を今すぐ引き渡せ!」

「あなたになら、お渡ししてもよいかもしれません」選留主は両手を広げる。「会いたいでしょう? お亡くなりになった奥様に」

「何……?」

 眉根を寄せた新九郎に、〈赤のソードマン〉が気合声を上げて迫る。だが、虚を突かれる新九郎ではなかった。

 踏み込み、脇構えからの斬り上げが二刀をまとめて弾く。続けざまに胸部へ突きの一撃。人間ならば貫いているが、全電甲は震えて三歩後退するのみ。

 〈赤のソードマン〉が発光機を明滅させて構え直し、新九郎は突きの残心を解いて片手青眼に構える。明滅と呼吸が、刃を手に対峙する二者の間にだけ通じる不可思議な一体感によって、揃う。

 新九郎はゆっくりと一歩を踏み出す。〈赤のソードマン〉が常人の五歩分ほども一足で走る。

 大上段に刀を振り被る新九郎。眼前に迫る赤い光に向け精神を研ぎ澄ませ、呟く。

「蒸奇殺法――」

 振り下ろす、渾身の一太刀。即座にその勢いを決して殺さず体を捌き、長身巨躯が独楽のように回転する。そして続けざまの、横薙ぎの二の太刀。

「十文字斬り!」

 初撃を受けた〈赤のソードマン〉の全身が振動する。姿勢が崩れる。そして二の太刀を受け、崩折れる、はずだった。

 鋭い金属音が広間に鳴り響き、新九郎の顔が驚愕に染まる。

 松葉のように組まれた二刀が、新九郎の刀を受け止めていた。

 赤い発光機が輝度を増す。〈赤のソードマン〉が刃のように鋭い電子音声で言った。

「その技は、既に見た」

 新九郎は舌打ちし刀を引く。反撃を警戒してのことだったが、意外にも〈赤のソードマン〉は新九郎が間合いを取るに任せた。

 代わりに自身の両腕に固定した刀を見下ろし、それから全身の関節の角度を微調整した。

「受けてみよ」と〈赤のソードマン〉が言った。

 瞬きの間に間合いが詰まる。新九郎は刀の峰に掌を添える。そして再び驚愕する。

 〈赤のソードマン〉が左の刀を振り被り、新九郎が知っている太刀筋で振り下ろす。そして右の二の太刀。受ける新九郎のこめかみを冷や汗が伝う。

 そして両腕を振り上げ、〈赤のソードマン〉が言った。

 振り下ろされる三の太刀――痺れるような衝撃が受けた刀を通じて新九郎の全身を震わせる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る